みずからをプラネタリウム弁士、「ぷらべん」と称する河原郁夫氏は、本書の刊行時(2018年12月)で88歳の日本最高齢現役プラネタリウム解説員。

昭和5年(1930)東京生まれの河原氏のプラネタリウム体験は、小学校4年生の時に父に連れられて訪れた東京有楽町の「東日天文館」に始まります。

当時、日本には2ヶ所のプラネタリウム施設があって、ひとつは昭和12年(1937)開館の大阪四ツ橋の「大阪市立電気科学館」、もうひとつが翌年開館の「東日天文館」で、河原少年は開館まもない時期に「東日天文館」を訪れたことになります。


しかし、「東日天文館」は昭和20年(1945)の東京大空襲でプラネタリウムドーム部分を含む4階から上を焼失、廃業やむなく約8年の活動に終止符を打ちます。


短い活動期間でしたが「東日天文館」は、多くの人々(少年少女だけではなく大人を含めて)に感動や夢を与え、星を見る楽しさ、星座やギリシャ神話に親しむ機会を与えてくれた大切な存在でした。

そして、河原少年のようにその後の生き方・進む道までも導き示した存在でもありました。

d0163575_14101938.jpg

「天界」 ↑ 昭和13年12月号の表紙より/「去る十一月2日に開館した東京プラネタリウム」 「天界」のこの号では大阪の「市立電気科学館」に対して「東日天文館」を東京プラネタリウムと呼称しています。


「東日天文館」の焼失後、日本のプラネタリウムは「大阪市立電気科学館」のみでしたが、焼失12年後の昭和32年(1957)に「天文博物館五島プラネタリウム」が東京渋谷に誕生します。

その少し前、東京理科大学を卒業し横須賀市の高校で物理教師に就いていた河原氏に転機が訪れます。


天文少年の頃に知遇を得、生涯の恩師となる元東京天文台の報時課長・水野良平氏からプラネタリウム解説員への転身を勧められたのです。

d0163575_14192369.jpg

本書「ぷらべん」は三つの章立てから成っています。  天文少年の夢/むすばれる星たち/夢を見るための機械、です。


第一章では「東日天文館」との出会いと、ここで得た知識をもとに自宅の物干し台で仰ぎ見て辿る星座たちの姿、口径40mmの望遠鏡を自作し「河原天文台」と名付けて星空を堪能する日々、あこがれの「東京天文台」へ家族に内緒で一人で出かけたときのこと、そして1945年、中学三年生のときの東京大空襲の恐怖の一夜をすごしたときのこと。


第二章は、空襲で焼け出されて横須賀に転居後、ここでも新たに口径80mmの望遠鏡を自作して不自由な生活のなかでも星々を楽しんだこと、生涯の恩師である水野良平氏を始めとして、東京科学博物館の小山ひさ子さんや東京天文台の野附誠夫太陽物理部長、富田技官、小野実教官らとの出会いや交流が綴られ、そして「天文博物館五島プラネタリウム」へ移ってからの新しい仲間たち、草下英明、大谷豊和、小林悦子の諸氏との出会いとプラネタリウム開館までの奮闘が描かれています。


第三章の「夢を見るための機械」では、河原氏が携わったプラネタリウム機材、五藤M-1や五藤GMⅡ-16-T、GM-15-AT1などの特性とエピソードの数々、野尻抱影翁の思い出等々が初期のプラネタリウム施設の活動状況とともに語られています。

「ぷらべん」の文章構成と編集については、大きく二つの特徴を挙げることが出来ると思います。ひとつは各章の冒頭あるいは途中にその当時(河原少年の成長に合わせて)の天文界のトピックスを示してストーリーにメリハリをつけると同時に、大まかな天文学史の流れを知り得る構成になっていると言うこと。

d0163575_14212387.jpg

もうひとつは、これは意表を突く構成ですが、各章のあいだに「春の話題」「夏の話題」「秋の話題」を設けて各季節に見やすい位置に来る星座とその見どころや神話を掲載している点です。 

しかも単なる星座案内に終わらず天文知識の基礎的な部分や天体物理の範疇までにも及んでいて、さらに星々への興味が深まる内容になっています。

d0163575_14215889.jpg
天文人生物語と星座案内を交互に配置することによって、河原少年のその後の人生に影響を与えた星々の存在がより一層鮮明になり、同時に天文少年の感動の日々を追体験できる構成になっている、のではないかと思います。


「ぷらべん」は、ある一人の人物が生涯にわたって打ち込んできた事柄を綴った人生賛歌の書でもあります。


「ぷらべん 88歳の星空案内人 河原郁夫」

著者:冨岡一成
発行所:株式会社旬報社
2018年12月20日初版第一刷
編集担当:熊谷満
装丁・デザイン:Boogie Design


# by iruka-boshi | 2019-02-21 14:22 | Comments(0)

北九州市のテーマパーク「スペースワールド」で1990年の開園時から常設展示されていた月の石は、同園の2017年12月31日の閉園を以って所有権を持つ米航空宇宙局(NASA)に返却されていましたが、引き続き展示の希望が多く寄せられていた為、NASAと北九州市との協議の結果、北九州市の「市立いのちのたび博物館」にて再び常設展示されることが決まりました。


d0163575_16055123.jpg
北九州市立いのちのたび博物館  ↑  「月の石」の一般公開は2018年12月22日で、この日に記念式典(除幕式)が行われました。

d0163575_16062983.jpg
展示場所は、正面のサービスカウンターを過ぎてすぐ右側の「地学現象」コーナーです。

d0163575_16070384.jpg
展示の「月の石」は、重さ176.4gの玄武岩で、1969年11月14日に米フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられた「アポロ12号」が月面の「嵐の大洋」の南部から持ち帰ったものの一部です。(アポロ12号は合計34.3kgの岩石を採集し、持ち帰っています。)

d0163575_16074068.jpg
d0163575_16081620.jpg
「月の石」の国内常設展示は「いのちのたび博物館」と東京・上野の「国立科学博物館」の2館のみです。国立科学博物館にはアポロ11号とアポロ17号が採集した月の石が展示されていますが、いずれも小片ですので、いのちのたび博物館の月の石は常設展示では国内最大と言えます。

ちなみに1970年(昭和45年)に大阪で開催された日本万国博覧会に展示された「月の石」もアポロ12号が持ち帰ったものでした。

また、「地学現象」コーナーには、「直方隕石(レプリカですが)」や  ↓

d0163575_16090448.jpg
「隕石にさわってみよう」コーナーなどがあり  ↓  興味は尽きないのですが、
d0163575_16095414.jpg
  ↑  カンポデルシエロ隕石(アルゼンチン/1576年発見/重さ約55㎏)

月の石と並んで最大級の呼び物のひとつに恐竜の骨格標本(実物大)がありますので、ぜひ機会があれば「いのちのたび博物館」で自然史を楽しんでください。

d0163575_16102849.jpg
ティラノサウルス・レックス(原標本は米国シカゴのフィールド博物館に展示されている「愛称スー」の実物大全身骨格)、「スー」の奥の首の長い恐竜は「セイスモサウルス」体長35メートルの実物大骨格標本です。


# by iruka-boshi | 2019-01-12 16:10 | Comments(0)

天文現象のビッグイベント時に限って曇りまたは雨になるということを過去何度も経験しましたが、今回もそのとおりで、部分食開始の時刻になっても全天ベタ曇りで太陽は全く見えません。

9時18分 ↓ 食がかなり進んだときにようやく少しだけ薄雲となり、最初の1枚を撮影。

d0163575_06374361.jpg

9時28分  ↓  全天依然として雲に覆われているが、時々薄雲となり、すかさずもう1枚。

d0163575_06384791.jpg

9時38分  ↓  雲のためか撮影能力不足のせいか、ピントが甘いのが難点。

d0163575_06404913.jpg

9時47分  ↓  この頃が食分最大、福岡で食分0.318

d0163575_06413653.jpg

9時50分  ↓  最大を過ぎたのち、黒雲が襲来。

d0163575_06421876.jpg

10時28分  ↓  黒雲ようやく去って1枚撮影。しかしまだ薄雲は掛かったままです。

d0163575_06425512.jpg

10時36分  ↓  雲の去来の合間に撮るため、等間隔の時刻にならないのが残念。

d0163575_06434429.jpg

10時43分  ↓  黒雲と薄雲が交互にやって来る。しかも高度違いで移動方向は真逆。

d0163575_06441934.jpg

10時53分  ↓  まもなく部分食終了。

d0163575_06450473.jpg

11時3分 ↓ 最後の1枚。この後再び全天厚雲に覆われ、さらには一時的に激しい雨となりましたが、やがて日差しは戻り、冬晴れの上天気となりました。

d0163575_06455322.jpg
福岡での食終了は11時4分でした。


今回もまた大事な時間帯だけに雲がやってくる、と言うことを追体験したようなものですが、薄雲のときには「日食サングラスなしの肉眼」で欠けた太陽を見ることができた、と言う初めての経験をした部分日食でもありました。自己満足度70パーセントです。


# by iruka-boshi | 2019-01-07 06:46 | Comments(0)

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


今年の干支「亥」に因んで黒田神社(みやこ町)の拝殿の天井絵「イノシシ」を取り上げてみました。

d0163575_07520421.jpg

明治期の画師山田義昌(松高斎霍眠・しょうこうさい かくみん)の画で、明治20年頃の制作(霍眠52才の頃)と考えられています。


山田霍眠の黒田神社天井絵については、2018年7月24日と26日、9月24日にも当ブログに掲載していますので、併せてご覧頂ければ幸いです。

https://irukaboshi.exblog.jp/27005100/


天井絵は、イノシシ以外にも「牛」や「虎」「兎」などの「十二支」の動物が画かれていますが、「子(ネズミ)」は確認できません。

天井板そのものが無くなっている箇所や絵の具の剥落激しく題材不明がいくつかありますので、あるいはそのなかのどれかに描かれていたのかもわかりません。いずれにしても、「十二支」として描いたわけではなく、絵から得る印象として単純に題材として選ばれたのではないかと推察します。


明確に「十二支」として描かれているとわかるのは、拝殿の格天井の中央付近に描かれた『方位図』です。


d0163575_07525407.jpg

『方位図』の二重の円の内側に東西南北が画かれていることがわかると思いますが、その内側の左上の「南」の外側に「馬(午)」が画かれています。


劣化が激しいので次の絵は判別不明ですが、「西」のところに「鶏(酉)」が描かれていますので「午」の次は「羊(未)」であることがわかります。

同様にたどって行くと画面下端の中央に「猪(亥)」が確認できます。

方位図のイノシシは全体像で動きは少なく、絵画として面白みに欠けますが、最初に掲げた草むらから半身を乗り出すイノシシは表情も険しく勢いを感じます。半身の構図が良く効いた作ではないかと思う次第です。


ところで、「十二支」の子・丑・寅・卯・・・・は、それぞれ鼠・牛・虎・兎・・・と動物で表されますが、本来はこれらの動物とは全く関係なく、一年間の農作業を示したものであることが、中国の漢代の「白虎通」に書かれているそうです。


子(シ)・丑(チュウ)・寅(イン)・卯(ボウ)・・・亥(ガイ)が、作物の成長段階を表した言葉である、と言うことだそうで子(シ)は種(タネ)の状態、丑(チュウ)は、曲がった細いひも(紐)の状態、つまりタネから細いひものような根が出るとき、

次の寅(イン)の本来の字形は、真っ直ぐに伸びた「矢」のかたちで、芽や根がまさに伸び出ようとしている状態、卯(ボウ)の字形は窓を左右に開いた形が元々で、タネから芽と根が窓を開くように出て来た状態を表しているのだそうです。


同じように、昨年の干支・「戌(ジュツ)」は、武器である「才(ほこ)」が本来の字形で、刈り入れた作物を外敵から大切に守ることを表し、本年の干支「亥(ガイ)」は、動物の全体の骨組(骸骨)の意味や「ことごとく・すべて」の意味があり、全体の総まとめを表している、とのことです。

つまり、一年間を12に分けた時、それぞれの時季の農作業の指針となる「農暦」が本来の姿であり、覚えやすくするために身近の動物の名称を取り入れた、と言うことが「白虎通」に解説されているそうです。

・・・となれば、過去11年間の総まとめの年が今年である、と言うことになりますが、さて、うまくまとめることが出来るかどうか・・・。


# by iruka-boshi | 2019-01-01 07:53 | Comments(0)

13時05分、着陸態勢に入ったP-3Cを横目に見ながらいつもの撮影ポイントに到着。 


待つこと30分あまり、アメリカ空軍のF-16が離陸。 15分間ほどの派手な予行飛行を披露したのち、

d0163575_00101010.jpg
d0163575_00110719.jpg
General Dynamics F-16 Fighting Falcon (WW350G) ↑


14時10分過ぎに空中給油・輸送機KC-767が飛来。

d0163575_00114890.jpg
d0163575_00122998.jpg
Boeing KC-767J 97-3603 ↑

d0163575_00130852.jpg

撮影ポイントまでは行橋市内を通って来たのですが、市内はすでに他県ナンバーも混じって少々渋滞ぎみでした。
明日25日は天気も良いようですので、基地周辺はかなり深刻な渋滞になることと思います。

d0163575_00135978.jpg