2010年 07月 08日 ( 1 )

7月5日の続きです。

さて、強硬に「運河人工説」で論陣を張ったスキアパレリやローウェルが亡くなったからといって、急激に火星人存在が否定されたわけでは無く、観測家・研究者はともかく一般の人々の間には強烈な印象を残したままでした。彼らの存命中に発表された火星人襲来の小説「宇宙戦争」(原題:The War of the Worlds/H・G・ウェルズ・1898年)などの影響もあったことでしょう。

彼らの唱える「運河人工・火星人存在説」に真っ向から反論した代表者はフランスのアントニアヂでしたが、彼が1930年に出した火星地理学の集大成ともいえる「La Planete Mars」のあとでさえ、人々は火星人の存在を完全否定することができませんでした。

今回の「不思議な天地」が発刊されたのは1928年で「La Planete Mars」発表の2年前のことです。この「不思議な天地」の「「火星からの通信」では当時の世間の関心の深さが見て取れるようです。例によって一部を抜き書きします。(明治末ごろの話)

「・・・このようにあらゆる天文学者が研究を火星に向けています矢先、フランスの天文学者ジョシユエ博士はとうとう其の為、発狂してしまったのです。時は明治四十二年の十月二十三日、パリー学士院で演説の最中、『火星の住民は私たちから発した信号を理解しました。しかし其の返答に困っています。それは、今火星から来た電報で分かっています。』と云う様なことを口走ったのです。人々はこれを嘲り笑いましたが、決して笑ふべきではありません。いたましい学術研究の犠牲者として取り扱ふべきではありますまいか。」とあり、ここでも著者はたいへん好意的態度を取っていると言っても良いのではありますまいか。

ところで「ジョシユエ博士」とは、1883年にフラムマリオンがパリ郊外に造った観測所、ジュヴィジー天文台のことではありますまいか。何となく発音が似ているようで全くの思い付きですが・・・。(似てないか・・・。)

それにしても「明治四十二年の十月二十三日」と日付もはっきりしてるようですので、実在の博士だったと思っていいのでしょうか。「ジョシユエ博士」って誰?

画像は「火星とその観測」佐伯恒夫著・恒星社厚生閣の108・109ページより、スキアパレリのスケッチ(右側のページの上2枚・1877年)
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と佐伯恒夫氏の「太陽湖付近の詳細」スケッチ(右側ページ下の左1枚・1954年)及びアガトダエモン運河(右側ページ下の右2枚・1937年)
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