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大地のはらわた/学天則 西村真琴著 昭和5年

1883年(明治16年)3月26日、長野県東筑摩郡里山辺村(現・松本市)にて西村真琴誕生。

旧制松本中学校を1904年(明治37年)に卒業後、広島高等師範学校(現・広島大学)博物学科へ進学。同校を1908年(明治41年)に卒業、京都府の向日町小学校の代用教員となり、のちに京都・乙訓町高等小学校の校長に就任。

以後、満州の南満州遼陽小学校校長、南満医学堂の生物学教授、北海道帝国大学附属水産専門部教授を歴任。 1927年(昭和2年)に大阪毎日新聞社に転職(論説委員・学芸部顧問・社会事業部長)するまで水産植物や爬虫類の調査研究に従事しています。

特に阿寒湖のマリモの研究はよく知られたところであり、北海道帝国大学を退官する1927年(昭和2年)にマリモの研究に対して東京帝国大学より理学博士号が贈られています。
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本書はその長い教員生活・研究生活において知りえた生物(植物・昆虫・鳥類・爬虫類など)の生態(生活史及び人間との関わり)を随筆風に叙述した著作です。
また、紀行文や留学先でのエピソード、様々な人々との交流、執筆当時に特に印象を持った出来事などを綴り、最後に本書の表紙を飾っている人造人間「ガクテンソク」の制作についてを語っています。

「大地のはらわた」は次の7つの章に分かれています。 季節の断面(14編)/自然を食む(23編)/自然科学小説 蟻供養(1編)/南から北へ(7編)/胡笛に聞く(3編)/足跡(4編)/生命を語る(7編)です。

人造人間「ガクテンソク」についての記述は、最終章「生命を語る」の最後の「人造人間の生命」に収められています。 小項目は、人造人間の初期/日本で初めて生まれた人造人間/ガクテンソクの製作動機/荘厳な音楽につれて金色の巨人が動く/敬礼されるガクテンソク/宇宙の縮図を象る記録台/ です。

最初に少々煩わしいかもわかりませんが、目次を示します。
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「季節の断面」より、 ↑
いずれも自然界の興味深い事実が語られていますが、なかにはエッセイとは言えないほど短文の至言や人間世界の情景を描いた文章もあります。
文章内容は各章の小タイトルから大体の検討がつくとは思いますが、まずは「季節の断面」から少しずつ注記します。

三つ目のエッセイに「虫こぶ」が見えますが、「虫こぶ」とはハチやハエなどの幼虫やダニ・菌類などが植物の葉や幹に寄生したためにできた変形部分で、多くはこぶ状を形成するためにこのように呼ばれています。

ここでは「虫こぶ」ができる原因・その形と種類・寄生箇所・寄生する虫の種類・虫こぶの内部組織などが記されています。 そして有用植物(りんご、はしばみ、えごま、かしの木、柳など)への被害に警鐘を鳴らしています。

「まり藻の生活」 ページ数13ページで、他のエッセイより比較的多くのページを費やして、「まりも」の分布域、生活史、生育環境、人工的に培養する試み、阿寒湖から支笏湖への移植を試みた動機、などが詳細に語られています。 まり藻については、「足跡」の章の「マホメット公文の旅」のなかにも記されています。

「海の凶暴児 鱶の話」 エッセイというよりは、フカ(またはサメ)による人身事故の実例報告で、「須磨の浦」の海水浴場で起きたいくつかの事故を挙げて強く注意を呼び掛けています。執筆当時、鱶による人身事故が多発していたようです。

「介殻と人生」 内容はタイトル通りで、貝類と人間の関わり(食料として、あるいは貝殻の様々な利用法)が述べられています。そのなかのひとつに「貝で作るボタン」の項目があって、貝ボタンの歴史と大正15年から昭和3年までの貝製ボタンの輸出量、輸出額、輸出先が載せられています。

「焼鳥雑考」 執筆は昭和3年11月で、当時の季節行事的な楽しみのひとつとして、著者が実際に経験した「鳥の狩猟」の様子と対象となる野鳥の種類、分布、狩猟方法、味、取引価格などが詳細に記されています。

取り上げられている鳥は、ヒヨドリ、クイナ、ヤマシギ、ウズラ、ツグミ、カモ、スズメなどで、例えばカモであればマガモ、スズガモ、ハシビロガモ、コガモ、ヒヨドリガモ、ヨシガモ、ノリガモ、コモリガモを挙げてそれぞれの分布域、渡来時期、食味、取引価格などが記されています。
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ちなみに買い求める時の価格は、コガモが一羽1円、野じめ物で一羽55銭とのこと。大形のカモになると一羽2円50銭、野じめで1円50銭くらいだが、食味はコガモが第一等の部類に入る、とあります。

また、ウズラの項目ではカモ同様に多くの種類を挙げてその特徴を記し、昭和天皇即位の御大典では大阪東区の「鳥廣」がウズラを2150羽納めて大饗宴に使用された等のエピソードが記されています。 価格は一羽60銭、野じめで35銭~40銭とのこと。

ツグミも多くの種類を挙げていますが、ツグミは不猟の年があるので価格は安定せず、一羽26銭から18銭を上下している、とのこと。 また、狩猟法に特徴があって、生きた「ケラ」を餌として使った「ケラハゴ猟」についても詳細に書かれています。

我々の最も身近にみられるスズメでは、「寒三十日間が味よしとされている」とあって、普段は一羽4銭くらいだか、冬になると6~7銭になるそうです。
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季節の断面より「粳米の身の上ばなし」 ↑ 米(稲)の原産地の考証や日本への伝搬経路の考証、米と日本人の民俗学的関わりなどが語られています。また、「くず餅」「わらび餅」「茄子餅」「牛蒡餅」等多くの種類の餅が紹介されています。

「自然を食む」の章は、文字通りに自然の恵みを味わうという文章もありますが、人間社会の出来事を扱った文章も多々あります。 エッセイ内容の相互間のつながりはないのですが、読み進めるうちに自然界と人間界のあらゆる現象が有機的な繋がりを持って干渉し合っていることに気づかされ、地球は意思を持ったひとつの生命体である、という感覚に陥ってきます。

「大地のはらわた」のタイトルは、この章が持つ印象から付けられのではないかと私(ブログ主)は思っています。

この章のなかの「北を指す」は、1928年(昭和3年)に起きた飛行船「イタリア号」遭難事件に材を取ったノンフィクションです。 「イタリア号」は、イタリア空軍の軍人で航空技術者のウンベルト・ノビレが設計した全長105.4mの半硬式飛行船で、1928年5月11日にノビレ自身が隊長となって北極圏探検飛行に出発しています。

飛行船乗員はノビレ隊長の他、技師・航法士・無線操作員・エンジン整備士・従軍記者ら12名で、学術調査員として気象学者・物理学者・新聞記者4名が乗船していました。事故発生は1928年5月25日で、前日の24日に北極点到達に成功したその帰路の事でした。

飛行船昇降舵の故障による墜落で、この時5名の乗員と2名の学術員が死亡または行方不明になっています。(学術員1名は墜落後の救援要請に向かう途中で死亡/学術員は4名のうち1名のみ生存) 「自然を食む」の中の「北を指す」は、この事故の救援活動を記したものです。

墜落当日より救援要請のSOSを発信し、無線連絡がとれたものの5月31日には連絡途絶。 しかし、6月3日にロシアのアマチュア無線家がSOSを傍受したことによって6月5日に初めてノルウェーのパイロットが捜索飛行を実施、以後、スウェーデン・フィンランド・ロシア・イタリア・デンマーク・フランス・オランダ・アメリカ等の各軍所属者及び多くの民間人が救出活動に参加。

このなかには、1911年に人類史上初めて南極点に到達したロアール・アムンセンも含まれますが、救出活動中に行方不明となり、のちに死亡が確定されています。「イタリア号」の生存者救出は7月12日で完了し、捜索中に遭難した2名を救助して7月14日に一応終了しています。

「自然を食む」の次の章の「自然科学小説 蟻供養」は、蟻の視点から見た人間の身勝手さを描いた小説です。洪水によって棲み処をなくしたアリたちは新たな営巣地を求めて移動するも、人間界の思惑により絶滅する、という物語です。

(2023年8月21日に続きます)

by iruka-boshi | 2023-08-04 07:15 | いろんな本 | Comments(2)
Commented by 雨蛙 at 2023-08-20 13:54
魅力的な本ですね。
西村晃の父上なんですね。
Commented by iruka-boshi at 2023-08-21 05:34
コメントを有難うございます。
西村晃さん、テレビのシリーズはよく見ていて魅力的な人と思っていましたが、父上の真琴さんも好奇心を強く持って人間界・自然界をみていた魅力的な人物のようです。

本書には紀行文がいくつか含まれていますが、戦前の紀行文は時には冒険譚や探検譚じみていて、現地描写の素晴らしい文章に出会うと自分自身がその地にいるように感じられます。紀行文を読むのは好きです。