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ノバ・シグナス/尾辻克彦  Nova Cyg1975

1975年8月29日、白鳥座の1等星デネブの北東3度あまりの位置に、3等星の新星が出現。第一発見者は山口県の長田健太郎さん(当時高校三年生)で、29日午後8時30分のこと。 

長田さんは写真撮影による新星捜索を2年前から行っていたという事ですが、発見の当夜は少し薄雲があるようなので撮影は行わず、肉眼での捜索中にデネブの近くに見慣れぬ星を発見。新星ではないかと思ったもののこれほど明るい新星ならばすでに東京天文台への通報は行われているのではないかと思い、通報をためらっていました。

その間、第二発見者となる倉敷天文台の本田実さん(29日10時40分発見)が、新星とみとめて岡山天体物理観測所と東京天文台へ通報、第一通報者となるという経緯が残されています。 発見時3等星だった新星は翌日さらに増光して2等星となり、8月31日に1.7等星で極大を迎えた後、急速に減光して9月2日に4等星程度、9月5日には5等星となっています。

新星出現の前年に「ロイヤル天文同好会」の会員となった「ぼく」は、会長のヒロミさんに誘われて吉祥寺の法政グラウンドで新星を見て、「この新星というのは何かしら不思議な星だぞ、どうもこれはおかしいぞ・・・。」と思う。

ヒロミさんと新星観測する3日前、同好会の会員ミナミ君から「ぼく」宛てに電話があり「お茶ノ水駅のホームで突然腰が痛くなり、救急車で日大病院に運ばれた。どうも尿管結石らしい。」と告げられる。 これを聞いた「ぼく」は、どうも何かおかしいと直感する。
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                      「ノバ・シグナス」 ↑ 挿画は楢喜八

「ロイヤル天文同好会」の会員は小説「ノバ・シグナス」では、ヒロミさん、ハマヅ君、ナベゾ君、ミナミ君、サワイ、ヒトシ、センスケ、そして「モジさん」と呼ばれている「ぼく」の7~8人で、会員数は一定していないようだ。

「ぼく」が会員になった切っ掛けはミナミ君が見せてくれた「ロイヤル天文同好会」の会誌『ゴムの惑星』にある。 

この『ゴムの惑星』の名称は、月刊天文ガイド誌に1992年2月号から連載されている天文エッセイと同一で、著者は尾辻克彦こと「赤瀬川源平」さんです。

第一回のタイトルは「シャイ転換の問題点とは」で、冒頭『ゴムの惑星というのは、ぼくたちロイヤル天文同好会の機関誌の名前だ。ぼくがむかし美学校というところの先生をしていて、そこの生徒たちといっしょに作った。』とあります。

みんなシャイな人ばかりでメンバーは、会長のT・ちひろ君、W・かずひろ、M・しんぼう、W・ひとし、S・けんじ、H・まもる、I・せいぞう、M・しんすけ、それに「ぼく」の9名。
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『ゴムの惑星』第一回 ↑ イラストレーションはナベゾ君こと渡辺和博氏

「ロイヤル天文同好会」は実在の同好会で、1974年に当時「美学校」で講師をつとめていた本名・赤瀬川克彦さんとその生徒たち(南伸坊、渡辺和博、田中千尋、鈴木剛ら諸氏が参加。ほかに秋山清、浜津守ら諸氏)で結成。

月刊天文ガイド誌の『ゴムの惑星』は、2002年12月号まで連載され、132回目の「ジンカンの変化について」で終了。掲載文は誠文堂新光社より1995年3月に単行本化されています。

さて、新星の観測を終えた「ぼく」は、ナベゾ君とハマヅ君に合同観測会開催の連絡をし、次にミナミ君に連絡しようとして思い出した。「そうだ、ミナミ君は入院しているんだ」。そして「その瞬間に、ぼくの頭の中でサーッと何かが溶けていった。ミナミ君はこの新星の爆発との関係で尿管結石になったのに違いない」「いままでにわかつているだけでも、人間は月の影響によって生まれる時間を左右されたり、太陽の影響でもって交通事故を引き起こしたりもしている。」
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                  法政グラウンドで新星を見る「ぼく」と会長のT・ちひろ君

「惑星が、産まれる子供の職業に与える影響も定量化されている。だから新星爆発で尿管結石になる人も当然ながらいるわけだ。でもミナミ君がそうだとは驚いてしまう。」そして「新星と結石との関係がこんなにハッキリあらわれたのは、たぶんミナミ君の場合がはじめてのケースだろうと思う。」と結論づける。

新星出現の三日後、「ぼく」は、ロイヤルの仲間たちとスイカを持ってお見舞いに行く。いや、これはお見舞いではなく、ミナミ君の結石を観測して新星との関連を解明する新しい研究なのだと思う。スイカを持参したのは、結石の治療には水気のものを多く摂った方がいいと聞いていたからだ。

「ぼくは、新星観測のためにレントゲン写真を見せてほしいと思ったけど、怒られそうでいえなかった。」 翌日、新星はまだ天頂近くで白鳥座のデネブと同じくらいの明るさで輝いていたが、もうこの明るさが限度なのだろうと思う。

一週間後、ミナミ君が退院したとの電話。まだはっきりわからないのだが、結石が尿管を進んで膀胱に落ちたのだろうという。電話を切ったあと、法政グラウンドの真ん中あたりに来て夜空を見上げた。あれが新星だろうと思うが、よくわからない。

「いまはもうほとんど見えなくなっている。これはミナミ君の結石と同じ状態だ。この両方の関連は、もうほとんど疑いようのないものだ。」

しかし、「ぼくたちは、ミナミ君にスイカをたくさん食べさせたりして、あの新星が早く消えるのを手助けしてしまった。これは天文学上の大失敗だ。」とも思う。

ぼくたちは新星をみていたとき、ミナミ君の結石そのものをみていたに違いない。「ミナミ君の痛みとともに輝きながら、地球上のぼくたちには新星として見えてきたのだ」そして、「地球人というもの、戸籍は地球だけど、その体は宇宙なのだ」と確信し、「ぼくたちは宇宙の人体をもって地球上に生きている」と思うようになる。

新星が現れた年、ロイヤル天文同好会では会誌を出し、ぼくは新星の観測日誌を書いた。ガリ版切りをしていたとき、唐突にある詩の一節が浮かんだ。そのとき、ぼくはヒューッと淋しくなった。なぜならそれは、・・・・・。
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「ノバ・シグナス」所載の「オール讀物 昭和57年3月特大号 芥川・直木賞作家全集/文藝春秋」 ↑ 尾辻克彦氏は、『文學界』1980年12月号に発表された短編「父が消えた」で、第84回芥川賞(1981年・下)を受賞。


以下、余談ですので無視していただいて結構なのですが、この新星、私(ブログ主)も見ています。私の住む田舎町にある県立某高校の天文部OB仲間4~5人とともにです。デネブの位置はよく知っていましたので、新星はすぐにそれとわかり、あまりの明るさに驚きの声をあげたものです。この時カメラを持ってきてなかったので翌日撮影するつもりでしたが、何かの都合で(理由は思い出せない)撮影はかなわず、永久に撮影機会を失ってしまったことを覚えています。

なお、天文月報(日本天文学会発行)の1975年11月号の表紙に東京天文台堂平観測所で撮影した白鳥座新星(1975年9月2日撮影)の写真が使われていること、並びに同号368ページに石田五郎氏と香西洋樹氏による新星発見の経緯・通報・光度の増減などが時系列に沿って詳細に記されていることを付記します。
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ゴムの惑星

著者:赤瀬川原平
発行日:1995年3月30日
発行者:小川茂男
発行所:誠文堂新光社
印刷:広研印刷
製本:関山本社
ISBN4-416-29503-0

初出:月刊天文ガイド 1992年2月号~1995年2月号
14×19.5㎝/203ページ 定価1600円(本体1553円・税47円)


by iruka-boshi | 2022-03-23 21:28 | 星の本・資料/星空 | Comments(0)