黒田神社の天井絵/松高斎霍眠・山田義昌(その2)
(2018年7月24日の続きです)
黒田神社の格天井絵を大きく分けると、植物・動物・人物・器物・風景となりますが、このうち風景は「松に富士」を描いた1点のみ。 それもかなり形式的な図柄で江戸時代以来の観念的富士山図そのものです。
この形式的構図は「比翼の靏」や「扇にお多福面」「面箱に翁面」「鹿に紅葉」「唐獅子」「花卉図」「竹に雀」などにもみられます。形式的構図を伝統的題材と構図と言い換えても良いのですが、普段から見慣れた構図は鑑賞者に安心感を与え神社に相応しい落ち着いた雰囲気を創り出す半面、新鮮味がありません。
全体の多くを占める植物(花)の絵も伝統的技法で描かれていますので、静謐感はありますが動きに乏しく、審美眼を持たない私(ブロク主)が言うのも僭越ですが面白みに欠けるように思われます。
だからこそなのでしょうか、花卉図の1/3程度は花に「雀」を配して変化富んだ構図を創出しているようです。
それに対して、人物図は表情豊かに個性的顔立ちでそれぞれの天井絵に描き分けられています。 そして動いている人物像は真に躍動感に満ちた姿ポーズを取り、座する人物や横臥する人物を描いた図はその場の静寂感がこちらまで伝わってくる趣きです。
神仙図などはある程度の決まりごとのなかで描くのでしょうが、その制約のなかで描かれた鯉に乗る仙人、飛竜を御する神人、桃を手にして静かに佇む仙人、等々、その仙人のそれぞれの神力までも描こうとしているかのようです。
「万歳図」や「神仙図」などは手本となる画帳があるのかもわかりませんが、それにしても黒田神社の天井絵人物画は山田霍眠の畢生の出来栄えなのではないでしょうか。
・・・なので、今回は「人物画」のみをいくつかご紹介してこの稿を終わります。なお、拝殿の周囲に掲げられた三十六歌仙の奉納画はいつの時代の制作でどなたの手になる作品かよく解りません。線描の強弱・濃淡などを見ると霍眠の画とは異なるように思いますが、どうでしょうか? 乞う、ご教示です。
なお、この稿の初回(2018年7月24日)に掲載した霍眠の略歴は「郷土史さいがわ 第十九号/画師 松高斎霍眠(山田義昌)-山鹿村「上の庄屋」弟義昌の生涯/一川淳江著/平成13年」を参考にさせて頂きました。
墓の裏面は墓誌で甥の吉田増蔵(学軒)による撰文と書が刻まれています。