イケヤ彗星の発見/リーターズダイジェスト 1966年1月号
リーターズダイジェストはアメリカの総合家庭雑誌で、1922年の創刊です。世界中に非常に多くの読者を有し、英語版にとどまらず各地の言語に対応した版を持ち、さらにデジタル版、点字版、音声版なども発行する巨大出版社です。 日本語版の創刊は1946年6月ですが1986年2月に休刊となっています。
本日の「星によみがえる家名 イケヤ彗星の発見」の著者テリー・レッサー・モリス(1914年-1993年)は、アメリカのフリージャーナリストで、さまざまな雑誌に寄稿するかたわら歴史、スポーツ、社会問題などに材を取ったノンフィクションや小説を発表しています。
「レッドブック」の創刊当初の記事は、有名作家の短編小説や芸能情報、ファッション情報などで占められていましたが、やがて社会問題や道徳に関する記事を主とする編集方針に切り替えられ、対象読者を既婚女性あるいは若い女性とし、さまざまな困難に立ち向かう女性の姿や知的成長を志向する女性についての話を掲載する総合雑誌となって行きます。
成功談や生き方の指針となる記事を掲載するという編集方針は、リーターズダイジェスト誌の方針とも合致していることにより、レッドブック誌の記事をリーターズダイジェスト誌に転載したものと思われます。
リーターズダイジェスト掲載の「イケヤ彗星の発見」は要約となっていますが、1967年に「The boy who redeemed his father's name; Kaoru Ikeya.」のタイトルでレッドブックマガジン社から出版されています。
「redeemed」は「取り戻す」という意味で使っていると思いますが、このままでは良くわからないタイトルになっています。邦題の「星によみがえる家名」も文章を読んで初めて納得するタイトルではないでしょうか。
記事内容を大雑把にいうと家庭の不和を克服し、母親の愛情に支えられて自身の夢であり目標である新彗星発見に挑み続ける少年、ということで、リーターズダイジェストの編集方針に完全に当てはまる成長・成功物語です。
さて、その「1963a」の発見事情は「天界第453号 1963年2月号」に池谷氏本人の手になる記事が掲載されていて、それによると彗星捜索は1961年の8月頃に始めたが、計画的に捜索するようになったのは1962年1月2日からで、この日を起点として「1963a」発見までについやした時間は135.5時間、捜索回数は109回にのぼる、とのこと。
使用望遠鏡は自作の21cmF6.7の反射望遠鏡、1963年1月3日午前5時05分、南東の空低く海蛇座π星の近くに光度約12等級の新彗星を発見。
天界記事は「発見事情」だけではなく自作望遠鏡についても記されていますが、望遠鏡自作の経緯や発見に至るまでの葛藤はリーターズダイジェスト誌により詳しく書かれ、さらに第2イケヤ彗星1964f、イケヤ・セキ彗星1965fについても書かれていますので、機会があればぜひ「リーターズダイジェスト」の一読をお奨めします。(天界の1963a記事は1963年3月号にも掲載されています。)
1963aは発見後徐々に明るさを増し1月5日の倉敷天文台の本田氏の観測で光度10等級、1月8日関勉氏の観測で9等級、1月22日・24日両日の明石市立天文科学館の菅野氏の観測で8等級となっています。しかし増光とは裏腹に1963aは日ごとに南下して地平線に近づき、2月初旬には日本からは見えなくなってしまいました。
・・・が、2月18日頃に再び北上、今度は夕方の南天に姿を現した1963aは光度4等級に達していました。
ニューメキシコでの観測によると2月18日光度4.2等/20日光度3.7等/21日3.9等/24~26日3.6等、とのこと。
右側の写真、3月13日撮影 7インチ・フッカー鏡使用 カリフォルニア州ロス・パドレスにて撮影
彗星はこの後徐々に暗くなり、4月中旬6等級、5月初旬7等級、5月下旬には光度9等級となっています。
余談ですが、池谷氏は当時19歳で、これは史上最年少の新彗星発見記録となっています。(5年後にアメリカのマーク・ホイテッカー(16歳)に記録を破られています。)