『南を見てくれ』 松下紀久雄著/占領下のシンガポール 昭和19年 (その3)

(2017年4月19日・21日の続きです)

松下紀久雄はスマトラでの取材旅行中、ボルネオ報道班への転属を命じられています。

スマトラの取材旅行からシンガポールへ戻った松下紀久雄は、取材で得たスケッチを「昭南日報」へ寄稿した後、ボルネオのクチンへと向かいます。

本書の「ボルネオの一夜」によると、クチン到着は「前田閣下」の葬儀の2~3日前ということで、昭和17年10月中旬~下旬にはすでにボルネオでの取材活動に入っていたものと推測されます。

前田閣下とは、前田利為(まえだ としなり)ボルネオ守備軍司令官のことで、昭和17年9月5日にボルネオ沖で搭乗機が消息を絶ち、のちに機の残骸と遺体が発見され葬儀が執り行われています。

著者のクチン入りはその葬儀の数日前であったため、葬儀参列に各地から参集した士官・下士官・名士でクチンの町は溢れ、宿を取ることに難儀した、とのこと。

『南を見てくれ』の第3章「ボルネオ」は、11のエピソードに説明付きの31点のイラストとヤギ・サル・ワニ・コウモリなどを描いた説明なしの9点のカットで構成されています。


記事タイトルは次のとおり。

ボルネオの一夜/サラワツクの歴史/久鎮の町/サラワツク川/イカンタマコ/樹間のコーヒー店/ボルネオの子/農民指導/兵隊さんの先生/クチンウヰスキー/海ダイヤ族


サラワツクはボルネオ島の西側の現マレーシア領サラワク州でクチンはその州都、イカンタマコとは空気呼吸が可能で陸上を移動することができる「歩く魚」のことで「キノボリウオ」のことだろうと思いますが、ものの本によると空気呼吸はできるが木に登ることはない、とあるものの、著者は木に登っているのを見たと書いています。
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日の丸を付けた船が行き交う「サラワツク川」 ↑

「兵隊さんの先生」は、ボルネオでも日本語教育がさかんで、学校では子どもたちが熱心に日本語を学んでいるという話、「ボルネオの子」のなかにも日本語教育の成果がさりげなく出てきます。

この「ボルネオの章」に限らず「シンガポールの章」「スマトラの章」の各エピソードに日本語教育とその成果が頻出します。

日本語教育が占領軍の重要施策で宣伝班の主要な任務であったことがよくわかると思います。

『南を見てくれ』の記事とイラストは、現地の風俗・住居・街角の様子・子どもたち・市場風景・遭遇した出来事などに始終し、戦闘場面などの軍事的なものは一切出てきません。
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クチン港町 ↑

これは著者の現地入りがシンガポール陥落後であり、従軍記者のように最前線取材ではなかったことと関連するものと思いますが、日本軍占領後の現地は安定しているということを伝えたいがための意図的編集に加え、著者の好みというか好奇心による記事内容とイラストレーションの選択が行われた結果ではないかと推測します。

また、政治・軍事的風刺画も現地新聞に寄稿したものと想像しますが、これらは『南を見てくれ』には1点登場するのみです。その1点についても「イギリスの国旗が描かれた旅行カバンを担いで葉巻を咥えたチャーチルが旅に出る」というもので、イギリス軍の降伏を描いているのでしょうが、敵意剥き出しで描かれているわけではありません。

敗者を侮蔑的に描こうと思えばどのようにも描けたでしょうがそうしなかった、少なくとも本書には掲載しなかったということは、著者のプロパガンダに対する考え方ないしは性格が表れているように思われると同時に、本書を「東南アジア紀行画文集」に仕立てたかった、という意図を感じさせられます。
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家には一軒一軒小さな橋がかかっている ↑ 右側のイラストは、「サラを食べるこども」 サラというのは色も白いし日本の甘酒のような物で、一杯サトセン(一銭)、の説明付き

第4章は「報道漫画について 序と編輯後記にかへて」で、3ページに亘って報道漫画を含む宣伝活動の重要性とその意義が述べられています。

その中から一部を転記してこの稿を終わります。

『・・・・、報道漫画の條件としては、その作家の深い観察から来る現実性であって、抽象的な理論や、自己の主観から来るものではなく、あくまで戦争遂行上の国家目的と同目標でなくてはならないと思ふ。』

報道班員の任務上、そのとおりなのですが、本書に限っては南方の珍しい光景を集めた画文集の趣きです。



『南を見てくれ』

著者: 松下起久雄(注・奥付の印刷のまま)
印刷: 昭和十九年八月十五日
発行: 昭和十九年八月廿日 第一刷
定価: 六圓
特別行為税相当額: 五十銭
売価: 六圓五十銭
出版会承認イ180100
2000部発行(3000部と印刷した上に2000部の紙片を貼付している)
15×21cm/204ページ

発行者: 松川健文
整版者: 光村原色版印刷所
印刷者: 光村原色版印刷所
発行所: 新紀元社
配給元: 日本出版配給株式会社

なお、「報道漫画について 序と編輯後記にかへて」の文章末尾の日付は昭和十九年六月で、「松下紀久雄」とあり、その肩書きは「建設漫画会」です。

また、この稿を書くにあたって「戦時下の古本探訪 こんな本があった」 ↓ 櫻本富雄著/インパクト出版会発行/1997年 を参考にさせて頂きました。
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by iruka-boshi | 2017-04-29 12:47 | Comments(0)