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JR九州日田彦山線の第二金辺川橋梁/キハ40、キハ147 平成28年7月31日

第二金辺川橋梁の竣工は、1915年(大正4年)で、近くの金辺隧道の工事と同様、大変な難工事で多数の負傷者が出たそうです。

金辺隧道の完成も大正4年ですが、工事着工は明治30年のこと。筑豊の石炭を小倉に輸送する目的で設立された金辺鉄道株式会社による工事でしたが、予想以上の難工事の連続で同社は明治33年に解散し、工事も中断。

その後、大正元年に小倉鉄道株式会社によって工事が再開され、大正4年に金辺隧道と第二金辺川橋梁の完成を得て、大正4年4月1日に東小倉~石田~上香春(現香春)、今任~上添田(現添田)が開業されました。
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画面左側が進行方向で採銅所駅方面、先頭車両はキハ40 8051、後続はキハ147 1043です。下流側から撮影。第二金辺川橋梁は通称「宮原六十尺鉄橋」と呼ばれているそうで、六十尺(約18m)は橋脚の高さに因んでいます。

橋脚の下流側は平面ですが、 ↓
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上流側は水圧を分散させるために尖頭形に石組みが成されています。 ↑ 三段に積まれた最下層の先端が三角形に突き出ていることがわかるでしょうか。

橋脚は三層に分かれた幅広の重厚な造りです。最上層を見て頂きたいのですが、橋桁は橋脚の半分に架かっているのみです。これは将来の複線化を考慮して幅広の橋脚を造った結果によるもので、当時も今も複線化されることはありませんでした。 ↓
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起点方橋台(採銅所駅・城野駅方面) ↓ 石の階段が設けられています。補強のため? 下流側から撮影
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起点方橋台(採銅所駅・城野駅方面) ↑ 上流側から撮影
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終点方橋台(香春駅・日田市の夜明駅方面) ↑ ↓
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第二金辺川橋梁 全景 ↓ 下流側より。
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塗装履歴など ↓
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金辺峠付近に源流を持つ金辺川は、香春岳の麓を沿うように西流し、途中、彦山川と合流、さらに遠賀川へと流入していきます。
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第二金辺川橋梁下より金辺川下流域を望む。葦などが茂り、この写真ではほとんど水面が見えていませんが、魚種は豊富なようです ↑ 2016年7月31日撮影
by iruka-boshi | 2016-08-02 14:19 | 航空機/鉄道/艦船 | Comments(0)