行橋市今川橋梁 平成28年4月2日
この今川に架かる「今川橋梁」は、平成筑豊鉄道の鉄橋とJR九州日豊本線の鉄橋の二つから成り立っています。
行橋駅を起点とする豊州鉄道の開業は、行橋~伊田間が開通した明治28年8月15日のこと。
豊州鉄道は行橋~長洲(現柳ヶ浦)を本線としていますが、本線開通よりも支線である行橋~伊田のほうが先に完成し、開通したこの日(8月15日)を豊州鉄道の開業日としています。ちなみに本線の開通は、明治30年9月25日です。
今川橋梁を上流側より撮影 ↑ 手前の橋梁は平成筑豊鉄道の鉄橋、行橋駅(画面左側)に向う883系ソニックは向こう側(下流側)のJR九州の鉄橋を通っています。
豊州鉄道は明治34年に九州鉄道と合併、その後、国有化され、豊州鉄道支線は国鉄田川線となり、さらにJR時代を経て平成元年に平成筑豊鉄道田川線と成って現在に至っています。
上流側(平成筑豊鉄道)の橋脚はコンクリート製ですが、↑ 下流側(JR九州)の橋脚はレンガ作りで豊州鉄道開業当時の姿を保っています。画像の右側が現在の平成筑豊鉄道の橋梁です。
橋桁の型式は、トラス構造を持たない「プレートガーダー」橋です。しかし、豊州鉄道開業当時は上部に弓形のアーチを持った「ボウストリングトラス」の橋が架けられていました。この「ボウストリングトラス桁」はドイツのハーコート社製(100フィート単線ポニーボウストリングワーレントラス/大正14年11月に撤去)だったそうです。
また、豊州鉄道支線より後に完成した本線側の橋桁も支線と同じ形式で、こちらは大正13年3月に架け替えられています。
明治初期の鉄道はイギリスやアメリカから招いた技術者の指導に頼って建設されています。明治5年の東京横浜間は英人エドモンド・モレルによるイギリス式、明治15年の北海道開拓使の幌内鉄道は米人クロフォードのアメリカ式などです。
しかし、豊州鉄道がドイツ式だったことは、明治20年に九州鉄道会社が技術顧問(のちに技師長)としてドイツ(プロイセン)から招いたヘルマン・ルムシュッテルの影響が多大であったことによるものです。
橋脚のレンガの積み方はイギリス式のようです。 ↑ レンガ積みの端は補強のために石材を用いています。
下流側の橋脚の縦面は平らですが、 ↑ 上流側は水圧を分散させるために三角形に造られています。 ↓ 画面右側が上流です。
行橋駅へ向かう平成筑豊鉄道の「なのはな407号」 ↑ 左方面が行橋駅です。
画面奥の中津方面へ向かう883系ソニック ↑ 今川橋梁の位置は、行橋・南行橋間25K004M28、支間22M900です。
上流側(平成筑豊鉄道)の橋梁の塗装歴など。 ↑
手前が平成筑豊のレール、奥の2本が日豊本線のレールです。
レンガと石と鉄で美しいフォルムを見せる今川橋梁です。