神代帝都考/挟間畏三著 (その1)

「神代帝都考」は現在、4種の刊本及び稿本が知られています。

(1) 明治32年、東京堂より刊行 「神代帝都考 全」 刊本1冊
(2) 明治44年脱稿、「増補訂正 神代帝都考」 稿本6冊
(3) 昭和39年 挟間章雄氏刊行 「神代帝都考」 (1)と(2)を合わせて1冊とし、刊行 函入り1冊
(4) (2)の異本 挟間畏三の次女の嫁ぎ先、岡枝家に伝わる稿本6冊 / (2)を収録した(3)の「増補訂正 神代帝都考」と内容が多少異なる。差異については、「増訂再版 神代帝都考解説/友石孝之著」に詳しく書かれています。

著者挟間畏三は、天保13年6月15日、豊前国京都郡岡崎に生誕、嘉永6年2月、京都郡上稗田の村上仏山の私塾「水哉園」に入門、その後さらに安政年間に豊後日田の広瀬淡窓の私塾「咸宜園」に入門しています。天保13年は1842年で、嘉永6年は1853年です。「水哉園」入門は12才のときでした。「咸宜園」から帰郷後は処士として過ごしていたようです。

「神代帝都考」の執筆開始は明治28年で挟間畏三53才の春のことです。

執筆の動機については「緒言」に書かれていて、今これを要約すると「神代の帝都の遺跡はもちろんのこと、皇祖の山陵を始めとして神代の皇室遺蹟はすべて当地にあるにもかかわらず、いつの頃よりか日向が天孫降臨の地であり、その地方一帯が帝都とされている。

そこで、『浅学ヲ顧ミズ 古典ニ徴シ 地名ニ照シ 詳細ニ記載シテ』、この書を公にし、『天下ノ識者ニ訴ヘ 輿論ノ判定ヲ乞ハント欲スル』」という具合です。

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明治32年刊 「神代帝都考 全」 ↑
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折り込み附図の「神代帝都全図」 ↑

上のほうに「筑前国遠賀郡」とあり、左側の鞍手郡の文字下に「頓丘」、左回りに「上野」「夏吉」「香春」「採銅所」「鏡山」の田川郡の地名、続いて「矢山」「岩熊」「宮原」「長川」等のみやこ町勝山地区の地名、「長木」「二塚」「延永」の行橋市地区名、「上片島」「浄土院」に続いて苅田町の地名が細かく書き込まれています。

全図の右端には関門海峡を隔てて「彦島」や山口県豊浦郡の地名が書かれています。挟間畏三が示す天孫降臨の地「高千穂」は「浄土院」の下に書かれた「襲髙チホ」です。

この全図は天孫ニニギノミコトとその一族の帝都の一部であって、その支配の範囲はさらに広く、豊前国を中心として宇佐・玖珠・日田を南限とする豊後国一帯、長門国豊浦郡、夜須郡・上座郡・下座郡・嘉麻郡等の筑前国一帯に及んでいました。
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全図の苅田町付近を拡大 ↑ 記入された地名の各地に神蹟がある、としています。

御空、雨窪、与原、蓋崎、小橋などが見えています。中央下の三つに分割された島は「神ノ島」でここも宗像三女神にかかわる神蹟地となっています。

続きます。
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by iruka-boshi | 2015-12-19 15:25 | Comments(0)