綱敷天満宮の天井絵/一式陸上攻撃機
なかには抱え大筒射撃の図などもあり題材のユニークさに興味は増すばかりです。
また、メジロやキジ、フクロウなどの鳥、リスやネコ、鯛やアザミの花などの動植物図、さらには打上げ花火の絵やスイカの絵などもあり、奉納の方々がいろいろな思いを込めて描いたであろう天井絵に心が動かされます。
そのような天井絵のなかで一際異彩を放っている絵がありました。第二次大戦中の「一式陸上攻撃機」です。
「一式陸攻」とも略される同機の初飛行は昭和14年10月で、海軍の制式採用は昭和16年4月です。この年は皇紀で云えば2601年に当たるため「一式陸上攻撃機」と命名された経緯があります。
奉納天井画の「一式陸攻」には「763-12」の機番号が描かれ、第763海軍航空隊所属の機体であったことがわかります。第763隊は昭和19年秋以降のフィリピン防衛戦の主力爆撃隊で、機番「763-12」の「一式陸攻」は昭和20年2月にフィリピンのルソン島クラーク基地で米軍に接収されています。
一式陸上攻撃機24型乙 第763海軍航空隊 攻撃第702飛行隊の「763-12」 ↑ の奉納画
天井絵はこの「一式陸攻」もそうなのですが、すべてに奉納者の名前・年齢・居住地名が書かれています。「一式陸攻」には奉納者名の下に70才とあり、東高塚と地名が書かれています。
東高塚は綱敷天満宮のすぐ近くです。しかも「一式陸攻」を運用する第762海軍航空隊が進出した築城飛行場は指呼の間。また、第706隊の「一式陸攻」が駐留した宇佐飛行場も飛行機の速さでいえばすぐそばです。
第706隊は「一式陸攻」と「銀河」からなる南西諸島防衛の主力爆撃隊で、昭和20年3月5日開隊、同年3月29日に沖縄戦に備えて攻撃訓練地の松島飛行場より築城と宇佐に進出展開されています。
沖縄戦では4月7日に発動された菊水1号作戦以降、第706隊・第762隊がこの地から「一式陸攻」で飛び立ち、第708隊(鹿屋)などと共に特攻戦を実施し、数多くの尊い命が失われるに至っています。また、第203隊(築城)も「一式陸攻」を運用していたこともあり、当地では割合馴染みのある機体だったのではないでしょうか。
「一式陸攻」の絵の端に「平成8年 模写」と書かれていますので、多分この年に奉納されたのでしょう。
そして年齢は70才と書かれています。・・・・ということは、終戦時、奉納者は20才前後であり、「一式陸攻」を頻繁に見ていたことだろうと想像します。
いや、むしろ「一式陸攻」の乗員あるいは整備などの従事者だったのかもわかりません。
奉納画の題材に「一式陸攻」を選んだことは、他者が窺い知ることができない奉納者のみが持つ特別の深い思い入れがあってのことでしょうが、「一式陸攻」の爆弾倉を改修してロケットエンジン搭載の有人ミサイル「桜花」を懸吊できるようにした「24型丁」の登場といい、それを実戦投入した非人間的な行い、投入せざるを得なかった当時の状況等々に想いを巡らせるにつけ、この天井絵は紛れもなく鎮魂の奉納画であることがわかります。