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国立科学博物館・渋川春海展/1965年 (その3)

2015年5月4日の続きです。

渋川春海の多くの業績のうち最もよく知られている事柄は、1684年(貞享元年)の「貞享の改暦」事業の達成ではないでしょうか。

春海はそれまで800年以上に亘って使われ続けてきた「宣明暦」に代わって、中国の元の「授時暦」の採用を幕府に提案します。1673年(延宝元年)のことです。

宣明暦は長く使われる間に誤差が蓄積され、実際の天行に対しズレが生じていたためです。

しかし、授時暦による1675年(延宝3年)5月の日食予報が失敗し、かえって宣明暦の予報が当たるという出来事があり、授時暦の採用には至りませんでした。

そこで春海は、自身で天体の位置観測を行い、授時暦を改良した「大和暦」を作成して1683年(天和3年)に再び改暦の提案をします。 ・・・が、多数が推す「大統暦(明の時代に授時暦を修正したもの)」に阻まれ、二度目の提案も受け入れられませんでした。そのため春海は大統暦と大和暦のどちらが優れているか実際の観測で比較することを提案します。

結果として大和暦の優秀さが認められ、翌年の1684年(貞享元年)に大和暦を「貞享暦」と名称を改めて正式に採用、1685年(貞享2年)から施行されることとなりました。

貞享暦の完成後も星の位置観測を続けた春海は、その観測値を「貞享星座」1巻にまとめ、さらに元禄時代にも位置観測を実施して「天文瓊統(てんもんけいとう)」に記録を収めました。天文瓊統の刊本は1698年(元禄11年)で、ここには中国古来からの星座に加えて春海自身が制定した星座の観測値も記されています。

そして翌1699年(元禄12年)、貞享星座や天文瓊統の記録をもとに嗣子保井昔尹(やすいひさただ)の名で「天文成象」が刊行されます。

天文成象は北極を中心とした円星図と赤道線を中央に引いた長方形の星図から成っています。 ↓
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渋川春海の制定した61の星座(308星)の名称の多くは古代律令制の官職名から命名されています。東宮傅、御息所、中務、刑部、鎮守府、玄蕃、釆女、などです。

東宮傅(とうぐうふ)、御息所(みやすんどころ)の命名者は春海ではなく、子の昔尹です。昔尹が命名した星座は全部で11座(東宮傅、御息所、松竹、萩薄、曾孫、玄孫、箙、鴻雁、天蚕、天俵、天帆)あります。

下図の中央はオリオン座の「参」で小三ツ星の下に「大宰府」があり、その左下に「小弐」があります。ともに春海制定の星座です。「玄蕃」はオリオンの上方、画面の上端付近にあります。オリオンの下方、画面の下端付近には「萩薄」が見え、「萩薄」の右側に「松竹」、左側に「曾孫」「玄孫」が見えています。
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また、下図で春海星座を探すと画面右端に「左衛門」があり、「左衛門」の左斜め上に「湯母」「湯座」「内侍」があります。「湯母(ゆおも)」は乳児にお湯を飲ませる役目の女性、「湯座(ゆざ)」は生まれた児を入浴させるためにお湯を用意する人のこと。湯母、湯座、内侍は、おとめ座・へび座・てんびん座あたりです。
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「内侍」のすぐ左に「天乳」がありますが、これは古代中国の星座で、天から降り注ぐ甘い露のことです。天下が平和であるときに降ってくる甘露だそうです。

ほかには中央上端に「兵部」、その左下に「鎮守府」、左端上部に「右京」、その右側に「軍監」等々が見えます。「宰相」「市正」「天湖」「采女」「腹赤」なども見えます。

「市正(いちのかみ)」は都の東西に置かれた市場を監督する役人(市司/いちのつかさ)の長官、「腹赤(はらか)」は【鱒】(ニベ、ウグイ、タイなどの異説あり)のことで、毎年正月の節会に大宰府から朝廷に献上されていました。

「天文成象」は渋川春海の恒星位置観測の集大成と言えるもので、のちに西洋天文学に基づく精巧な星図が舶載されたにも拘わらず、「天文成象」を元にした星図が幕末まで流布され続けました。

この稿の(1)に掲載した「天文月報 1965年9月号」の目次は以下のとおりです。(2015年4月30日に掲載)

渋川春海没後250年記念特集号
渋川春海没後250年にさいして・・・・・・・・・・・・・・渡辺敏夫・・・192
全国の理科教育センター(地学)の動き ・・・・・・・・・古賀政美・・・198
渋川春海の二至観測と消長法・・・・・・・・・・・・・・中山茂・・・・199
月報アルバム 渋川春海の墓、渋川春海の星図・・・・・・・・・・・・・203
天象欄  10月の天文暦、水星と金星の自転周期・・・・・・・・・・・・206
渋川春海の横顔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・広瀬秀雄・・・207
「春海」を求めて30年・・・・・・・・・・・・・・・・・安田辰馬・・・209
天文学将来計画・・・・・・・・・日本学術会議天文学研究連絡委員会・・・210
新刊紹介  コペルニクス・・・・・・・・・・・・・・・・薮内清・・・215
特別展  日本の天文暦学の先駆者、渋川春海展・・・・・・・・・・・・215

また、この稿の(2)(3)に掲載した星図は韓国の呉吉淳氏の復刻によるものです。
古代中国星座の解説は「中国の星座の歴史/大崎正次著/雄山閣/昭63年」を参考にしました。

なお、渋川春海展開催に合わせて国立科学博物館より江戸時代の天文暦学についての詳細な解説書が出されています。以下、目次のみ掲載します。
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「日本の天文暦学の先駆者渋川春海と江戸時代の天文学の歩み」
1.まえがき
2.渋川春海頃までの日本の天文暦学
3.渋川春海頃の略伝とその天文学
4.貞享改暦後の天文学
5.天経或問とその影響
6.宝暦の改暦
7.蘭学の勃興
8.麻田派の天文学
9.寛政の改暦
10.観測天文学の発展
11.暦局の活躍と高橋景保
12.測量術と伊能忠敬
13.地動説の導入
14.仏家天文学の興起
15.天保の改暦
16.太陽暦の採用
附.春海年譜
日本天文暦学史略年表
江戸時代天文暦学者略系統

10.観測天文学の発展 のページ ↓

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15×21.5cm/79ページ/渡辺敏夫著/国立科学博物館発行
by iruka-boshi | 2015-05-13 23:22 | 星の本・資料/星空 | Comments(0)