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国立科学博物館・渋川春海展/1965年 (その2)

2015年4月30日の続きです。

1670年(寛文10年)、渋川春海(当時は安井算哲)は、李氏朝鮮時代に製作された「天象列次分野之図」をもとに「天象列次之図」を版行し、さらに1677年(延宝5年)に「天文分野之図」を版行した。(この時は保井春海を名乗っていた)

「列次」とは星宿を配列順に図上に並べた、という意味で、「分野」とは、地上に存在する国々・地名と天の星々のある特定の領域が互いに密接な関係を持ち、呼応しているという考えに基づき、天上界の異変がそれに対応した地上界へ異変をもたらす、あるいは天上の星々はそれに呼応する地上世界の諸現象を司どっているとされるものです。

下図は「天象列次分野之図」で、「大角(牛飼い座アークツルス)」を中心にして一部拡大したものです。大角の上の山形の3個の星で作られた星座は「帝席」、その上の一列に結ばれた3個の星の星座は「梗河」です。「大角」は東方を守護する青竜の大きな角で綱紀を粛清することを司っています。「帝席」は古代中国の天子の座席のことです。
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「梗河」は川底が泥土で浅くなり船が通れなくなった河のことで、北方辺境の軍隊を司っています。大角の左下と右下はそれぞれ「左摂堤」「右摂堤」で、牛飼い座ζ・π・ο(左摂堤)、υ・ϊ・η(右摂堤)に当たります。摂堤の意味は諸説あって一定していませんが、「天神としての歳星(木星)の別名」という説があります。季節を定め吉凶を占うことを司っています。

この部分を「全天恒星図2000/誠文堂新光社」で見ると ↓ こうなっていて、「左摂堤」「右摂堤」「梗河(ρ・σ・ε)」「帝席(Boo 11・12・26)」の位置は現代星図とあまり違わないように感じられます。但し、星の明るさは無視して造られています。
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この牛飼い座の部分を渋川春海の「天象列次之図」で見ると ↓ こうなっていて「大角」と「左摂堤」「右摂堤」が「天象列次分野之図」と比べてかなり離れているように感じられますし、赤経線の位置も異なっています。
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同じく、「天文分野之図」ではこのようになっています。 ↑ 星の位置などは「天象列次之図」とほとんど同じですが、「分野」の記入が有るか無いかの大きな違いがあります。

下は「天象列次之図」の【酉】の部分、その下は「天文分野之図」の同じ部分です。
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【酉】を挟んで下から「播磨」「備前中後」「安芸・周防・長門・美作・伯耆」となっていて、これらの国々と各星座の相関が示されています。

「天象列次分野之図」の同じ部分は、「金牛宮(酉)趙之分」とあり、古代中国の戦国時代の趙の国名が書かれています。もちろん他の領域には「魏」「秦」「楚」などのほかの国名が書かれています。

ちなみに「天文分野之図」の星座名は周縁の【酉】に近い部分から、「天園」、天園の文字の左側の楕円形の星座は「九州殊口」、その上の大きな楕円形で下端が繋がってない星座は「天苑」、天苑の文字の左側の同じく下端が繋がってない変形楕円は「天囷」、その下「天陰」、その下は「天節」などとなっています。

「天園」は天子の所有する植物園、「九州殊口」は古代中国の九つの州に置かれた通訳官のこと、「天苑」は天子所有の大きな動物園のことで、ここで多くの鳥獣が飼育され、狩猟や客をもてなす施設となり、軍事訓練の場所ともなったところです。

「天囷(テンキン)」は、円い形の倉、農作物収蔵庫で天子の食糧を司ります。 「天陰」は、曇って薄暗い空、薄明、黄昏の意味で、天子に従って狩猟する臣下を司る星座です。「天節」は、天子の使節(使者)のことで、天子の使者であることを示す割符、旗などを「節」といい、天子の威徳を広げることを司っています。

(つづきます)
by iruka-boshi | 2015-05-04 11:51 | 星の本・資料 | Comments(0)