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国民科学 昭和21年11月号 天文特輯 第8巻第7号/科学社発行

「国民科学」に似た名前で「国民科学グラフ」という国防科学、乃至、家庭科学を扱った科学雑誌があります。

「国民科学」の創刊は昭和14年(1939)、「国民科学グラフ」は少し遅れて和17年(1942)の創刊で、こちらは時節柄、当時の軍部の意向を反映した科学雑誌でした。

「国民科学グラフ」は当初、日刊工業新聞社が発刊元でしたが、創刊翌年の昭和18年からは国民科学社が発刊元になっています。「国民科学グラフ」の顧問には「科学画報」「子供の科学」の原田三夫が就き、自身も「国民科学グラフ」へ寄稿しています。

「科学画報」の創刊は大正12年(1923)で、「子供の科学」はその翌年創刊です。

「科学画報」「子供の科学」以前では、すでに大正2年(1913)に「現代之科学」、翌年「自然科学/改造社」が創刊され、すぐれた科学記事を掲載していましたが、大正6年(1917)創刊の「子供と科学」「少年科学」を経て、大正12年(1923)に「科学画報」「子供の科学」が創刊されたあたりから科学雑誌への注目度が高まりはじめ、その後、昭和4年(1929)「面白い理科」、昭和6年(1931)「科学/岩波書店」、昭和9年(1934)「面白い科学」、昭和11年(1936)「科学ペン」、昭和16年(1941)「科学朝日」「図解科学」「科学文化」、翌年「科学日本」等々が陸続と創刊されるに至って、のちに『第一次科学雑誌創刊ブーム』と呼ばれる活況を呈するようになります。

本日の「国民科学」は上記のように第一次世界大戦の終結前後から第二次大戦終結までの間の『第一次科学雑誌創刊ブーム』に誕生した幾多の科学雑誌のなかのひとつではあるものの、表面的・通俗的な科学記事掲載に終始することなく、高度な内容も含む科学啓蒙誌となっています。

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「11月号天文特輯」の表紙 ↑ 1937年6月8日 ハワイとフィジーのほぼ中間に位置するフェニックス諸島カントン島にて米海軍日食観測隊によるコロナスケッチ

このときの皆既日食は、 南太平洋東部から南アメリカ西岸を通るもので、皆既継続時間は20世紀第2位の長さの7分4秒でした。カントン島では皆既3分33秒。

表紙の左下の図は、水素原子4個からヘリウム原子1個がつくられる核融合を描いています。
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国民科学11月号の目次 ↑↓ 「天文特輯」とあるものの関連記事は4本のみ。 しかし執筆者4名「古畑正秋・廣瀬秀雄・畑中武夫・村山定男」の諸氏はいずれもビッグネームの方々です。
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それぞれの記事の小項目を列記します。

天体観測の発達と限界-古畑正秋
●望遠鏡の発達
●望遠鏡の限界
●200吋望遠鏡の威力
●観測方法の進歩
●観測を制限するもの

星の軌道はどうして計算されるか-廣瀬秀雄
●計算天文学と計算技術
●星の軌道の計算法
●軌道と摂動計算の意味

書きかえられた天文学-太陽コロナと星の進化論-畑中武夫
●コロナの光
●コロナ輝線の本体
●新しい謎
●コロナと原子核
●原子核と太陽
●原子力機関としての太陽
●星の進化

誰にでも出来る天体望遠鏡の作り方-村山定男
●小項目はありません。 オプチカルベンチの作り方とこれを用いた望遠鏡の作り方が書かれています。
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他にコラムとして「原子のスペクトル/原子分裂とエネルギー」の2本があります。

下図は電離層観測ロケット「ワック・コーポラル Wac Corporal」の解説ページです。

ワック・コーポラルはアメリカ初の高高度観測用ロケットで到達高度は約70㎞です。最初の打ち上げは1945年10月1日ですが、その前にワック・コーポラルのブースターとなるタイニー・ティムロケットの試射がニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル実験場で実施されています。(1945年9月16日/9月26日)
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WAC(ワック)は、(Without Altitude Control・無誘導)の略で飛行制御ができないことを意味しています。また、俗に陸軍女性部隊(Women's Army Corps)の頭文字ともいわれていました。開発チームでの呼称は「リトルシスター」です。

ロケット先端近くに流星塵とオゾンの採取口があり、その下に前部パラシュート格納部があります。その下には後部パラシュートに取り付けられた宇宙線と紫外線の計測装置があり、さらに下に赤外線検出器や太陽スペクトル分光写真器などがあります。

「ライターのいろいろ」の図版より ↓ さまざまな形状のライターや火縄式ライター・マッチ式ライターなどを紹介し、使いやすさなどを含めて解説しています。
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裏表紙見返しの広告 ↑ 科学雑誌に「映画広告」や「大菩薩峠」は似つかわしくないようですが、「国民科学」が大人向けの雑誌だったということでしょう。

「五球スーパー式ポケットラジオ受信機」の記事などは英語の勉強のためなのか、冒頭部分は英文ですし・・・・。

広告の左端人物は女優の高峰三枝子さん。 高峰さん主演の「今ひとたびの」は、第2回毎日映画コンクール(1947年)の作品部門で日本映画大賞を受賞してますね。・・・科学雑誌紹介の本日記事とは何の関係もありませんが。

進駐した機関車/米国製42頓電気機関車 ↓ 1945年ゼネラルエレクトリック社製 大阪に1台、東京に7台あり、米国進駐軍から運輸省に貸し出している、そうです。8気筒180馬力とのことで、以下こまごまと性能などが書かれています。記事タイトルは電気機関車ですが、「発電機を搭載したディーゼル機関車」です。
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国民科学 第八巻第七号
昭和二十一年十一月一日発行(毎月一回一日発行)
編輯兼印刷者発行人 倉本長治
発行所 東京都京橋区銀座西八ノ九 科学社
印刷所 新日本印刷株式会社
18.5×26cm/44ページ/定価四円

編輯兼発行人の倉本長治さんは、のちに雑誌「商業界」の主幹として活躍された方です。

氏は、旧態依然とした小売業界に近代的な経営理念導入を提唱し、また、スーパーマーケットやチェーンストアをいち早く我が国に紹介するなどの活動で日本の商業界に大きな影響を与えた方ですが、なんでまた畑違いともいえる科学雑誌の編集者なのか。「科学画報」「子供の科学」の原田三夫の自叙伝「思い出の七十年/誠文堂新光社」にこうあります。

『翌昭和十年私は「科学画報」の宣伝のため、当時同社発行『商店界』の編集長であった、いまの「商業界」の会長倉本長治と、全国をまわり大都市で講演映画会を催した。』

文中の同社とは誠文堂新光社のことです。原田三夫は「科学画報」「子供の科学」発行後、しばらくして誠文堂新光社と折り合いが悪くなり、その後、長い間絶縁状態となりましたが、昭和9年に原田の雑誌「面白い科学」が「子供の科学」に合併吸収されたことを機に、再び誠文堂新光社に顧問として入社しています。

そして、再入社の翌年、倉本長治とともに映画「宇宙の驚異」を全国で上映し、講演会を開いて「科学画報」を宣伝した、ということです。

「国民科学」が創刊され、その編集人に倉本が就くのは全国公演から数年後のことですが、「国民科学」の創刊や編集人倉本の就任には原田三夫が何らかのかたちで関与したのではないかと推測します。あくまでも推測ですが。

いるか書房本館にUPしました。→ ここです。(9/6日ウリキレです)
by iruka-boshi | 2014-08-20 23:29 | Comments(0)