ボーイングY1B-17の絵葉書 1938年

ニューヨークの高層ビル街を往くY1B-17♯80 左側のビルはアメリカン・インターナショナル・ビル、写真の下端にイースト川に架かるブルックリン橋の橋脚上部が見え、写真左端上部にマンハッタン橋が見えています。撮影は1938年2月15日、米陸軍の公式写真をもとに制作した絵葉書です。
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Y1B-17の原型のボーイング「モデル299」の初飛行は1935年7月28日、各種テスト飛行ののち陸軍に引き渡すとき、ボーイング社のシアトル飛行場からオハイオ州デイトンのライト飛行基地まで3300㎞を無着陸で飛行し、しかもその間、平均時速400㎞以上を記録、当時の北米大陸横断の記録を塗り替える優秀さを示した。

しかし、陸軍でのテスト飛行中、人為的ミスで墜落、炎上大破。採用機種として最終評価を得ることが出来なかったが、機体の優秀さを認め、陸軍はボーイング社に対して機体強度確認用の破壊試験機1機を含む全14機を発注、モデル299搭載のエンジンをより強力なものに換装後、Y1B-17と命名。初飛行は1936年12月2日でした。(破壊試験機はのちにターボチャージャー搭載機として改造され、Y1B-17Aとなった/初飛行は1938年4月29日)

Y1B-17はさまざまな条件下で優れた性能をあらわしたが、米軍上層部は長距離爆撃機の必要性を認めず、米議会は機体購入費の高額に難色を示し正式に採用されるかは先行き不透明だった。第2爆撃大隊指揮官ロバート·オールズと隊員たちはY1B-17を広く国民に認知してもらうことが必要と感じ、その一環として「南米親善飛行」を計画した。

1938年2月15日、バージニア州ラングレー基地を離陸した6機のY1B-17は最初の経由地マイアミに向う途中、ニューヨーク市上空を通過。絵葉書はその時のもので、編隊を組む6機のうち、第2爆撃大隊・第49飛行隊の♯80機が写されています。

マイアミを離陸した各機は15時間後にリマのパンアメリカン・グレース・エアウェイズの飛行場に到着、リマで歓迎会など各種行事に参加後、サンチャゴを経由して、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着。予定通り1938年2月20日にアルゼンチンの新大統領ロベルト・マリア・オルティスの就任式に参列し帰投についた。

帰還時はリマで給油したのち、パナマ運河地帯を行くコースを取り、この地区のフランスの飛行基地で再び給油、2月27日にラングレー基地に着陸し全行程を終えた。

ラングレー基地には陸軍長官や陸軍参謀総長をはじめ大勢の人々が歓迎のために待ち受け、親善飛行の当初の目論みは成功を見た。しかしさらなる有効なデモフライト目標を捜していた飛行隊は1938年5月12日にいわゆる「レックス号仮想索敵飛行」を試みた。

ニューヨークの東海上1167㎞を航行中のイタリア客船「レックス号」を目標として往復飛行を行うというもので、3機のY1B-17を使って密雲のなか、広大な洋上ただ一点の客船を見つけ出す難業に成功し、Y1B-17の高い任務遂行能力をさらに示すこととなった。南米親善飛行に参加した♯80はこのレックス号仮想索敵飛行」にも参加している。

しかし、この飛行に対して海軍から沿岸防衛の管轄権の問題で激しい非難を受けることとなり、陸軍飛行隊と海軍との間にあった従来からの対立がより一層深刻化するという思わぬ事態を招く結果となった。このときの参加機は♯80の他、♯81、♯82の3機だった。

さらに♯80は♯51・♯62とともに1938年8月5日~11日のコロンビア親善飛行にも参加しています。このときの機長はカレブ・V・ヘインズ、♯51は機長ビンセント・J・メロイ、♯62は機長ハロルド・L・ジョージだった。ちなみに♯80には当時中尉だったカーティス・E・ルメイも搭乗していました。

飛行隊はこれらのデモフライトのほかにも例えば1937年にニューヨーク市で開催された米国在郷軍人大会で市の上空を編隊飛行するなどの示威活動を展開し、Y1B-17の存在と優秀さを様々なかたちで政府・議会・国民にアピールし、長距離爆撃機の必要性を盛んに喧伝しています。

飛行隊の示威活動はB-17が制式になったのちも行われており、1939年11月のB-17Bの7機によるブラジル親善飛行(ブラジル共和国建国50年記念式典)などを挙げることが出来ます。

アメリカの航空兵力は第二次大戦の直前までドイツのそれと比較して格段に劣っており、敵国の航空機生産ラインそのものを破壊する戦略が台頭してきたこともあって、何としても高性能の爆撃機B-17を大量に保有すべく、そのためには国民の理解と支持を必要とし、一連のデモフライトを行ったとみることができると思います。

本日のY1B-17♯80の絵葉書もその大衆向けアピールの一環として作られたものと思われます。

Y1B-17♯80
★アメリカ陸軍航空軍番号:36-151
★製造番号:1975
★機体記号:BB80
★ボーイング社番号:モデル299B
★1937年3月11日バージニア州ラングレー基地 第2爆撃大隊 第96飛行隊
★1937年3月28日バージニア州ラングレー基地 第2爆撃大隊 第49飛行隊
★1940年10月カリフォルニア州マーチフィールド基地   第19爆撃大隊
★1942年11月21日にテキサス州アマリロの陸軍航空技術学校へ移籍ののち、1943年1月5日に登録抹消されています。

ところで裏面の通信欄の消印は、1906年9月27日となっています。「1906」が西暦年とすれば、この日付はかなり不思議。消印局はカリフォルニアのサンアンセルモです。
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宛先は、京都市南桑田郡河原林村勝林島で差出人の名前は見当たりません。日本国内で押された思われる消印は全く判読不明。貼られていた切手は剝がしたようです。
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切手を貼るスペースには国内1セント、海外2セントと印刷されています。
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さらに、ところでですが、ネットをさまよっていると「TWO CENTS」には「2セントしか持っていない、つまりつまらない意見ですが・・」の意味を含めて表現する時もある、との記述に出会いました。まさに拙ブログのようでTWO CENTSですが・・・。
(追記:絵葉書の機体のエンジンナセルの上に棒状の何かが見えますが、これは何でしょう? )

掲載絵葉書は「いるか書房本館」にて→発売中です。
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by iruka-boshi | 2014-05-01 09:24 | Comments(2)
Commented by 蛇の目オヤジ at 2014-06-17 11:05 x
Y1B-17のナセル上の筒の中には排気管が通っており、最後部に排気口がありナセル上面から排気されます。また、この筒の前端は開口部となっておりますが、排気管の冷却のためでしょうか?理由は不明です。
Commented by iruka-boshi at 2014-06-18 12:08
ご教示ありがとうございます。筒の前端が開いているようにみえましたので排気口ではないと思い、何らかの測定器とか冷却装置の一部とか、いろいろ想像していました。目立つところにあるだけに気になっていました。ありがとうございました。