「昭和13年早生まれ」/佐藤健 著

拙ブログ2012年6月12日の「広島市こども文化科学館にて」の中でちょっとだけS氏のことに触れていますが、本日はその後(広島市こども文化科学館訪問後)、当のS氏からご恵贈いただいた自伝「昭和13年早生まれ」の紹介です。

「広島市こども文化科学館にて」では「S先生」と書かせて頂きましたが、下の写真をご覧頂ければすぐわかるように「S先生」とは「佐藤健先生」です。拙ブログ掲載に当たって表紙写真使用を快諾してくださった佐藤健氏に感謝申し上げます。

「昭和13年早生まれ」は大きく三つの章に分けられています。ページ最大量は全215ページのうち三分の一を占める「第1部:昭和13年早生まれ」で、出生から幼年期・少年期・青年期の想い出・エピソードと近況、それに「ジャコビニ流星雨」の韓国遠征観測顛末や皆既日食観測の海外遠征の想い出などが綴られています。
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続く第2部は「楽々園プラネタリウム始末記」として7ページを割いて同プラネタリウム設立から終焉までを当事者の眼を通して詳述され、我が国のプラネタリウムの歴史の一端を知る上での貴重な記録となっています。

第3部は、「東亜天文学会と共に50年」で入会の頃の想い出や山本一清氏急逝のこと、熱心に取り組まれた木星観測のこと、人工衛星スプートニクの観測、アポロ飛行士との月面共同観測、広島市こども文化科学館のこと、等々、どこから読み始めてもたいへん楽しく、また興味深い内容が語られています。

第3部の小見出しを記します。

1.東亜天文学会(OAA)への入会
2.山本一清先生のこと
3.山本先生の急逝
4.星についての最初の記憶
5.最初の望遠鏡
6.私の木星観測事始め
7.木星観測の先輩達
8.木星共同観測の推進
9.私の国際交流
10.村上忠敬先生と私
11.荒木宏司さんと田辺健滋さんのこと
12.史上初の人工衛星「スプートニク」の観測
13.楽々園プラネタリウム
14.病気入院のお陰で発見出来た月面の巨大な皿状凹地
15.アポロ飛行士との月面共同観測
16.飛行中のアポロ宇宙船を地球から見る
17.広島市こども文化科学館
18.プラネタリウムの投影
19.少年少女プラネタリウムクラブ
20.美しい星空を守る美星町光害防止条例
21.敗者のいない戦い「光害防止活動」
22.小惑星に名前を付ける

最後の「小惑星に名前を付ける」と少しばかり関連するのですが、第1部~3部とは別に「付録」があって佐藤氏が命名を提案した小惑星の詳細と命名由来、「小惑星2247番ヒロシマ」の命名、「星になったサダコ」が掲載されています。付録はこのほかに「火星の佐伯クレーター」と「私の目の玉のなかのゴミ」があります。

さらに第5部といっても良いくらいのボリュームで「写真等の資料」「佐藤健のプロフィール」「第1部の補遺」「あとがき」があります。
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↑ 「写真等の資料」より「大分県中津市洞ノ上の『岩井崎横穴古墳群』と右から正義、健、康臣」の各氏。

写真の説明に『土地の人は防空壕跡とか山賊の隠れ家の跡とか言っていたが、佐藤正義が古墳群であることを明らかにした。』とあります。

少し補足すると、福岡県生まれの父正義氏は旭化成坂ノ市工場(大分市)を定年退職後、中津市に移り住み(したがって当時大学生だった健氏の帰省先は中津市だった)、趣味の郷土史調査に基づいて「郷土ひとりある記/1966年」「中津三保村史蹟散歩/1977年」を上梓されています。そのため岩井崎横穴が正しく古墳群であることを見抜ぬくことが出来たのだと思います。

右側の太陽コロナは1976年オーストラリア皆既日食時のもの、その下は廿日市市の自宅前から見たヘール・ボップ彗星、左ページ下は延岡中学校で講演中の佐藤健さん。(佐藤氏は幼年期・少年期を延岡で過ごしている)

続きます。
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by iruka-boshi | 2014-01-24 13:29 | 星の本・資料 | Comments(0)