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東犀川三四郎駅

(7月29日の続き、のようなものです)
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終点の行橋駅を折り返した「なのはな号」は、しばらくの間「今川」の流れに沿って進行しますが、新豊津駅を過ぎたあたりより徐々に川から遠ざかり、やがて広々とした田園地帯の中に位置する「東犀川三四郎駅」に到着。
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田んぼの真ん中の無人駅舎。遠くに彦山(英彦山)を含む大分・福岡の県境の山々を望みます。
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駅舎内に駅名由来の説明板が掲げられています。江戸期以前は、この地方の東側を「東郷」と呼んだのに対し、こちら側一帯を「西郷」と呼んだそうです。

ところで、「漱石全集 月報4」に河野與一の「『三四郎』で思出す事ども」に載っていた文章。

英文学者藤島昌平の語ったこととして、

「夏目さんの早稲田南町のお宅の二三軒先に、一頃 物理学者の田中三四郎といふ、後で山形高等学校の教頭を永くお勤めになった方がゐて、夏目さんは出入りにその標札を眺めてゐた挙句、御本人の諒解を得て主人公の名に使った」そうで、このことをご存じの方は大勢いらっしゃるでしょうが、架空の名前と思っていた私は妙に感心しました。

漱石はよくよく物理に縁があるなあ、とも思ったものです。いったいに漱石の作品に物理を語る場面がよく出て来るのはご存じのとおり。

例えば三四郎の友人与次郎の勧めで精養軒の会へ出席し、光の圧力の実験を行っている野々宮の話しに耳を傾ける、その場面。

光の圧力にどうして気がついたのか、と質問された野々宮は、「理論上はマクスエル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人が始めて実験で証明したのです。

近頃あの彗星の尾が、太陽の方へ引き付けられべき筈であるのに、出るたびに何時でも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思い付いた人もある位です」と答えています。

このような文章にあちこちで出会うのですが、その都度さまざまな「知りたいこと」が湧いてきます。この短い文章のなかでもふたつばかり。

ひとつは、「吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思い付いた人」は誰なんだろう、ということと「近頃あの彗星」とはどの彗星なんだろう、ということ。

「三四郎」が朝日新聞に連載されたのは、1908年9月から12月までのことですから、1910年出現のハレー彗星ではないですね。

となると、漱石15才の9月に現れた「1882年の大彗星」のことなのか、あるいは漱石が生まれる9年前の大彗星「ドナティ彗星(C/1858 L1)」やその3年後の「テバット彗星」を指しているのか、または全く創作上のことなのか。「近頃」というのは彗星出現のことを言ってるのではなく、「近頃思いついた人」がいる、と言ってるのか。

そのうち気が向いたら調べてみようと思うものの、「そのうち」がやって来たことが無いのが今までの例です。
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三四郎
新潮文庫/昭和23年10月25日発行/昭和62年5月25日100刷
カバー画:安野光雅

(追記)
『吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思い付いた人」は誰なんだろう、ということ』については、2011年8月22日の拙ブログに「ケプラー」ということで書きました。
by iruka-boshi | 2011-07-31 15:05 | 航空機/鉄道/艦船 | Comments(0)