霧の子孫たち 新田次郎著 文春文庫
このうち、霧ヶ峰有料道路は霧ケ峰線・八島線・美ケ原線に分けられ、最初に完成した霧ケ峰線の使用開始は昭和43年7月のこと。
霧ケ峰線の建設と併行してその延長線の八島線建設が長野県議会にかけられ、昭和43年2月に県議会議決、建設が決定された。
「霧の子孫たち」は、その八島線建設のための測量場面から始まる。霧ヶ峰高原の強清水から和田峠・美ケ原へ抜ける八島線には途中、旧御射山(もとみさやま)遺跡や天然記念物に指定された八島ケ原高層湿原が広がっている。ここに道路を通そうと言うのだ。
遺跡の記録保存を委託された考古学者宮森栄之助は、観光道路建設に憤りを感じつつもどうしようもない無力感に襲われていた。
しかしこのまま見過ごすこともできず、自然と文化を守る会のメンバー十人ばかり、宮森の書斎に集まり議論を戦わせているところへ宮森の親友青山銀河が現れる。
「青山銀河は諏訪市内で産科婦人科の病院長をしていた。彼は医師としてより、アマチュア天文学者として名が知られていた。彼の病院の三階の屋上には二十五センチ反射望遠鏡が置いてあった。」(霧の子孫たち 文春文庫より)
文春文庫版の「あとがき」で著者は、「有料道路反対運動に立ち上がった藤森栄一氏は考古学者であり、青木産科婦人科病院の院長青木正博氏はアマチュア天文学者であり、牛山正雄氏は諏訪清陵高校の理科の先生である。三人とも私の古くからの友人であった。」と記し、実在のモデルを明かしている。
他にも小説内では多くの実在人物がモデルとなって活躍している。それほど自然破壊を伴なった道路建設に地元をはじめ、大勢の人々が関心を示していたということであろう。「霧の子孫たち」は、自然保護の住民運動を題材とした作品のひとつとして現在でも広く読み継がれているようです。
日本の天文台/天文ガイド別冊47ページより 「青木天文台」と青木正博氏 3メートルドームに西村製25センチ反射望遠鏡を設置。
左の写真はふたつとも、氏が建設に尽力された塚原学園天文台のドーム遠景とドーム内望遠鏡。
霧の子孫たち
著者:新田次郎
発行:978年3月25日 第1刷
発行所:文藝春秋
文春文庫/238ページ/解説:巌谷大四
ところで、小説中、「菊谷一雄が立ち上った。諏訪天文気象学会の代表者で(中略)菊谷は十六歳のときに新星を発見して以来、アマチュア天文学者として、世界的に名の通った男であった。」とあり、「あとがき」で取材協力者のひとりに五味一明氏の名を挙げているので、多分、菊谷のモデルは五味氏なのだろうが、他の作中人物の名が実際の名前に似せているのに比べ、ちょっと違いすぎるような・・・。菊谷一雄のモデルは他の人物なのだろうか。
名前の床屋さんを営んでおられましたが、
ひょっとしてこの辺からは、都合よすぎるかな?
コメントを有難うございます。
「菊床」、そうなんですか。
床屋談義というかここでも道路建設の活発な意見が飛び交ったことでしょうね。
そう言う場面も小説内にあると、また違った展開になったでしょうね。
菊谷一雄の小説名は「菊床」からでしょうね。きっと。これでスッキリしました。