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サクランボ

今年も我が家のサクランボの木、大量の実をつけてくれました。毎年、食べごろを見定めるうちにいつの間にか鳥たちに食べ尽くされてしまう。今年はそうならないうちに、先ず写真を1枚。

「私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、櫻桃など、見た事も無いかも知れない。食べさせたら、よろこぶだらう。蔓を絲でつないで、首にかけると、櫻桃は、珊瑚の首飾のやうに見えるだらう。」(太宰治・櫻桃 より)
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「子供より親が大事と、思ひたい」、で始まる太宰治の「櫻桃」が発表されたのは、昭和23年5月のこと。前記の引用文はその終わり近くの数行。

この年、太宰は1月に「犯人」「酒の追憶」「饗応」をそれぞれ中央公論・地上・光の各誌に発表し、3月に「美男子と煙草」「眉山」「如是我聞」を日本小説・小説新潮・新潮に発表するかたわら最後の小説となる「人間失格」の「第二の手記」までを書いている。「第三の手記」の執筆は4月で完成は5月上旬。

続いて5月中旬頃に朝日新聞連載予定の「グッド・バイ」を書き始め、下旬に連載10回分まで完成。そして翌月6月13日、山崎富枝と共に玉川上水に入水。死体が発見されたのは19日になってからのこと。奇しくもこの日は太宰39歳の誕生日でもあった。

太宰の忌日を「桜桃忌」名付けたのは太宰と同郷の作家の今官一で、その命名由来は作品「櫻桃」にあることはご存知のとおり。

蛇足ながら「桜桃忌」の6月19日は忌日であって命日ではない。遺書数通を愛人山崎富枝の下宿に残し、夜更けの町へと出て行った6月13日を命日としている。

富枝の部屋には妻宛の遺書のほか3人の子供たちへの玩具、それに「グッド・バイ」10回分の校正刷と伊馬春部に遺した伊藤左千夫作の短歌を記した色紙があったという。

妻美知子への遺書には「あなたをきらいになったから、死ぬのでは無いのです。小説を書くのが、いやになったからです」と書かれていた。

「桜桃忌」にはまだ日も早いうえ、言わずもがなを書き連ねたのも庭のサクランボを見たところからの単純な連想に過ぎません。

小説「櫻桃」にはこうも書かれている。「子供が夜中に、へんな咳(せき)一つしても、きっと眼がさめて、たまらない気持になる。もう少し、ましな家に引越して、お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻らないのだ。これでもう精一ぱいなのだ」

太宰自身と思われる「櫻桃」のなかの「父」は、家の中の憂鬱から逃れ、ひとり、酒場で桜桃を食べ続ける。食べに食べてこうつぶやく。「子供より親が大事、と思ひたい。子供よりも、その親のはうが弱いのだ」

無頼派と呼ばれた太宰治もきっと子供たちには桜桃を食べさせたに違いない。
by iruka-boshi | 2011-05-21 12:19 | いろんな本 | Comments(0)