岐阜市プラネタリウム遊園地
遠くに雪を頂いた山々を眺め、眼下には人々のざわめきが聞こえてきそうな大きな市街地。街を見下ろす高台に位置するプラネタリウム風景は、現実世界から遊離されている感があります。
観覧車や飛行塔(子供たちを乗せてグルグル回るやつですよね。)などが併設されていたそうで、ここを訪れた皆さんは非日常体験を大いに楽しんだことでしょう。
プラネタリウム開設は1958年(昭和33年)4月で1984年(昭和59年)まで開業していました。使用投影機はドイツ製カール・ツァイス・イエナZKP-1型で、世界中に257機も納入された名機です。日本にはそのうち2台が輸入されました。最初の1台はこの「プラネタリウム遊園地」、2台目は旭川市青少年科学館で1963年(昭和38年)のことです。
投影機を収めたドームの大きさや観客席の数などを調べるため、手元にある「日本プラネタリウム一覧」(全国プラネタリウム連絡協議会・1977年発行)を見ましたが「プラネタリウム遊園地」は載っていませんでした。
それで、同じZKP-1型使用の「旭川市青少年科学館」の昭和52年のデータを見るとドーム直径8メートルとありますので、ここも同じくらいではなかったかと思います。観客席は80席くらいでしょうか。もっとかな?
画像は絵葉書の風景面のみ掲載しましたが、同じ面の右側に2行にわたって説明文がありますので、そのまま書き写します。
「金華山南連峯の水道山に新設されたプラネタリウムは 日本唯一の東ドイツ・カール・ツアイス中型投影機を使用し、実際と少しも変らぬ美しい星空を現出する。」
敷地の右端に見える塔が「飛行塔」でしょうね。観覧車は写っていませんが、どこにあったのでしょう。そもそも、この遊園地は民間経営だったのでしょうか、岐阜市などの公的機関が運営していたのでしょうか。正式名称は「プラネタリウム遊園地」でいいんでしょうか。
知らないことだらけのプラネタリウムですが、この絵葉書、見れば見るほど、下界とは全く次元の異なる世界、一歩足を踏み入れると帰ることが出来ない未知の空間を映し出しているようで不気味でさえあります。階段を上っている人影三名、無事に現実世界に戻ることが出来たでしょうか。
星辰を観想し、美徳を宇宙の調和に共鳴させる場がプラネタリウムの人文学的起源なのでしょうか。
規則正しく運行する諸惑星に天上界の秩序を認め、その規則正しい動きを音階にあらわしたものをオルフェウスが竪琴を奏でることによって聞く人々に秩序を与え、精神を沈静化し、人間界に秩序と平安をもたらす、と理解してよいのでしょうか。オルフェウスの奏でるメロディ(それぞれの惑星の特性をあらわすメロディ)によって精神が昂揚したり鎮静したりの効能?がある、と思ってもいいんですよね。
現代のプラネタリウムでの体験も同じ作用があるように思えます。音楽が流れていますし。(この逆で行くと、たとえば天上界の秩序を乱す彗星の出現とか新星の出現をメロディで表す、という技法(旋法)もあるのでしょうか。)
私もこの絵葉書を一見して同感でした。階段(図5、知的美徳の神殿を彷彿させます)の3人は何か秘儀参入に向かっているようにも見えます。このプラネタリウムの全体はルネサンス都市論を思わせます。
星の音型の一つは旋律の最高音で表します。新星はティコと同じルドルフ2世の宮廷にいたレオン ハスラーのスコアを探すとあるかもしれません。しかし天上界のオクターブはそれに左右されない普遍的世界だと考えられていたようです。
私は岐阜市生まれの40代ですが、小学生のときに母親とこのプラネタリウムに入ったことがあります。
ひな壇状で円形に並んだのイスの数が結構多く感じたのは、子供だったからでしょうか・・・?
なお、観覧車はあったような気がしますが、そんなに大きなものではなかったと思います。
そのときのアクセス方法は、「ロマンスリフト」と名づけられた、スキー場などにあるゴンドラリフト。出発地点は山の南側裾にある「粕森公園」内にあったボウリング場入り口です。
終点は、階段を上っている人影三名の左側にある「小屋」でした。
いまはボウリング場も無く、ゴンドラの遺構は遊歩道から見ることができます。
http://wave.chips.jp/sora/2007/08-kasumorikoen.htm
他人様のHPを拝借させていただきましたが、現在の頂上は「展望台」と変わりました。
写真手前の九十九折状の遊歩道はまだ残っていて、隣山の「金華山」につながる遊歩道になっています。
なんだか懐かしくて、書き込んでしまいました。
それだけに遊園地なきあと、遊歩道とリフトの遺構があるということは、嬉しいような逆に寂しさがつのるような複雑な感じなのでしょうね。
民間運営のプラネタリウムでした。名古屋にプラネタリウムができるまでは長蛇の列ができたとか。
資料が少ないので、詳しくは書けませんが、いくつか所有しています。
当時は各地に民間運営のプラネタリウムがあったようですが、娯楽の多様化や公的機関の大型プラネタリウム導入などで次々と閉鎖されたようですね。このような絵葉書を見ると、子供のときに実際に観覧した人たちは懐かしさでいっぱいになることと思います。(私もそうです。違うプラネタリウムですが。)
民間の運営であれば資料とかはあまり残ってないでしょうね。