本日は中秋の名月だそうですが、秋雨前線と台風24号の影響があるのか当地では朝から小雨模様です。月の観望は絶望的です。ちなみに満月は明日25日の11時52分とのこと。

・・・で、替わりに月と兎とススキの図を掲げます。

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みやこ町勝山黒田の「黒田神社」の天井絵 ↑ 山田義昌(霍眠)画/明治20年頃の制作と考えられています。霍眠52才の頃の作です。

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# by iruka-boshi | 2018-09-24 19:38 | Comments(0)

毎日々々、たくさんの飛行機が我が家上空を通り過ぎて行きます。

そして幾筋もの飛行機雲を残して行きます。
2018年1月3日撮影 ↓

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ひとつとして同じ雲はありません。
2018年7月24日撮影 ↓

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・・・なので、飛行機雲が現れるたびに、シャッターを切っています。
2018年9月16日撮影 ↓
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2018年9月22日撮影 ↑  ↓
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変幻自在の飛行機雲、次はどんな姿を見せてくれるのか。


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# by iruka-boshi | 2018-09-23 22:13 | Comments(0)

『その夜は早速、二百倍という私にとっては夢のような高倍率で火星をのぞきました。その瞬間、アッと喜びの声をあげました。ごらんなさい、まっ暗な大空を背景として、ポッカリ浮き出ている赤い火星の顔には、実にあざやかに、しかも非常に黒っぽい、大きな模様が極冠から中央にかけて、まるで夢のように浮きぼりにされているではありませんか/(火星の模様-佐伯恒夫)』


上記文章は、「出版ダイジェスト昭和46年5月11日発行第684号」の「特集:天文-先輩たちの観測記」から一部を転記したものです。 しかし、より正確には「恒星社刊・佐伯恒夫著「火星とその観測」昭和27年・33年(改訂版)・43年・52年改訂増補版」からの抜粋です。

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「出版ダイジェスト」はその名称のとおり、紹介したい書籍の主要部分抜粋とオリジナル記事からなる月3回発行の新聞です。 上記引用の第684号「特集:天文」の掲載記事は、「東洋美術のなかの星-野尻抱影/天文ファン-村山定男/彗星観測ノート-関勉/変光星遍歴-下保茂/天の壁画集(スズキ星座図譜・フラムスチード天球図譜)/その他」となっています。

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佐伯恒夫氏(1916-1996)の初めての火星観測は1933年だった、とのことで、この年は2年2か月ごとに地球に接近する火星のいわゆる「小接近」の年でした。

この時の火星は前年の晩秋に獅子座に入った後、徐々に地球に接近しながら獅子座レグルス付近を移動しています。最接近は1933年3月3日です。

つまり、観測好機は冬の間だったわけで、佐伯氏も自作の8センチ反射望遠鏡を使って「寒い冬の夜」に幾夜も観測を続けた、と引用文の前文に記しています。

最接近時の火星の光度はマイナス1等、視直径約14秒、距離は約約1億キロでした。

15年乃至17年ごとに火星が近づく「大接近」時の視直径は約25秒、距離は約5700万キロですので、「大接近」と比べると観測条件はかなり悪いのですが、それでも観測のチャンスであることにかわりなく、上記抜粋文は、火星の模様を初めて見た佐伯氏の驚きと喜びがこちら側にも素直に伝わってくる文章となっています。佐伯氏、17才前後の出来事です。



さて、その大接近の件、今年(2018年)は15年ぶりとなる大接近の年です。 最接近は7月31日ですでに過ぎていますが、まだまだ見やすい位置にあります。

太陽が沈んで星々が見え始めたころ、南東の中天あたりでまっさきに輝く赤い星が火星です。まわりに明るい星が他にありませんので、すぐに見つけられることと思います。


前回の大接近(2003年)は、5576万キロメートルまで接近したのに対し、今回2018年は5761万キロメートルまでで若干の差がありますが、小望遠鏡でも濃い模様などは確認出来ることでしょう。


・・・ということで、本日は過去の火星接近時の写真を使った天文誌の表紙をUPしてみました。


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天文月報 1954年1月号  ↑  南アフリカ・ラモントハッセイ天文台撮影、27インチ屈折望遠鏡使用 撮影日不明
1954年は大接近の年だったわけではありませんが、7月2日に6399万キロまで接近しています。

翌々年の1956年が大接近年で、9月7日に5655万キロまで接近していますので、1954年は準大接近だった、とでも呼んでいいのではないでしょうか。


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天文月報 1971年10月号  ↑  東京天文台(三鷹)撮影、38センチ屈折望遠鏡使用 撮影日は1971年8月8日
上方に白く南極冠が光り、中央に「アリンの爪」や「大シルチス」が見えています。最接近は8月12日で5620万キロまで接近。


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天文ガイド 1969年9月号  ↑  東京天文台(堂平)撮影、91センチ反射望遠鏡使用 撮影日は1969年5月3日
1969年6月9日に7173万キロまで接近していますが、この年は小接近で、翌々年の1971年が大接近であり、最接近日の8月12日と距離は上記のとおり。


次は写真ではなくスケッチですが、同じく1971年の大接近時のものです。

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惑星ガイドブック1 月惑星研究会編 誠文堂新光社 1981年発行
1971年8月10日 25センチ反射望遠鏡による堀口令一氏のスケッチ

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星の手帖 1988年夏号 ↑ 特集-火星大接近 河出書房新社発行
火星の南極冠付近 NASAのバイキング2号オービター(1976-78年に火星軌道上で運用)が撮影した極冠の縮小期の映像


1988年の大接近時の距離は、5881万キロ、最接近は9月22日、最も明るいときの光度は、マイナス2.7等
この大接近の2年前にも地球に近づいており、その時の距離は6037キロ、最接近は1986年7月16日


火星は冬期に地球に近づいたときよりも夏期に接近のときのほうが互いの軌道の関係上、距離は短くなります。 冬期最接近時の例を少し掲載します。

1950年3月27日  9719万㎞

1952年5月8日  8350万㎞

1958年11月8日  7295万㎞

1960年12月25日 9077万㎞

1963年2月3日   10029万㎞

1965年3月12日  10000万㎞

1975年12月9日  8459万㎞

1978年1月19日  9771万㎞

1980年2月26日  10132万㎞

1993年1月3日   9365万㎞

1995年2月11日  10107万㎞


いずれも小接近のときの距離で平均9360万㎞離れています。 一方、夏に接近した場合は平均で6570万㎞でその差は、2790万㎞となります。


過去70年間の大接近(5回)はすべて夏に起きています。 平均の接近距離は、5697万㎞です。 今回2018年は5761万㎞ですので平均的な大接近というところでしょうか。

次回の大接近は2035年9月11日で5691万㎞と予測されています。


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# by iruka-boshi | 2018-08-19 22:40 | Comments(0)


今年の3月から博多~長崎間で運行されています「JR九州885系特急かもめ」の「サガン鳥栖ラッピングトレイン」ですが、このラッピングトレインは大分~博多間でもソニックとして運行されています。

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小波瀬西工大前駅附近にて2018年8月15日撮影   大分発 博多行 ソニック 10号 列車番号 3010M


6両編成の両面にブルーとピンクのチームカラーを基調にして選手・監督・マスコットキャラクター・エンブレムを配しています。各車両のデザインは両面が異なっていて、上り・下りともに人目を惹く派手なラッピングトレインを楽しむことができます。


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# by iruka-boshi | 2018-08-16 08:32 | Comments(0)

(2018年7月24日の続きです)

黒田神社の格天井絵を大きく分けると、植物・動物・人物・器物・風景となりますが、このうち風景は「松に富士」を描いた1点のみ。 それもかなり形式的な図柄で江戸時代以来の観念的富士山図そのものです。

この形式的構図は「比翼の靏」や「扇にお多福面」「面箱に翁面」「鹿に紅葉」「唐獅子」「花卉図」「竹に雀」などにもみられます。形式的構図を伝統的題材と構図と言い換えても良いのですが、普段から見慣れた構図は鑑賞者に安心感を与え神社に相応しい落ち着いた雰囲気を創り出す半面、新鮮味がありません。

全体の多くを占める植物(花)の絵も伝統的技法で描かれていますので、静謐感はありますが動きに乏しく、審美眼を持たない私(ブロク主)が言うのも僭越ですが面白みに欠けるように思われます。

だからこそなのでしょうか、花卉図の1/3程度は花に「雀」を配して変化富んだ構図を創出しているようです。


それに対して、人物図は表情豊かに個性的顔立ちでそれぞれの天井絵に描き分けられています。 そして動いている人物像は真に躍動感に満ちた姿ポーズを取り、座する人物や横臥する人物を描いた図はその場の静寂感がこちらまで伝わってくる趣きです。

神仙図などはある程度の決まりごとのなかで描くのでしょうが、その制約のなかで描かれた鯉に乗る仙人、飛竜を御する神人、桃を手にして静かに佇む仙人、等々、その仙人のそれぞれの神力までも描こうとしているかのようです。

「万歳図」や「神仙図」などは手本となる画帳があるのかもわかりませんが、それにしても黒田神社の天井絵人物画は山田霍眠の畢生の出来栄えなのではないでしょうか。


・・・なので、今回は「人物画」のみをいくつかご紹介してこの稿を終わります。なお、拝殿の周囲に掲げられた三十六歌仙の奉納画はいつの時代の制作でどなたの手になる作品かよく解りません。線描の強弱・濃淡などを見ると霍眠の画とは異なるように思いますが、どうでしょうか? 乞う、ご教示です。


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一反木綿に乗る仙人図???


なお、この稿の初回(2018年7月24日)に掲載した霍眠の略歴は「郷土史さいがわ 第十九号/画師 松高斎霍眠(山田義昌)-山鹿村「上の庄屋」弟義昌の生涯/一川淳江著/平成13年」を参考にさせて頂きました。

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黒田神社の二の鳥居とその奥の三の鳥居
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拝殿正面の頭貫上の「松、梅、笹に豊前国の領主小笠原家の家紋と同じ三階菱」の透かし彫り。
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左側の木鼻 ↑ 右側の木鼻 ↓
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黒田神社は、文化14年(1817年)に拝殿が焼失しています。現代の拝殿は、明治15年(1882年)に改築されたものです。

霍眠の天井絵は黒田神社のほかに、みやこ町勝山宮原の「若宮八幡宮」、みやこ町犀川花熊の「二児神社」、香春町採「来迎寺」などに残っています。

また、京都四条派の菊池芳水に師事して専門画家となった霍眠の子息・季造(山田元仙)の天井絵も若宮八幡宮の一部に残り、「聖徳太子画像(みやこ町犀川・長善寺)」や「釈迦涅槃図(香春町採銅所・来迎寺)」も残されていることを付記いたします。

霍眠は、明治39年(1906年)に田川市糒の長男廣吉の家で死去しています。享年72才。墓はみやこ町犀川山鹿にあります。

墓の裏面は墓誌で甥の吉田増蔵(学軒)による撰文と書が刻まれています。


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# by iruka-boshi | 2018-07-26 05:48 | Comments(0)