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若松の軍艦防波堤の見学帰りに、田川市の石炭記念館に寄ってみました。

かつて炭田で栄えた筑豊地方の石炭産業と地域の生活文化や伝統文化を記録・保存・展示し、調査研究情報を広く発信する施設です。

田川市石炭・歴史博物館は、昭和58年(1983)に「田川市石炭資料館」として開館。三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地に所在します。
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旧三井田川鉱業所伊田竪坑で使われた竪坑櫓 ↑ 坑内(地底)から石炭や人を積載したケージ(かご)を昇降させるために使用。 明治42年(1909)製、高さ28.4m、鋼材はイギリスから輸入。
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煙突の高さは、45.45メートル、上部の直径3.1メートル、下部は5.8メートルあります。1908年に完成。現存する明治期の煙突では日本最大級です。
                           竪坑櫓と橋本英吉の石碑 ↓
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   橋本英吉の石碑 ↑ 橋本英吉は福岡県築上郡東吉富村の生まれ(明治31年生)の作家で、自身が炭鉱夫として働いたのち、炭坑を舞台にした作品や労働争議を描いた多くの小説を残しています。  画面の左側は、かつての炭住を再現したもの。 ↓
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型式:9600型蒸気機関車/番号59684、製造所:川崎造船所兵庫工場、製造年月日:大正11年1月16日、最終所属:行橋機関区、総重量:70.330トン/全長:16.563メートル/幅:2.616メートル/高さ:3.813メートル/全走行距離:2.710.210.7km  木製の説明版(旧説明版) ↓
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パンタグラフ式電気機関車 ↑ ↓
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ディーゼル機関車 ↓
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架空線式電気機関車(トロリー式) ↓
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リール式電気機関車 ↓
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蓄電池式電気機関車(バッテリー式) ↓
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圧縮空気機関車(エアー式) ↓
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この稿、書きかけです。


# by iruka-boshi | 2025-05-09 08:21 | Comments(0)
この日、種子島宇宙センター大崎射場より「極超音速飛行実験機(HYFLEXハイフレックス)」を搭載したJ-1ロケット1号機が打ち上げられました。

ハイフレックスは再利用可能な無人宇宙往還機「HOPE(ホープ)」の開発に必要な誘導制御技術や熱防御技術などの実証試験と各種データ収集が目的の有翼の実験機です。

打ち上げ後、高度110kmでロケットから切り離なされたハイフレックスは、小笠原諸島付近で大気圏に再突入し、マッハ2領域での飛行データ取得に成功しています。
極超音速飛行実験機 初号機打ち上げ記念 初日カバー  1996年2月12日_d0163575_06014863.jpg
大気圏再突入実験機は、ハイフレックス以前にも打ち上げられていて、1994年2月にH-Ⅱロケット1号機で飛行実験を行った「りゅうせい」があります。この「りゅうせい」が我が国最初の大気圏再突入実験機となっています。

「ホープ」開発ための実験機は、「ハイフレックス」「りゅうせい」のほかに小型自動着陸飛行実験機「ALFLEX(アルフレックス)」があります。アルフレックスは1996年7月~8月にオーストラリア・ウーメラ飛行場で13回飛行実験を行い、すべて成功です。

「アルフレックス」は、「ホープ」実機の縮小モデルで、完全自立飛行が可能。

宇宙往還機開発のための実験機はこの他にも自立飛行実証機「フェーズ1(キリバス・クリスマス島で実施・成功)」や高速飛行実証機「フェーズⅡ(フランスと共同でスウェーデンにて実施・成功)」などがあります。

また、宇宙科学研究所の再突入実験機「(DASH)/2002年2月」や航空宇宙技術研究所の小型超音速実験機の打ち上げ(2002年7月)がありますが、いずれも失敗しています。

この2つロケット打ち上げ失敗以前にも1998年・1999年・2000年と連続してロケット打ち上げに失敗していることなどから、宇宙開発計画の見直しがなされ、やがて「ホープ」の開発は中止になります。
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なお、ハイフレックス打ち上げに使用された「J-1ロケット」は、全長33.1m/全備重量87.7tの3段式ロケット(第1段H-ⅡSRBモータ・第2段M-23モータ・第3段M-3Bモータ)で、第1段目は宇宙開発事業団が開発したH-Ⅱロケットの個体ロケットブースターを使用(一部を改良)、第2段目と3段目は宇宙科学研究所が開発したM-3S-Ⅱロケットの上段部を流用したもので、全段個体燃料ロケットです。

従ってJ-1ロケットの「J」は、宇宙開発事業団のH-Ⅱロケットと宇宙科学研究所のMロケットを組み合わせた(JOINTした)の「J」となっています。(実際の打ち上げでは第3段目モータは使われず、この部分はフェアリング部となって「有翼飛行実験機HYFLEX」が搭載されました)

また、J-1ロケットは2号機まで製造されましたが、2号機が打ち上げられることはありませんでした。


# by iruka-boshi | 2025-05-04 06:02 | Comments(0)
福岡県の遠賀川沿いを走る県道203号線からよく見えるので、以前より存在は知っていましたが、県道路肩に駐車するわけもいかず、今まで撮影することはありませんでした。

しかし本日偶々、助手席に座っていましたので、走行中に撮影。望遠レンズではなかったのが残念。ブログ掲載時に少し拡大しています。 

↓ ビーチクラフトT-34A 51-0384 単発レシプロ練習機
幼稚園屋上のT-34Aメンター(はつかぜ)  2025年4月27日 福岡県中間市明願寺幼稚園_d0163575_07460347.jpg
防府北基地の第12飛行教育団の部隊マークが描かれています。

「51-0384」は、1955年12月28日に航空自衛隊に引渡、1978年3月31日に用途廃止。

T-34Aはアメリカのビーチクラフト社が開発した初等練習機で、1948年12月2日にモデル45メンターとして初飛行。1953年にアメリカ空軍が採用後、同年に日本でも導入が決定され20機がアメリカより貸与。

その後、生産ライセンスを得た富士重工業が75機を製造。ノックダウンによる生産も行われていますので、陸上自衛隊・海上自衛隊向けなどを合わせて数多くのT-34が誕生しています。

なお、明願寺幼稚園の住所は 〒809-0034中間市中間4丁目8番2号です。

# by iruka-boshi | 2025-04-28 07:46 | Comments(0)
数日ぶりに春の陽気となったこの日、日差しを求めてツチイナゴが葉上に現れました。
越冬するイナゴ 2025年4月8日_d0163575_07131946.jpg
体長は6センチくらい ↑ ツツジの葉上で全身に日光を浴びるツチイナゴのオス。この日の気温は21.7度。2025年4月8日撮影

日本に分布するバッタ類は通常は卵で越冬しますが、例外もあります。クビキリギス、シブイロカヤキリ、ツチイナゴなどです。
越冬したツチイナゴは5~6月頃まで活動し、卵を残します。孵化した幼虫が成虫となるのは10月頃で、成虫はそのまま越冬です。
越冬するイナゴ 2025年4月8日_d0163575_07135081.jpg
2025年3月14日撮影 翅の模様の微妙な違いから上の画像のツチイナゴとは別の個体のようです。ツツジはまだ硬い蕾の状態。

暖かい日差しの日は時々ツツジの葉上に出現していますので、ここで越冬していると思いますが、ツツジの葉を餌としているのか?
それともほぼ絶食状態で冬をやり過ごしているのでしょうか。

(2025年4月24日追加記入)
気温21.9度の本日、ツツジの葉上に出てきたツチイナゴはツツジの柔らかい若葉を食べていました。

# by iruka-boshi | 2025-04-12 07:16 | Comments(0)
築上町のメタセの杜物産館周辺でこの時期、ハマダイコンの見事な群落を見ることが出来ます。
ハマダイコン群生/メタセの杜周辺 2025年4月9日_d0163575_05581221.jpg
特に築城基地滑走路の西側緩衝帯の広大な起伏地を埋め尽くすハマダイコンの群れには圧倒されます。

緩衝帯は道路に沿って広がっていますので、車中から見ることが出来ますが、ここは人家から離れているためか歩行者は皆無、しかも信号機がないのでかなりのスピードで車が行き交っています。
ハマダイコン群生/メタセの杜周辺 2025年4月9日_d0163575_05583453.jpg
ハマダイコン群生/メタセの杜周辺 2025年4月9日_d0163575_05585660.jpg
従って路肩の駐停車は危険が伴い、少なからず注意が必要です。脇道に入るかメタセの杜の駐車場に止めることをお奨めします。
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ハマダイコン群生/メタセの杜周辺 2025年4月9日_d0163575_05593769.jpg
背景の高木は「メタセの杜」の由来となっている「メタセコイヤ」です。ハマダイコンの季節が終わるころ、新緑が芽吹いていることでしょう。

# by iruka-boshi | 2025-04-10 06:02 | Comments(0)