北九州空港の展望デッキに着いたときにはシン・ゴジラジェットはすでにタキシング中。
d0163575_21512380.jpg

シン・ゴジラは反対側の片面にしか描かれていないので、離陸時に撮るしか無い。ちょっと遠くなるが仕方がないですね。

シン・ゴジラは機体の後部に描かれています。 ↓  しかし、この写真では何だかわかんないね。
d0163575_21423262.jpg

JA08MC スターフライヤー エアバスA320-214 2016年7月23日撮影
d0163575_2143188.jpg

これでどうでしょうか。 ↑ 辛うじてゴジラの頭部であることがわかると思いますが、やはり迫力不足で、黒い入道雲かな、という程度です。手前の白い機体は、日本航空のJA335J ボーイング737-800です。
d0163575_2143281.jpg

シン・ゴジラの文字の下に「7.29」と書かれています。東宝の映画「ゴジラ」の29作目となる「シン・ゴジラ」の全国公開の日にちです。
d0163575_225242.jpg

[PR]
# by iruka-boshi | 2016-07-23 21:43 | Comments(0)
毎年5月初旬に雌雄ペアで飛来し、子育てをして8月下旬には東南アジアへ旅立つとのことで、撮影時に居合わせた同好の士によると今年は4羽の雛が誕生したそうです。

写真はそのうちの3羽で右端は親鳥です。
d0163575_207924.jpg

2016年7月22日撮影

もう一方の親鳥と残り一羽の幼鳥を同境内で捜したのですが、見つけることはできませんでした。
d0163575_2074083.jpg

2016年7月22日撮影

親鳥です。 ↑ 雄雌の区別はわかりません。
左側の幼鳥は今日見た3羽の幼鳥のうちで最も小さく見えましたが、それでも親と比べても少し小さい程度です。
[PR]
# by iruka-boshi | 2016-07-22 20:07 | Comments(0)
偶々、小波瀬西工大前駅近くを通ったとき、駅の2番ホームの待避線に全身黄色の見慣れぬ車輌を発見。

望遠レンズで確かめると、イルカのイラストにNICHINANのロゴが見える。どうやらJR九州の日南線で運用されている車輌のようです。

かなり遠目でしたが、とりあえず1枚撮影。 ↓ 
d0163575_20135752.jpg

キハ40 8099  2016年7月11日撮影

もう少し近くで撮影しようと移動を開始した直後に気動車も出発。後姿のまま、向こうに、つまり小倉方面へと去ってゆきました。

・・・で、キハ40はどこに向かっているのだろう?
それにしても、いわゆる日南線色の黄色はよく目立ちますね。
[PR]
# by iruka-boshi | 2016-07-11 20:14 | Comments(0)
みやこ町豊津出身のプロレタリア作家、葉山嘉樹(1894~1945)の短編小説「淫売婦」を原作とする映画「ある女工記」の初の試写会が町総合文化センター「サン・グレートみやこ」で開かれました。

上映は6月11日の午後1時と3時半からの2回で、併せて葉山の短編小説「セメント樽の中の手紙」をプロモーション用に撮影した10分ほどの映画も上映されました。

このプロモーション映像は、「セメント樽の中の手紙」の文庫本を片手に、女子高生がみやこ町各地のさまざまな風景に身を置き、そして声に出して読み進める、というもので、見慣れた景色と以前読んだことのある文章が映像上で溶融一体化することにより、あたかも初めて見る風景であり、初めて接する文章であるかのような感覚を覚えた映像でした。

また、上映終了後には主演の清水尚弥さん、中村朝佳さん、監督の児玉公広さんによる舞台挨拶が行われ、さらに5時よりプロデューサーの西谷郁さんの司会進行で「葉山嘉樹と京築文化シンポジウム」が開催されました。
d0163575_1502127.jpg

左より、西谷プロデューサー、清水尚弥さん、中村朝佳さん、児玉監督 興味深い撮影余話を披瀝されていました。
d0163575_1504271.jpg

映画の原作「淫売婦」は、大正12年(1923)の「名古屋共産党事件」の未決囚として収監された名古屋刑務所内で書かれたもので、1923年7月10日脱稿、2年後の1925年にプロレタリア文学雑誌「文藝戦線」11月号誌上にて発表された小説です。

当時の資本主義体制の矛盾を階級としての労働者=搾取される側の人間の視点から描いたもので、「セメント樽の中の手紙」「労働者の居ない船」と並んで、葉山嘉樹の代表的な短編のひとつとみなされています。

原作の舞台は横浜ですが、映画化に当たっては葉山の故郷の豊津とその近隣地域が撮影地となっています。

例えば、映画冒頭の旅籠の一室を思わせる遊郭シーンでは、築上町の築100年の民家の中二階で撮影され、主人公とその妹の木橋の上での会話シーンでは、京都平野を流れる今川の上流に架かる三十田橋が使われ、葉山と同郷であり深い交流を持つ堺利彦が校長を務める農民労働学校の再現シーンでは、行橋駅前のかつての名物老舗弁当屋さんの二階が使われた、という具合です。

風景や建物でけではなく、船員たちが食べる饅頭や主人公の妹が手にする同人文芸誌やそのほかの小道具に至るまで、徹底して現在地元にあるもの、かつて実際に地元あったものに拘った映画作りが成されていて、それゆえに非現実的シーンでさえリアルに迫ってくる映画となっています。

原作は登場人物が少なく場面展開も少ないうえに暗く重苦しいテーマを扱った作品ですので、やや取っつきにくい感もありますが、映画では原作にないいくつかのサブストーリーを配することで、世の中には絶望だけではなく希望もあるという当たり前のことを再確認させてくれる効果が表れているように感じられました。

原作が扱っているテーマは現代社会にも通じるものがありますが、93年前に書かれた小説をより良く理解する手助けとして、試写会に続いて開催されたシンポジウムはたいへん有意義なものでした。
d0163575_151376.jpg

左より、↑ 司会進行の西谷郁氏(ある女工記プロデューサー)、小正路淑泰氏(堺利彦・葉山嘉樹・鶴田知也の三人の偉業を顕彰する会事務局長)、大﨑哲人氏(文芸評論家)、児玉公広氏(監督・脚本)

各氏のお話しは撮影エピソードも含めてそれぞれ示唆に富むもので、原作の「淫売婦」と映画「ある女工記」は何を問題として取り上げているのか、その問題を文章と映像でどのように描いているのか、そもそもメッセージは何なのか、等々を考えるうえでヒントとなる「キーワード」を示して解りやすく説いていました。

その中の一つとして大﨑氏は、映画冒頭で娼婦が呑む起死回生の霊薬「六神丸」を挙げています。六神丸は人間の生き胆を原料とするもので、生き胆を抜かれるのは、つまり搾取されるのは弱者である労働者であり、六神丸を製造するは資本側とするものです。

その六神丸を呑むのは映画では弱者として描いている娼婦であることも、霊薬の象徴的な扱い方でした。

また、児玉監督の「ある女工記」は青春小説でもある、という言葉には意表を突かれました。主人公の青年は、搾取される側の下級船員ですが、借金を重ねて売春宿に通います。

そして病を得て死を眼前にしたひとりの売春婦に出会い、衝撃を受け、義憤に駆られます。この女性をここから助け出さねばならない、と思うと同時に社会問題にも目覚める、という物語展開は、問題意識を持つという意味での青春小説とも言える、とのお話しでした。

なお、7月31日にも「築上町文化会館コマーレ」において試写会が行われるとのことです。
d0163575_1512553.jpg

「淫売婦 移動する村落 他五篇」(岩波文庫)

作者 葉山嘉樹
解説 水野明善
発行日 昭和29年1月25日 第1刷
発行所 岩波書店
臨時定価 80円 文庫版228ページ

収録作品 淫売婦/セメント樽の中の手紙/そりや何だ/労働者の居ない船/山抜け/坑夫の子/移動する村落
[PR]
# by iruka-boshi | 2016-06-14 15:01 | Comments(0)
香春町の呉地区と京都郡勝山地区を結ぶ「新仲哀トンネル」の呉側の入り口近くに、福岡県北部では現存数が極めて少ない明治19年建造の石橋が残され、生活道として現在でも使われています。
d0163575_1112441.jpg

呉川上流側から撮影 橋の向こう側(画面奥)すぐ近くに国道201号線が通っています。
d0163575_1115572.jpg

道路幅は4メートルほどで、欄干はコンクリート製です。
親柱も同じくコンクリート製で49×45センチ・高さ79センチの角柱です。
d0163575_1121978.jpg

親柱に取り付けられた文化財標
平成12年3月17日に、近くにある「仲哀隧道」とともに国の有形文化財に登録されました。
d0163575_1124276.jpg

画面右側に万葉歌碑が見えます。橋についての説明板が建てられていますが、画像では読めないと思いますので、全文を下に記します。

---------------------------------------------------------------------------------------------------
呉川眼鏡橋
所在地 福岡県田川郡香春町大字鏡山1113、1497
建造年代 明治19年
特徴 橋長8.6m 幅員4.2m の石造単アーチ橋

呉とはこの地をさす言葉で古くは呉姫の伝説からその名が付きました。ここを流れる川を呉川と言い金辺川さらには英彦山川と合流し遠賀川に注ぎます。

呉川眼鏡橋は、仲哀隧道の開通計画に伴い、掘削部材運搬等のために築かれました。広島の石工によって造られたと伝えられ、石材には甘木市の秋月眼鏡橋と同じく花崗岩(御影石)が使われた珍しい道路橋です。

アーチリブを構成するアーチ石は、がっちりと噛み合った切り石が丹念に組まれて美しい弧を描き、壁側、橋台にも均整がとれ、整然とした端正な姿の中にも力強い気品を備えています。

明治期以前に造られた当時のままの石橋は、遠賀川水系では唯一であり、(筑穂町延壽橋に関しては、移築されている。)美しい眼鏡橋の姿を損なうことなく今日に至り、仲哀隧道とともに呉のシンボルとして地元で親しまれています。

福岡県内に現存する石橋の数は、山間部などの人目に付きにくい箇所を除いて、54基あります。このうち、筑後地方を中心とした県南部に50基が集中しています。県北では、遠賀川水系では2つと紫川水系で春吉眼鏡橋が現存するのみです。

      ~北部九州における石橋に関する研究、九州共立大学研究報告第9号、1995~

                        香春町・香春町教育委員会
---------------------------------------------------------------------------------------------------
d0163575_1131485.jpg

説明板より、橋の各部のサイズ ↑

呉川眼鏡橋
橋長:8.6m
橋幅:4.2m
径間:6.3m
拱矢:3.0m
拱矢比:2.1
拱環厚:40cm
架設:明治19年(1886年)

径間(スパン)を拱矢(ライズ、アーチ部分の高さ)で割った値を拱矢比と言いますが、アーチが完全な半円なら拱矢比は2となります。

呉川眼鏡橋の拱矢比は2.1ですので、ほぼ半円と言ってよいと思います。逆にライズをスパンで割った値をライズスパン比と言い、アーチが完全な半円ならライズスパン比は0.5となります。呉川眼鏡橋のライズスパン比は0.47です。

一般的に拱矢比は山間部では小さく(半円に近い)、平野部では大きい(平坦なアーチ)となっています。

d0163575_1134133.jpg

下流側より撮影 ↑
d0163575_114060.jpg

上流側より撮影 ↑
下流側の冠頂石部 ↓
d0163575_1142454.jpg

d0163575_1144141.jpg

上流側の冠頂石部 ↑

下流側より撮影 ↓
d0163575_115076.jpg

下流側の左岸に階段が設けられ、水面まで近づくことが出来ます。

なお、説明板にある「呉姫の伝説」とは、朝鮮半島からやって来た三人の機織りの比売のことを云っています。三人のうち一人は宗像に、一人は上方へ行き、残った一人は香春町呉にとどまったという伝説です。

この呉川上流の呉ダム渓流公園の手前に「呉媛の墓碑」が建立されています。

また、呉川眼鏡橋の上流側の橋のたもとに{抜氣大首(ぬきけのおおびと)}の万葉歌碑があります。
d0163575_1152711.jpg

d0163575_1154418.jpg

この歌碑を含めて香春町には七つの万葉歌碑があり、奈良時代、太宰府に続く官道「田河道」の宿駅として栄えた当時の香春を偲ぶことが出来ます。
[PR]
# by iruka-boshi | 2016-06-05 11:05 | Comments(0)