千仏鍾乳洞の入洞券販売所に「千仏鍾乳洞 洞内断面図」が掲げられ、洞内名所が紹介されています。
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この「洞内断面図」のほぼ中央に「さざ波天井」と名付けられた場所があります。 ↑

「洞内断面図」のすぐ近くにも鍾乳洞案内図があって、こちらには「さざ波天井」のところに黒い線が引かれて「断層」と書き込まれています。
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・・・で、この「断層」を見に行ってきました。

いくつもの大きな鍾乳石が垂下する洞口を通って ↓ しばらくは、地下水は通路の両側あるいは片側を流れていて足元を濡らすことはありません。
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大石柱や ↑ 天柱 ↓ などの奇岩を目にしながら先へ進むと、やがて「奥の細道」と名付けられた文字通り狭い通路に着き、ここから水路のなかを行くことになります。
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「天柱」、↑ 天井から垂下して来た鍾乳石(つらら石)と下から伸びた「石筍」がつながってできた石柱です。

四季を通じ水温14度といわれる水のなかを進むこと数メートル、ほどなくして「さざ波天井」に到着です。
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この「さざ波天井」の下あたりに水路を横切るようにして、幅60センチくらいの黒い帯があります。
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画像ではちょっと分かりにくいですが、手前の白い部分が石灰岩でその奥の黒いところが案内図にあった「断層」、そのまた奥は濃い灰色に写っていますが、実際は白の石灰岩です。水路を分断するように左右に岩床が走っています。

しかし、これは「断層」というよりも石灰岩の隙間にマグマが入り込み、冷えて固まったもの((火成岩)で「貫入岩」と呼ぶほうが正しいように思われます。

この「貫入岩」より少し奥にも同じような場所があります。 ↓ この画像のほうがハッキリ写っていて分かりやすいと思います。
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幅は最初の貫入岩と同程度です。水路の両側の壁に目をやると一部がフローストーンに覆われているものの、明らかに石灰岩とは異なる岩石が見えています。
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白い部分は石灰岩です。↓ 青み掛かった岩石の名は分かりませんが、「斑レイ岩」あるいは「閃緑岩」のような「深成岩」(マグマがゆっくり冷えて固まったもの)と思われます。ちなみに「火成岩」のうち、急激に冷えて固まったものは「火山岩」と呼ばれています。
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水路の窪んだところにはたくさんの小石が集まっています。 ↓ 色の違いから数種の岩石が混ざっているようですが、岩石名はわかりません。
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小石のひとつを拡大してみます。大きさは5cmほどです。 ↓
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もうひとつ、 ↑ 違う種類と思われる(素人目で)小石を載せます。

平尾台でよく知られた貫入岩に「鬼の唐手岩」の岩脈と「鬼の兵古干(へこほし)」の岩床があります。

いずれも「アプライト(半花崗岩)」で、花崗岩マグマが石灰岩の割れ目に入り込んで冷えて固まったのち、周囲の石灰岩が水や風などで浸食・風化されてアプライトのみが取り残されて出来上がったものです。アプライトは半深成岩または深成岩です。

平尾台の石灰岩層は、古生代の二畳紀前期から中期(2.8億~2.5億年前)のものと考えられています。

そして、その石灰岩層へのマグマ貫入は、中生代の白亜紀後期(9千年前)と考えられていることから、「鬼の唐手岩」や「鬼の兵古干」のアプライトもこの頃に貫入したマグマによるものと考えられます。

それ故に、と言ってよいかどうか分かりませんが、千仏鍾乳洞の貫入岩もその頃に入り込んだマグマが冷えたもの、と言ってよいのではないでしょうか。

ただ、アプライトかどうかは分かりません。(乞う、ご教示、です。)

なお、「平尾台の石灰洞/日本洞窟協会/1982年」によると、千仏鍾乳洞には4ヶ所で貫入岩が見られる、とのこと。

また、千仏鍾乳洞の最奥部は天井の一部が崩落した「芳ケ谷洞」と地下水流で繋がっているため、千仏洞の水路底の小石は外部由来のものも含まれる可能性がある、とのことです。
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# by iruka-boshi | 2016-09-01 12:35 | Comments(0)
簑島海岸にて小学生とその保護者を対象として「地引き網体験」が行われました。
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これは、行橋市文化振興公社と市民学芸員の会の主催による「夏休み 親子ゆくはし探検」の一環として行われたもので、参加の小学生約50名と保護者は市民学芸員の案内で簑島地区の史跡(15世紀の日朝通商の先駆者でもある海賊大将 玉野井藤原朝臣邦吉の碑や簑島神社など)を見学後、簑島漁協の皆さんの協力を得て地引き網を体験しました。

大きな網を使ったわけではありませんが、大収穫に子供たちは大喜びです。魚種も豊富でコノシロやコショウダイ、ガガビラ、カレイ、コチ、チヌ、フグ(これは放流しました)に混ざって40センチ超のボラ20匹あまりと大量のワタリガニが目を引きます。

また、カブトガニも網に掛かっていて、かなり久しぶりに簑島海岸で生きたカブトガニと対面した筆者にとっては、本日最大の収穫となりました。からだの後部の棘の本数からオスのカブトガニと思われます。
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ボラ、コノシロなど。 ↓
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コショウダイ、フグなど。 ↑
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ワタリガニ
地引網漁に参加した子供たちは、夏休みの日記や絵日記に本日の体験を書くことでしょうが、私であれば真っ先にカブトガニを取り上げるところです。

拙ブログは、私にとってその絵日記そのものです。
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# by iruka-boshi | 2016-08-21 14:38 | Comments(0)
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夏は好きです。しかし、2016年のこの夏の暑さは尋常ではなく、猛暑はもう勘弁、という気持ちです。

当地(九州北部)の梅雨明けは、7月18日でしたが、その数日後に夕立が少しあった程度で、8月15日まで降水はゼロでした。

この間、西日本各地で猛暑日と猛暑地点数の更新を重ね、当地近隣では、大分県の日田で8月6日に38.2℃を記録。8月12日には同じく大分県の犬飼で38.7℃を記録しています。

その前日の8月11日には、私の住む行橋市では36.5℃を記録して、今年の8月17日までの行橋市の最高気温となっています。・・・・が、36.5℃は大したことなく、同じ11日に福岡県久留米で38.0℃を記録しています。

行橋市の今夏の最高気温が36.5℃で、このくらいで何を言ってんだ、とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、当地の8月17日までの猛暑日(その日の最高気温が 35℃以上の日)が10日で、真夏日(その日の最高気温が30℃以上の日)が40日となると、これはバテるはずだと自己弁護する次第です。

さらに熱帯夜(最低気温が25.0℃以上)が8月17日までに、12日間という数字が追い打ちを掛けます。

この間、24.9℃の日が8月4日と7日にあり、さらにさらに24℃も25℃も体感的には変わらないといってしまえば、梅雨明け以降8月17日までの31日間に熱帯夜が25日もあります。

暑い暑いを連発していると、今夏、列島各地で豪雨の被害に合っていらっしゃる方から非難を受けそうですが、いろいろ書いて本日までの当地の酷暑報告とします。

ところで、掲載の写真の件、祓川河口から西の平尾台方面へ向けてシャッターを切ったものですが、画面の右方向、数百メートル先は周防灘で、ここに行橋市の四つの漁港のひとつ「沓尾漁港」があります。

春の潮干狩りシーズンにはたくさんの人々で賑わうところですが、5トン未満の小型機船による漁業も盛んで、船底びき網を主力として、小型定置網、採貝業などが行われています。

特にクルマエビを始めとするエビ・シャコ・アサリ・ワタリガニなどの漁が良く知られ、近隣地域への供給も盛んに行われています。また、カレイ・鯛・スズキ・イカ・ボラ等の魚種豊富な漁港としても親しまれています。
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# by iruka-boshi | 2016-08-18 15:23 | Comments(0)
撮影ポイントに午後2時半頃到着。・・・と、ほぼ同時に板付飛行場から飛来していたT-4が離陸。 ↓
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T-4 96-5621 西部航空方面隊 支援飛行隊
そして、その10分後、チヌークが着陸。 ↓
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CH-47J Chinook 57-4491
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遠目でよくわかりませんでしたが、どうやら一般の方、20数人が乗り込んだ様子。何かのイベントが行われているようです。帰宅後、調べてみると8月3,4日の二日間、泊まりがけの体験入隊、とのこと。
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14時49分、三沢から築城に移動してきた第8飛行隊のT-4が離陸。 ↑ T-4 16-5670
続いて4機のF-2Aと1機のF-2Bが離陸。いずれも第8飛行隊機で、訓練域に向うようです。
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13-8521 ↑
93-8548 ↓
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43-8527 ↑
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43-8129 F-2B ↑
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13-8564 ↑

5機のF-2が離陸完了した時点で、午後3時ちょうど。撮影を開始してまだ30分ほどですが、そろそろ帰らねば、と思っているところに先ほど離陸した第8飛行隊のT-4が着陸態勢で進入してきた。 ↓ 
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・・・・が、再び離陸。タッチアンドゴーの訓練のようです。 ↑
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T-4 16-5670 ↑ ↓
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何度となくタッチアンドゴーを繰り返すT-4を眺めつつ、午後3時20分、帰路へ。我が家から築城基地まで片道20分ほどの距離で、帰宅後もしばらくの間、遠く、近くにエンジン音が聞こえていました。
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# by iruka-boshi | 2016-08-04 23:04 | Comments(0)
第二金辺川橋梁の竣工は、1915年(大正4年)で、近くの金辺隧道の工事と同様、大変な難工事で多数の負傷者が出たそうです。

金辺隧道の完成も大正4年ですが、工事着工は明治30年のこと。筑豊の石炭を小倉に輸送する目的で設立された金辺鉄道株式会社による工事でしたが、予想以上の難工事の連続で同社は明治33年に解散し、工事も中断。

その後、大正元年に小倉鉄道株式会社によって工事が再開され、大正4年に金辺隧道と第二金辺川橋梁の完成を得て、大正4年4月1日に東小倉~石田~上香春(現香春)、今任~上添田(現添田)が開業されました。
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画面左側が進行方向で採銅所駅方面、先頭車両はキハ40 8051、後続はキハ147 1043です。下流側から撮影。第二金辺川橋梁は通称「宮原六十尺鉄橋」と呼ばれているそうで、六十尺(約18m)は橋脚の高さに因んでいます。

橋脚の下流側は平面ですが、 ↓
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上流側は水圧を分散させるために尖頭形に石組みが成されています。 ↑ 三段に積まれた最下層の先端が三角形に突き出ていることがわかるでしょうか。

橋脚は三層に分かれた幅広の重厚な造りです。最上層を見て頂きたいのですが、橋桁は橋脚の半分に架かっているのみです。これは将来の複線化を考慮して幅広の橋脚を造った結果によるもので、当時も今も複線化されることはありませんでした。 ↓
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起点方橋台(採銅所駅・城野駅方面) ↓ 石の階段が設けられています。下流側から撮影
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起点方橋台(採銅所駅・城野駅方面) ↑ 上流側から撮影
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終点方橋台(香春駅・日田市の夜明駅方面) ↑ ↓
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第二金辺川橋梁 全景 ↓ 下流側より。
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塗装履歴など ↓
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金辺峠付近に源流を持つ金辺川は、香春岳の麓を沿うように西流し、途中、彦山川と合流、さらに遠賀川へと流入していきます。
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第二金辺川橋梁下より金辺川下流域を望む。葦などが茂り、この写真ではほとんど水面が見えていませんが、魚種は豊富なようです ↑ 2016年7月31日撮影
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# by iruka-boshi | 2016-08-02 14:19 | Comments(0)