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あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


上図は、中国河南省唐河県の「針織廠画像石墓」の墓門の鋪首銜環(宮殿や地下墳墓の扉に取り付けられた円環形の引き手/銜は、「くわえる」で環をくわえている)の上部に浅浮彫りされた朱雀で、後漢前期の画像石です。

「河南省画像石拓本展図録/北九州市立美術館発行/1975年」から転載したものですが、図録の説明によると鋪首の部分を含めて大きさ136×65cmの拓本とのこと。

朱雀と鋪首は、ほぼ同じ大きさに描かれていますので、朱雀部分のみでは65×50cmくらいでしょうか。
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左側、墓門北門南扇の朱雀、右側、墓門北門北扇の朱雀 ↑

朱雀は南の守りを司る神獣(神鳥)で、宮殿や地下墳墓では南側に配されます。しかしこの「針織廠石墓」では「北門」となっています。

地下墳墓の入り口(正面)は南向きが原則です。そのため南側に朱雀が描かれることが通常ですので「南門」ではないかと思い、少し奇異な感じがします。

南門が正面入り口であれば朱雀で何の問題もないのですが、実はこの「針織廠石墓」は、東向きに築造され東が正面となっています。

南側を正面とする造墓は後漢中期以降にはっきりしてきますが、「針織廠石墓」が造られたと思われる頃(前漢後期~後漢前期)は、その前の「周」「秦」の時代より東西軸を重視した「坐西朝東」(東向き)で墳墓が造られていました。したがって「北門」は東側正面の右手、つまり北側にある門ということだと思います。

南北軸を重視する都城(城郭都市)の建設は後漢からで、宮殿も坐北朝南(南向き)です。宮殿は一般的に前殿である「朝」と後殿である「寝」に分けられています。

朝は皇帝が政務をとる場で寝は日常生活の場です。宮殿の構造に倣った地下墳墓もこの頃より南側を正面入り口とし、南面する北の奥が最高位の場所となり墳墓主室が置かれています。

下の画像は奈良県明日香村の「キトラ古墳」の朱雀です。キトラ古墳の正面入り口は正しく南側で朱雀は原則通り南壁に描かれています。西の守りを司る白虎、東の青竜、北の玄武も原則通りの位置に配されています。
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平成13年4月4日付けの毎日新聞朝刊より   ↑

キトラ古墳の築造は7世紀末~8世紀初めと考えられ、東西軸を重視した周~前漢時代より1000年以上経過しています。南北軸を重視した後漢からでも600年以上経っています。

中国の墳墓において朱雀や青竜などの方位を守護する四神が登場するのは後漢からで、それ以前では四神に相当するものは存在するものの方位の守護神としては確立していないようです。(四神の方位の原初的な観念は春秋戦国時代(前770~前221年)の曽侯乙墓にすでに見られます。)

もういちど「針織廠石墓」のことに戻ると、墳墓は東を正面として「朱雀」が描かれています。そして「白虎」と「青竜」はともに「南主室北壁門」にあり、方位とは無関係に描かれているようです。

しかも白虎も青竜も羽を持った人物「羽人」とともに描かれています。「羽人」は天帝の使者です。白虎も青竜も羽人に制御され、被葬者(墓主人)を天上界に迎えに来ているように解釈されます。また、墓中に入り込む邪鬼を追い払う「辟邪」の意味も込められていたと思われます。
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羽人と白虎  ↑ 羽人と青竜 ↓   白虎は翼があるので「麒麟」でしょうね。
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そうしてみると「針織廠石墓」の朱雀は、「河南省画像石拓本展 図録」では朱雀となっていますが、「朱雀」ではなく天帝の使者であり、被葬者(墓主人)の徳の高さを表す瑞獣である「鳳凰」とみることができるのではないでしょうか。

鳳凰は、麒麟・竜・霊亀と同じように徳の高い人物(王者などの為政者)が出現したときに現れる瑞獣とされ、戦国時代の楚の「長沙子弾庫楚墓」、同じく楚の「長沙陳家大山楚墓」、前漢の「馬王堆墓」「洛陽卜千秋墓」などに見ることが出来ます。
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