<   2016年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

家畜用の飼料米やもち米を残してほぼ刈り入れの終わったこの時季、田んぼの一角で「いのこさん」を見ることが出来ます。

・・・と言っても、当地ではかなり珍しい光景となっています。 ↓ 田の神様に収獲の無事を感謝する意を表しています。
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苅田町片島にて。 ↑ 三株だけ残して互いを結び付けています。中央の棒は倒伏防止の支えですが、以前は支えの棒がなかったように思います。今の稲品種は支えの棒がないと倒れるということでしょうか。

コンバインによる収獲がほとんどの現在、三株だけ残すのは面倒なことと思いますが、機械化が普及する以前、昭和30年代くらいまでは各地で「いのこさん」を見ることができたのではないか想像します。

しかし、昭和40年まで稲栽培農家だった両親(私の)は、「いのこさん」を作ったことが無いし、見たことも無いと言いますので実態は不明です。
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みやこ町勝山黒田にて。 ↑ 10月の最初の「亥の日」に刈り取り、神前に供えるそうです。イノシシは多産ということで豊作の願いを込めて「亥の日」と結びつけられています。

行事としての「亥の子祭り」は、当地では多くの地区で戦前・戦中に途絶えているものの、旧豊津町(現みやこ町豊津)の各地区、旧勝山町(現みやこ町勝山)の長川地区などで「亥の子打ち=もぐら打ち」が昭和20年代まで行われていたそうです。

また、「亥の子餅」は「亥の子打ち」が途絶したのちも暫らくのあいだ作られていた、と言います。
亥の子餅は、「おはぎ」または「きな粉もち」にして、家族全員で食べた、とのこと。
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『古事記』のイワレヒコノミコト(のちの神武天皇)の東征の条に、ニラが「賀美良(かみら)」の古語で登場します。

小学館の「日本古典文学全集」の現代語訳では「かみら」は「臭韮」の字が当てられ『カは臭気の意の接頭語。ミラは韮(ニラ)の古名。』と注釈されています。

「かみら」の語の前後を上記の全集より転記すると次のとおりです。

『久米の子等が 粟生には 臭韮一本 そねが本 そね芽つなぎて 撃ちてし止まむ』

口語訳:「久米部の者たちの粟畑には、においの強いニラが一本生えている。その根と芽を一緒に引き抜くように(敵を一人も残さず)数珠つなぎに捕らえて、撃たずにおくものか。」

「イワレヒコノミコト」と先住の土着民(土蜘蛛)「ナガスネビコ」との戦いの場面で、ミコトが発した言葉です。

「ナガスネビコ」は、かつてミコトの兄の「イツセノミコト」を死に至らしめています。そのこともあってか、強い敵意を持った言葉となっています。しかし、なぜここで敵をニラにたとえているのか。他の草々ではダメなのか。

ここからは筆者の単なる妄想ですが、敵→ニラの例えは第一にその独特の臭気にあるように思えます。次にニラのしつこいとも言えるほどの強靭さにあるのではないでしょうか。

筆者の実家に狭いながらもニラ畑があります。5月頃から収獲を初めて9月中旬まで、ひとつの株から8回ほど収穫できます。天候にもよりますが、根を残して切り取られた株は、2週間程度でもとの大きさに成長することになります。成長が早いだけでなく、暑さにも強いようです。

下の画像は、我が家の庭の片隅に毎年勝手に生えてくるニラですが、今夏の猛暑と雨不足で庭の草木が枯れてゆく中、このニラは、ご覧のように青々とし、時節とおりに花茎を伸ばしています。

元々、この場所にニラを植えたわけではなく、庭に土を入れた際、ニラのタネか根が混ざっていたものと思われます。
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また、田舎道を歩いていると、使われなくなった畑の隅や畦道でニラの群生に出会うことがあります。施肥などの手入れをしているわけでもないのに、毎年同じ場所で生き生きと繁茂しています。

ニラの強い生命力を感じますが、このニラが『古事記』に記すように大事な粟畑に生えている。イワレヒコノミコトは大いに癪に障ったことでしょう。

さて、タイトルのハナニラの件、あえて「食用のハナニラ」としたのは非食用(観賞用)のハナニラがあるためです。非食用ハナニラについては、拙ブログの2013年3月30日に載せていますので、ご高覧頂ければ幸いです。

ニラの花はお盆ころからポツポツと咲き始めますが、食べごろの蕾が最盛となるのは9月上旬~中旬です。食べ方はニラの葉とおなじです。しかし、ハナニラならではのレシピもあることと思います。いずれにしても花になる前の蕾の時がよいと思います。
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ニラ畑ではなく、田んぼの土手に群れ咲くニラの花。 ↓ 捨てられた土から芽を出し、旺盛な繁殖力で群れを作ったようです。
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白い花の中央に小さな緑の実が見えています。 ↑ これから10月にかけて徐々に実が熟して行きます。

10月下旬、実は弾け、黒いタネが数粒みえています。タネの大きさは1ミリ前後、ひとつの実に3~5粒はいっています。
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タネは「韮子(きゅうし)」と呼ばれて生薬として用いられるそうです。

ニラは、葉はもちろんのこと、茎も花もタネもニラの味がします。食べたことはありませんが、多分、根もニラの葉と同じ味がするのではないでしょうか。
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千仏鍾乳洞の入洞券販売所に「千仏鍾乳洞 洞内断面図」が掲げられ、洞内名所が紹介されています。
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この「洞内断面図」のほぼ中央に「さざ波天井」と名付けられた場所があります。 ↑

「洞内断面図」のすぐ近くにも鍾乳洞案内図があって、こちらには「さざ波天井」のところに黒い線が引かれて「断層」と書き込まれています。
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・・・で、この「断層」を見に行ってきました。

いくつもの大きな鍾乳石が垂下する洞口を通って ↓ しばらくは、地下水は通路の両側あるいは片側を流れていて足元を濡らすことはありません。
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大石柱や ↑ 天柱 ↓ などの奇岩を目にしながら先へ進むと、やがて「奥の細道」と名付けられた文字通り狭い通路に着き、ここから水路のなかを行くことになります。
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「天柱」、↑ 天井から垂下して来た鍾乳石(つらら石)と下から伸びた「石筍」がつながってできた石柱です。

四季を通じ水温14度といわれる水のなかを進むこと数メートル、ほどなくして「さざ波天井」に到着です。
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この「さざ波天井」の下あたりに水路を横切るようにして、幅60センチくらいの黒い帯があります。
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画像ではちょっと分かりにくいですが、手前の白い部分が石灰岩でその奥の黒いところが案内図にあった「断層」、そのまた奥は濃い灰色に写っていますが、実際は白の石灰岩です。水路を分断するように左右に岩床が走っています。

しかし、これは「断層」というよりも石灰岩の隙間にマグマが入り込み、冷えて固まったもの((火成岩)で「貫入岩」と呼ぶほうが正しいように思われます。

この「貫入岩」より少し奥にも同じような場所があります。 ↓ この画像のほうがハッキリ写っていて分かりやすいと思います。
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幅は最初の貫入岩と同程度です。水路の両側の壁に目をやると一部がフローストーンに覆われているものの、明らかに石灰岩とは異なる岩石が見えています。
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白い部分は石灰岩です。↓ 青み掛かった岩石の名は分かりませんが、「斑レイ岩」あるいは「閃緑岩」のような「深成岩」(マグマがゆっくり冷えて固まったもの)と思われます。ちなみに「火成岩」のうち、急激に冷えて固まったものは「火山岩」と呼ばれています。
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水路の窪んだところにはたくさんの小石が集まっています。 ↓ 色の違いから数種の岩石が混ざっているようですが、岩石名はわかりません。
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小石のひとつを拡大してみます。大きさは5cmほどです。 ↓
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もうひとつ、 ↑ 違う種類と思われる(素人目で)小石を載せます。

平尾台でよく知られた貫入岩に「鬼の唐手岩」の岩脈と「鬼の兵古干(へこほし)」の岩床があります。

いずれも「アプライト(半花崗岩)」で、花崗岩マグマが石灰岩の割れ目に入り込んで冷えて固まったのち、周囲の石灰岩が水や風などで浸食・風化されてアプライトのみが取り残されて出来上がったものです。アプライトは半深成岩または深成岩です。

平尾台の石灰岩層は、古生代の二畳紀前期から中期(2.8億~2.5億年前)のものと考えられています。

そして、その石灰岩層へのマグマ貫入は、中生代の白亜紀後期(9千年前)と考えられていることから、「鬼の唐手岩」や「鬼の兵古干」のアプライトもこの頃に貫入したマグマによるものと考えられます。

それ故に、と言ってよいかどうか分かりませんが、千仏鍾乳洞の貫入岩もその頃に入り込んだマグマが冷えたもの、と言ってよいのではないでしょうか。

ただ、アプライトかどうかは分かりません。(乞う、ご教示、です。)

なお、「平尾台の石灰洞/日本洞窟協会/1982年」によると、千仏鍾乳洞には4ヶ所で貫入岩が見られる、とのこと。

また、千仏鍾乳洞の最奥部は天井の一部が崩落した「芳ケ谷洞」と地下水流で繋がっているため、千仏洞の水路底の小石は外部由来のものも含まれる可能性がある、とのことです。
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