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(平成27年1月29日の続きです)

最初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられた昭和32年10月から昭和35年6月に開幕した「宇宙大博覧会」までの2年8か月のあいだに、米ソ合わせて30個の人工衛星が誕生しています。打ち分けはソ連が7個、アメリカが23個です。圧倒的にアメリカが多いのですが、この間、アメリカは36回打上げに失敗しています。

3年ほどの間に59回人工衛星打ち上げを試みているわけで、アメリカの意気込みというかライバル意識を感じさせる数字となっています。(ソ連の失敗数は不明です)

それでは我が国の宇宙開発はこの間どうだったかというと、昭和30年4月の「ペンシルロケット」水平発射から始まって8月に「ペンシル300型」で600メートル上昇成功、続いて「ペビーS型」で到達高度1.7㎞を記録、翌31年に「K(カッパ)1型-1号」成功、32年に「K3型-1号」で高度21㎞を達成。

高度60㎞まで到達して初めて高層物理観測に成功したのは昭和33年9月の「K6型-5号」、「宇宙大博覧会」開催の昭和35年7月には「K8型-1号」を打上げて高度200㎞到達、という具合でした。

「宇宙大博覧会」には我が国代表として「K(カッパ)7型」が展示されましたが、このロケットは全長7.3mの1段式で到達高度はK6型より劣る50㎞ほどです。しかし次期観測ロケット「K8型」開発のための新型エンジン「420B」を搭載していました。「K7型」はこの新型エンジンの性能確認用で、次期主力機「K8型」への過渡的立場のロケットでした。
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ソ連のロケット開発の歴史を解説したページ、執筆者は東京工大教授・岡本哲史氏です。左上と右上はライカ犬を乗せて打ち上げられたカプセルの模型、左下はその実物。

右下は液体燃料使用のロケットエンジンです。ソ連では早くも1932年にツァンジェルによって推力50kgの液体燃料ロケットエンジンが開発されています。
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左下は「米国で種々検討の結果スプートニク2号の打ち上げ用ロケットと判断された巨大なソ連の多段式ロケット」の説明書き。その右はソ連の科学者が考える未来の大型宇宙ステーション。右端の発射台上のロケットは「K(カッパ)7型」です。
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最終ページに押された宇宙博記念スタンブ2種、望遠鏡を持つ男の子と女の子、下は高々度極超音速実験機X-15とソ連のルーニク1号かな?、一番下は宇宙大博覧会の記念タバコ「Peaceのパッケージ」

以前は博覧会などでしょっちゅう記念タバコが発売されていましたね。

宇宙大博覧会/昭和35年6月11日~7月31日/晴海国際貿易センター(東京)/博覧会総裁 高松宮宣仁親王/会長 渋沢敬三

宇宙大博覧会パンフレット/A4サイズ全24ページ+15ページ/監修者は岡本哲史/宮地政司/古畑正秋/大島正光/杉本良一/糸川英夫/木村秀政/井上赳夫/青野雄一郎/原田三夫/井戸剛

なお、パンフレットの表紙に描かれたロケットは、米ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられるソー・エイブルⅡロケットで、気象衛星タイロス1号を搭載していました。/1960年4月1日打上げ

タイロス1号は実験的ではあるものの世界最初の気象衛星。積載されたテレビジョンカメラで雲の分布状況を撮影し、画像22,000枚以上をビデオ方式によって地上へ送信しました。
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昭和35年6月11日~7月31日まで東京の晴海国際貿易センターを会場として「宇宙大博覧会」が開催されました。主催は産経新聞社と中部日本新聞社で後援には科学技術庁を始めとして政府各省、日本学術会議、米国大使館、ソ連大使館、電電公社、文化放送、等、多くの企業・公社が参加しています。
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同名の博覧会はこの年の9月にも大阪国際見本市港会場で開かれています。こちらの主催は産経新聞社と大阪新聞社ですが、展示内容は東京とほぼ同じですので、場所を変えての同じ流れの博覧会だったようです。
この年以降、「宇宙大博覧会」の名称を使った博覧会が日本各地で開催されるようになりますが、それ以前にもロケットや宇宙旅行を呼び物にした博覧会が開催されています。

例えば最も早い段階での博覧会に昭和30年に愛知県の犬山遊園地で開かれた「大宇宙探検博覧会」があり、昭和32年に大分県で開催された「別府温泉観光産業大博覧会」の「宇宙探検館」があります。

また、昭和33年の「広島復興大博覧会」にも「宇宙探検館」が設置され、前年に打ち上げられた史上初のソ連の人工衛星などが展示されました。ちょっと整理して記すと以下のとおりです。

(これら以外にも宇宙探検・旅行を展示した博覧会があったかもわかりません。例えば昭和24年3月15日~6月15日に横浜で開催された『日本貿易博覧会』には天文館や科学発明館、子ども館などがありましたので、もしかして宇宙探検を画いたパネルがあったりして・・・。)

●大宇宙探検博覧会/昭和30年3月20日~5月31日/中部日本新聞社主催/愛知県 犬山遊園地/大宇宙探険旅行館、自然科学館、原子力平和館、大ロケット機、その他遊具

●別府温泉観光産業大博覧会/昭和32年3月20日~5月20日/大分県別府市/旧別府競馬場跡地会場/宇宙探検館、他30あまりのテーマ館

●広島復興大博覧会/昭和33年4月1日~5月20日/平和公園・平和大通り・広島城の三会場/宇宙探検館、テレビ電波館、原子力科学館、交通科学館、子供の国、他、合計31の展示館

●科学大博覧会/昭和33年9月27日~11月30日/朝日新聞社主催/兵庫県阪神パーク/宇宙に限らず科学全般の博覧会でしたが、出展された「ノブオカ式Ⅰ型プラネタリウム」が大人気となっています。

●宇宙旅行こども博覧会/昭和33年/愛知県東山動物園/詳細はわかりません。

●航空宇宙博覧会/昭和35年3月20日~5月31日/毎日新聞社主催/大阪府ひらかたパーク/詳細はわかりません。

●宇宙科学大博覧会/昭和35年4月1日~6月20日/山梨県観光連盟主催/甲府市石和町・小松遊覧農場会場/大ロケット機、宇宙館、交通と科学館、農業科学館、生活と電気器具館、おとぎの国館、他

最初の人工衛星スプートニクの打ち上げが昭和32年であることを思うと、これらの博覧会の宇宙関連展示は宇宙開発とかその現況紹介というよりは「宇宙探検」「宇宙旅行」の未来予想図のパネル展示やパノラマ展示が主だったのではないかと想像します。「航空宇宙博覧会」の性格はよくわかりません。実際に使用された機材、実現可能な開発プランなどが展示されていたのでしょうか。

昭和35年の東京晴海の「宇宙大博覧会」は、それまでの博覧会の宇宙関連展示がさまざまなテーマ館のなかのひとつであったことに対し、初めて宇宙開発を単独メインとした大規模な博覧会でした。この博覧会以降では次のようなものが催されています。

●宇宙大博覧会/昭和35年9月21日~11月23日/産経新聞社・大阪新聞社主催/大阪国際見本市港会場

●宇宙大博覧会/昭和36年1月1日~2月28日/中部日本新聞社主催/愛知県庁前特設広場

●宇宙大博覧会/昭和36年4月7日~6月11日/石川県 天神橋・高台・大和百貨店

●若戸大橋完成 産業・観光と宇宙大博覧会/昭和37年9月28日~11月25日/福岡県・戸畑市・若松市共催/高塔山公園・若戸大橋の戸畑側橋脚下周辺/高さ25メートルのロケット模型/アラン・シェパード中佐が乗ったマーキュリー有人宇宙カブセル模型/各種人工衛星模型/宇宙服/ソ連のルーニク2号で月へ運ばれたソ連国家紋章入りペンダント/日本のカッパ7型ロケット/他多数、宇宙開発館・ロケット館・宇宙医学館・プラネタリウム館・他多数

さて、東京晴海の宇宙大博覧会パンフレットのことですが、A4サイズ全24ページ+15ページの構成で、このうち会場案内・展示品紹介のページは8ページ、他は宇宙開発史の概要、アメリカの宇宙開発の歴史、ソ連の宇宙開発の歴史、日本の宇宙開発の現況、アメリカのマーキュリー計画について、となっています。

本ページとは別に縦長サイズの用紙15ページを使って、アメリカの宇宙開発の将来像、ロケット開発の概要、人工衛星の観測成果、宇宙通信について、宇宙医学、ソ連のロケット開発史、他が記述されています。

会場は3ヶ所に分かれていて、第1会場は米ソの宇宙開発関連、ドイツのV2号の実物大1/2模型、B29爆撃機エンジン、未来のロケット想像模型等、第2会場は、月球儀、星雲写真バネル、太陽系惑星の説明パネル、日本のカッパ7型ロケット等、第3会場は、火星人と火星船指令室、火星船内部、などのアトラクション展示でした。

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第1会場 アメリカの宇宙開発
画像の左上「バンガード2号(1959年2月17日打上げ)」、その下「宇宙服(高々度服)」、中2枚の上より「小型ロケットエンジンの燃焼室とブースター」、その下「小型ロケットエンジンの一部」、右端上「宇宙猿"サム"を乗せたカプセル、リトル・ジョー・ロケットで高度88㎞まで到達(1959年12月4日)」、その下「航海衛星トランシット1B(1960年4月13日)」、その下「アメリカのマーキュリー計画を紹介するコーナー、右端がマーキュリーカプセル」
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第1会場 ソ連の宇宙開発の歴史、スプートニク3号(1958年5月15日打上げ)、英国ジョドレルバンクのパラボラアンテナ模型、宇宙医学のコーナー、シュミットカメラなどです。

写真が小さくてわかりにくいと思いますが画像上端のシュミットカメラの奥に「千代田光学ノブオカ式プラネタリウム」が見えています。型式は恐らく「S型」でしょう。この博覧会開催の直前、昭和35年3月20日に開館した「楽々園プラネタリウム」に納入されたプラネタリウムもS型でした。

ちなみに国内の博覧会で最初のプラネタリウム展示実演は昭和25年の「南国高知産業大博覧会」でした。製作者は竹内鎮夫・関勉氏らで、このプラネタリウムは日本最初の個人製作プラネタリウムでもありました。

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アメリカの宇宙開発の解説ページ、著者は航空評論家の井戸剛氏です。画像左下の飛行機はロケットエンジンを搭載した高々度極超音速実験機X-15、ロケットはマーキュリー計画で使われるアトラスロケット、先端に有人宇宙船が見えています。右側はケープ・カナベラルから発射された中距離弾道ミサイル(IRBM)の回収弾頭。

続きます。
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我が家から天狗岩登頂の出発地となる「茶が床園地」駐車場までおよそ30分、麓付近は時おり降る小さな雨でしたが、駐車場周囲では薄い積雪状態となっていました。
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コース確認のため駐車場に設置された案内図を見ましたが、天狗岩に至る道は記入されていませんでしたので、とりあえず「貝殻山」に向って出発。

しかし登り口らしきものは見当たらず、行きつ戻りつするうちにようやくそれらしき道に遭遇、↓ 道はいたって平坦で、思いのほか快適に進むことが出来ました。その間、雪雲は徐々に遠ざかり、
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来た道を振り返ればいつの間にか青空が広がっていました。
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やがて道はふたつに分かれ、検討をつけて左の道を進みます。杉と竹の小道を抜けると視界がいっきに開け、眼下に千仏鍾乳洞、遠くに石灰岩採掘場が見えてきました。
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前方の谷間には採掘した石灰石を苅田の臨海工場まで輸送する長距離ベルトコンベア「平苅ベルトコンベア」も見えています。平尾台の三菱マテリアル東谷鉱山と苅田町の工場を繋ぐ全長12.3kmのベルトコンベアで昭和48年(1973)に開通、とのこと。「平苅」は「ひらがり」と読むそうです。
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ここまでの道は特に危険な箇所はありませんが、杉竹林を抜けたあたりから人ひとりしか通れませんので「危険なことをすれば危険」です。

駐車場を出発後、ゆっくり歩いてコンベアが見えるところまで約40分、ずっと平坦な道のりですが、天狗岩までの最後の数百メートルは少し急な道になっています。
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画面中央の奥が天狗岩、あと少しです。 ↑ 濡れた地面に滑らぬよう一歩一歩に注意を払って前進前進、そして到着。 ↓ 標高436メートルです。
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晴れていれば京都平野を一望でしょうが、また薄雲が近づいてきました。画面中央は行橋市椿市地区、その奥が行橋市街地、さらに奥に周防灘と続いています。
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天狗岩はいくつかの岩塊から成り立っていて、南側は垂直の岩壁ですが反対側は緩やかで、少し注意すれば登ることができます。頂上で顔を覗かせているのはおいしい昼食を振る舞ってくれた某氏。
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駐車場からの帰途、遠くに見える天狗岩を撮影。次は良く晴れた日に登ってみたいものと思っています。
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明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


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THE MIDNIGHT SKY AT LONDON LOOKIG SUOTH OCTOBER 15

「THE MIDNIGHT SKY」 77ページより ロンドン午後8時の南の星空
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銀河の左下にヒアデスとプレアデス、中央付近に牡羊座のアルファ星とベータ星、塔の上にはくじら座の星々、白と黒の静謐世界・・・。

そしてもうひとつ、「JAN HEVELIUS THE STAR ATLAS」 1968年ロシア語版より
「牡羊座」です。

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