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嘉麻市立織田廣喜美術館にて「木村定男の世界展」が開催されています。(2014年7/12~8/31まで)
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木村定男(1922-1999)は、終戦復員直後の1945年から亡くなる1999年までの間に蒸気機関車や電車などをテーマにした作品、約2000点を描いています。

今回の「木村定男の世界展」ではそのなかから水彩・油彩を取り混ぜ、100点ほどを展示しています。

会場入り口には「こだま」を描いた巨大なパネルが掲げられ、来場者の目を惹きます。
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「木村定男の世界展」入場券、及び、織田廣喜美術館の平成26年度の展覧会案内パンフ ↓ に掲載された作品と同一で、「特急電車・こだま号の登場」(1950年代 個人蔵)です。
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作品はテーマごとに区分されて展示されています。会場入り口付近から壁面と第2部屋あたりまではさまざまな場所・場面で活躍する蒸気機関車たちが描かれ、会場壁面周囲は鉄道黎明期からの各種蒸気・電気機関車たちが展示され、次の部屋では時代を彩った特急やブルートレインたち、さらに新幹線のコーナーへと続き、そして絵本「おやすみブルートレイン」の原画の数々も展示、となっています。

「木村定男の世界展」案内パンフの裏面 ↓ 左上から「機関庫風景 水彩・1960年代」、その右は「ブルートレインあさかぜ」で牽引機はEF651107が描かれています。

左下は「交直両用の特急電車「白山」登場 水彩・1980年代」、その右は「名車の肖像 油彩・1980年代」、左下端の絵本はフレーベル館発行の「だいすきなのりもの」東海道新幹線0系と講談社発行の「のりもの」EF5867あさかぜ です。
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チケット販売の横ではたくさんの種類の絵葉書が売られていましたので、数枚買い求めました。上の絵葉書は「はと」と「つばめ」の離合風景で、下はトンネルに入るブルートレイン「富士」です。鉄橋を渡り終えた淡緑色の機関車が「はと」で、左側に小さく描かれた車両が特急「つばめ」です。「つばめ」は最後尾の「一等展望車」が描かれています。

1950年5月11日に東京~大阪間の客車特急として登場した「はと」は、当初、EF56・EF57・蒸気機関車C62などに牽引されていましたが、1950年6月以降はこの絵葉書に描かれていますようにEF58も牽引機に加わっています。

「はと」の通常編成は9両でこのなかには「食堂車1両」と「一等展望車1両」を含みます。「はと」と同じ東海道本線で運用された「つばめ」も同様の編成で、「はと」「つばめ」ともに客室乗務員である「はとガール」「つばめガール」を配したことなどにより両者は姉妹列車と位置付けられ、利用者や列車ファンに親しまれ、また憧れの対象ともなりました。

絵葉書に描かれた「はと」の牽引機「EF58 89号機」は1956年製造、1984年に一旦廃車が決定されていますが、その後再塗装を経て復活しています。しかし老朽化に伴って1999年10月に廃車となり、大宮総合車両センターでしばらくの間保管されたのち、2007年10月に鉄道博物館(さいたま市大宮区)に移管、同館にて保存展示されました。

「つばめ」は戦後初の国鉄特急として1949年から東京~大阪間で運用されていた「へいわ」を1950年1月に改称したもので、当初の牽引機は東京~浜松間はEF57、浜松~大阪間は蒸気機関車のC59でした。EF58牽引の「つばめ」の登場は1952年頃で、東京~浜松間のみの牽引でしたが、東海道本線全線電化(1956年11月)以後は大阪まで牽引路線を伸ばし、東京~大阪間を7時間30分で結んでいます。

画像下の絵葉書、「富士」の運転開始は1964年10月1日で、当初は東京駅~大分駅間の運転でしたが、翌年10月には日豊本線経由で西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)まで路線延長し、東京駅から西鹿児島駅まで運行される日本最長路線の定期旅客列車となりました。

絵葉書に描かれている牽引機「EF65 517」は直流標準機の「EF60」を高速運転用に改良したもので、なかでもこの「EF65 517号機」のように500番台の機関車は、ブルートレイン用にさらなる改良が加えられた「P形」(passenger/旅客)と呼ばれた車輌でした。

絵葉書の「EF65 517号機」は1965年に川崎車輛で製造され、1998年に廃車となっています。

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木村定男画「おやすみ ブルートレイン」 ↑ 表紙に描かれた機関車は川崎車輛が1969年に製造した「EF65117」ですが、ヘッドマークの愛称は描かれていません。

「おやすみ ブルートレイン」
文・松澤睦実/絵・木村定男
1981年4月 初版第1刷発行
2008年4月 改訂新版第1刷発行
株式会社フレーベル館/31ページ/定価 本体1200円+税


ところで、「木村定男の世界展」とは別の会場で併催されています「鉄子の部屋-女子目線の鉄道関写真展」の写真の数々には少なからず良い意味でのショックを受けました。

子どもたちと鉄道を同じフレーム内に収めた展示写真は、被写体・構図、それに取り込まれた情感ともども今までの私の鉄道写真の観念を根底から覆した、とまで言うことができます。(こちらは、~7/27日まで)

また、織田廣喜美術館と同じ建物内に郷土資料館が開設されていて、この一角に1988年に廃線となった「上山田線(飯塚駅~豊前川崎駅)」関連の資料が展示されていますので、このことも少しだけ付記します。

展示資料の一部を記すと、上山田線で石炭輸送に活躍した蒸気機関車D51542の銘板、区間の駅舎・駅構内・機関庫などの風景パネル、「平恒」「臼井」の駅名が刻印されたタブレット、駅名表示板、1933年にはすでに廃線になっていた大隈駅から貞月方面へ向かう短距離の私鉄「大隈軌道」の切符、等々です。

これらの資料を見ていると上山田線が炭都繁栄の一翼を担っていたことが、今さらながら強く思い起こされてきます。
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平成筑豊鉄道田川線の赤駅~内田駅間にある煉瓦造の三連アーチ橋です。

竣工は明治28年で同年8月15日の当時の「豊州鉄道」(のちに国有化され、さらにJR九州を経て現・平成筑豊鉄道)の開業日より現在まで使われ続けています。

3連アーチ橋の橋長は17mで幅員は12mです。(文化庁の文化遺産オンラインによる)
中央のアーチ下に幅2.5mほどの内田川が通り、画面の左側アーチが車道・人道、右側アーチは農道となっています。内田川下流から撮影 ↓
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橋のすぐそばを通る県道418号を背にして内田川上流方向から見ると ↓ 
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車道・人道 ↑ 道幅は3.1mほどです。
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内田川 ↑
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農道で ↑ 坑門は切石造となっています。橋全体は煉瓦造で下流側の壁面も煉瓦ですが、橋台と川の上流側が切石になっているのは、増水時の水圧から橋を守るためと考えられています。橋脚の切石は壁面より迫り出し、先端は三角状になっています。 ↓
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下流側の壁面は煉瓦積みでアーチリングは煉瓦の小口を交互に突出させた四重巻き立てとなっています。 
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アーチリングとアーチリングの間の壁面は煉瓦の小口を横一列に並べた段と煉瓦の側面の長いほうの「長手」を並べた段を交互に積み上げた「イギリス積み」になっています。 ↓
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小口を突出させ、長手を奥にして積み上げています。
坑道内壁面は長手積みになっています。 ↓ 煉瓦の平均的サイズは22.5×10.5cmで厚さ5.5cmです。
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坑道内からアーチを見上げると煉瓦小口が美しい弧を描きます。基部の石積みも小口(小面)が少し突出し、横面が引っ込んでいることがわかると思います。 ↓
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煉瓦積みと石積みの凸凹は将来の複線化に備えたものと言われています。橋を増設するときに煉瓦と煉瓦、石と石を繋ぎやすくするためにです。

ちなみに基部石積みは「布積み」で、横面の長辺60cm、小面は平均32cm角。
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翼壁は「谷積み」です。農道側翼壁 ↓
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坑門上部の石積みも布積みで、小面と横面を交互にみせています。 ↓
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内田三連橋梁は1999年(平成11年)11月18日に、文部科学省の登録有形文化財になっています。また、経済産業省認定の近代化産業遺産でもあります。
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内田三連アーチ橋付近はこの橋以外にも単独アーチながらいくつかの煉瓦造りの橋をみることができ、平成筑豊鉄道田川線の見どころのひとつとなっています。
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油須原駅の開業は1895年(明治28年)8月15日で、この日は九州で3番目に設立された鉄道事業者「豊州鉄道」の開業日でもあります。

「豊州鉄道」は行橋を起点として長洲(現、柳ヶ浦)までの路線を本線とし、行橋から田川郡伊田までを支線とするものですが、本線の開業が明治30年であるのに対して、支線の開業はそれより2年も早く迎えています。

これは支線建設の主目的である田川地区からの石炭輸送を優先させた結果で、開業当時の行橋~伊田間の駅は豊津(旧今川村)、油須原、香春(旧勾金村)の三駅のみでした。

したがって油須原駅を含む五つの駅の開業日が豊州鉄道の開業日ということになります。ちなみに開業当時は単に「支線」と呼ばれていたそうです。田川線と呼ばれるようになるのは明治40年に国有化されたのち、明治42年の「鉄道院告示」によって、とのこと。

片側ひさしの屋根の上に切妻屋根を乗せたシンプルなデザインの駅舎は開業以来の姿を保っているそうで、九州の鉄道黎明期からの木造駅舎として貴重な存在です。
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駅舎前は緩やかな斜面の広場(・・というほど広くはないが)になっていて、限られた敷地面積を最大限に活用するためにあえて平地化しなかったのかな、などと勝手に想像・・・。
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駅舎入口横の赤丸ポストと駐車場入り口の大木が印象的です。 ↑ 画面中央の石碑は俳人・郷土史家・国語科教師「瓜生敏一」の顕彰碑 ↓
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顕彰碑裏面 ↑
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待合室入口と改札口 「自転車」の旧字が時代を感じさせます。
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入口右側に取り付けられた「油建第1号 駅本屋」の標識 ↑ と改札口を出て左の壁に付けられた「気象告知板」の標識 ↓
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出札所の窓枠は重厚なデザイン、窓の奥は事務室です。↓
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改札口の上に掲げられた時刻表と運賃表は「松井田本線」「信濃鉄道及び連絡線」となっていて、
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本来の油須原の時刻表はその裏面でした。↓
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改札口はもともとの金属製の枠に木製の台を被せるような形になっています。
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改札口から待合室を撮影 ↑
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↑ 国鉄時代の駅名表示もそのまま架かっています。現代の駅名表示はこちら ↓
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ホームは二つあります。駅舎に近いほうは田川方面行き、向かい側のホーム(画面手前)は行橋行きです。画面右側が田川方面
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改札口を出て、田川方面を背にして撮影 ↑ 駅舎側面は田川側と行橋側では造りが違います。これは多分、行橋側の駅舎外に出札口があるためでしょう。
木製の改札柵も残っています。 ↓
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駅舎外回りの支柱、すっきりしたデザインが取り入れられています。
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剥き出しのレンガも創業当時のものでしょうか。
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あちこち見ているうちに行橋行きの「ちくまる号411」がホームに入ってきました。 ↑
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線路内を通って反対側ホームへ渡ります。こちらは「炭都物語号410」です。 ↑ 下の写真の白いうずまきは「タブレット授受器」、通過する列車からタブレット(通票)をうずまきに投げ込みます。
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炭都物語号を見送ってホームを降りると、
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ホームに向って延びる側線の枕木が残っていました。 ↑ しばらく側線跡をたどっていると、朽ちた枕木の上に犬釘を発見 ↓ 長さ15センチでズシリと重い
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再び駅舎に戻ってさらにアチコチ撮影
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駅長室入口の上に置かれたケースに入ったままの「担架」↑
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最後に駅舎から200メートルほど行橋側にある下山県道踏切の「蒸気機関車踏切表示板」を撮影して帰途につきました。

油須原は木造駅舎のみならず、駅周辺に見どころいっぱいです。
駅舎見学の際はぜひ駅前の生活道路散策をお勧めします。
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猛烈に降り注いだ大粒の雨も昼過ぎから小雨に変わり、夕闇迫る頃にはせわしなく去来する黒雲の間に暫しの青空。
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雨に打たれ続けた白いすべり台も徐々に闇に包まれ、空には福岡空港を目指す一条の飛行機雲。

・・・さて、明日は晴れるだろうか。
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