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楽々園プラネタリウムについては1月24日の当ブログに書いたように第2部として1章を設けていますが、第3部にも「楽々園プラネタリウム」の小項目があります。

さらに「写真等の資料」にも写真が2枚掲載されています。1枚は投影機調整中の写真で、もう一枚は「ほぼ完成した楽々園プラネタリウム」の全景です。

この2枚の写真は「天界」の1960年4月号掲載の「広島に新しく出来たプラネタリウム館」の記事に添えられた写真と同じもので、「昭和13年早生まれ」の説明では「手前は展示室と事務室」とのみ簡単に書かれていますが、「天界」の1960年4月号には「開館を待つ同館の前面、西側から東を向いて写したもの」とありますので、これを補足転記します。

なお、展示室の規模は260㎡で天体写真や各種模型が展示されている、とのことです。
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↑ 天界 第41巻第419号 1960年4月号/広島市郊外に新しく出来た天文科学館、楽々園プラネタリウム全景(南方より北に向って写す)
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楽々園プラネタリウムの開館は1960年3月20日で前日の19日に開館の式典が行われています。

同プラネタリウムは広島電鉄(株)の子会社「広電観光(株)/のちに(株)広電楽々園」が運営する「楽々園遊園地」の中の一施設ですが、楽々園遊園地自体の歴史は古く、広島電鉄の前身の「広島瓦斯電軌」によって1936年(昭和11年)に開園されたものです。

天界 第45巻第466号 1964年3月号/楽々園(広島)天文科学館の全景 ↓
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左の大ドームはプラネタリウム室で、右の小ドームは口径25cm反射望遠鏡を納めた観測室

投影機は千代田光学ノブオカ式S型投影機で恒星数約9000個、ドーム直径内径18m、座席300、ノブオカ式S型のSはスター(Star)の意とのこと。

天界1964年3月号の表紙写真の右側の天文台は1961年5月28日に開台、口径25cm・f8ニュートン式反射赤道儀木辺鏡、ドーム直径4m、望遠鏡・ドームともに西村製作所製です。観測室の階下は仮眠室と写真暗室。

望遠鏡は一般に公開され、またプラネタリウムとともに広島大学天文研究室分室としても使用されましたが、1971年8月31日に遊園地が廃止されるに伴って天文台及びプラネタリウム館も廃止、後日、望遠鏡は鈴峯女子高校屋上に移設されたそうです。(園内施設の解体工事は1972年3月23日から/跡地は大型ショッピングセンターになっています)

「昭和13年早生まれ」
著者:佐藤健
発行:2007年4月15日/2011年6月誤字等修正/2012年5月写真追加
発行者:佐藤健
編集・装幀:久保田廣司
印刷・製本:プリントテクノ久保田
18.5×26cm215ページ
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拙ブログ2012年6月12日の「広島市こども文化科学館にて」の中でちょっとだけS氏のことに触れていますが、本日はその後(広島市こども文化科学館訪問後)、当のS氏からご恵贈いただいた自伝「昭和13年早生まれ」の紹介です。

「広島市こども文化科学館にて」では「S先生」と書かせて頂きましたが、下の写真をご覧頂ければすぐわかるように「S先生」とは「佐藤健先生」です。拙ブログ掲載に当たって表紙写真使用を快諾してくださった佐藤健氏に感謝申し上げます。

「昭和13年早生まれ」は大きく三つの章に分けられています。ページ最大量は全215ページのうち三分の一を占める「第1部:昭和13年早生まれ」で、出生から幼年期・少年期・青年期の想い出・エピソードと近況、それに「ジャコビニ流星雨」の韓国遠征観測顛末や皆既日食観測の海外遠征の想い出などが綴られています。
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続く第2部は「楽々園プラネタリウム始末記」として7ページを割いて同プラネタリウム設立から終焉までを当事者の眼を通して詳述され、我が国のプラネタリウムの歴史の一端を知る上での貴重な記録となっています。

第3部は、「東亜天文学会と共に50年」で入会の頃の想い出や山本一清氏急逝のこと、熱心に取り組まれた木星観測のこと、人工衛星スプートニクの観測、アポロ飛行士との月面共同観測、広島市こども文化科学館のこと、等々、どこから読み始めてもたいへん楽しく、また興味深い内容が語られています。

第3部の小見出しを記します。

1.東亜天文学会(OAA)への入会
2.山本一清先生のこと
3.山本先生の急逝
4.星についての最初の記憶
5.最初の望遠鏡
6.私の木星観測事始め
7.木星観測の先輩達
8.木星共同観測の推進
9.私の国際交流
10.村上忠敬先生と私
11.荒木宏司さんと田辺健滋さんのこと
12.史上初の人工衛星「スプートニク」の観測
13.楽々園プラネタリウム
14.病気入院のお陰で発見出来た月面の巨大な皿状凹地
15.アポロ飛行士との月面共同観測
16.飛行中のアポロ宇宙船を地球から見る
17.広島市こども文化科学館
18.プラネタリウムの投影
19.少年少女プラネタリウムクラブ
20.美しい星空を守る美星町光害防止条例
21.敗者のいない戦い「光害防止活動」
22.小惑星に名前を付ける

最後の「小惑星に名前を付ける」と少しばかり関連するのですが、第1部~3部とは別に「付録」があって佐藤氏が命名を提案した小惑星の詳細と命名由来、「小惑星2247番ヒロシマ」の命名、「星になったサダコ」が掲載されています。付録はこのほかに「火星の佐伯クレーター」と「私の目の玉のなかのゴミ」があります。

さらに第5部といっても良いくらいのボリュームで「写真等の資料」「佐藤健のプロフィール」「第1部の補遺」「あとがき」があります。
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↑ 「写真等の資料」より「大分県中津市洞ノ上の『岩井崎横穴古墳群』と右から正義、健、康臣」の各氏。

写真の説明に『土地の人は防空壕跡とか山賊の隠れ家の跡とか言っていたが、佐藤正義が古墳群であることを明らかにした。』とあります。

少し補足すると、福岡県生まれの父正義氏は旭化成坂ノ市工場(大分市)を定年退職後、中津市に移り住み(したがって当時大学生だった健氏の帰省先は中津市だった)、趣味の郷土史調査に基づいて「郷土ひとりある記/1966年」「中津三保村史蹟散歩/1977年」を上梓されています。そのため岩井崎横穴が正しく古墳群であることを見抜ぬくことが出来たのだと思います。

右側の太陽コロナは1976年オーストラリア皆既日食時のもの、その下は廿日市市の自宅前から見たヘール・ボップ彗星、左ページ下は延岡中学校で講演中の佐藤健さん。(佐藤氏は幼年期・少年期を延岡で過ごしている)

続きます。
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かつて存在した日本貨物鉄道日豊本線貨物支線(通称・苅田港線)を歩いてみました。

日豊本線からの分岐点は小波瀬西工大前駅で、ここから苅田港へ向かって筑豊の石炭や石灰石を運ぶ貨物専用レールが敷設されていました。
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         ↑
西工大正門前の跨線橋から苅田町方面を望む。画面手前は小波瀬西工大前駅の1番ホームのエンド
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         ↑
画面右端の中央付近より分岐されている。1番ホームの先端から100メートルほど向かった地点です。

駅から苅田方面へ500メートルほど進むと生活道路と交わる。新津東踏切にて苅田港方向を撮影 ↓
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新津東踏切にて小波瀬西工大前駅方向 ↓
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さらに500メートルほど進むと国道10号線と交わります。小波瀬西工大前駅方向を撮影 ↓
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同じ地点から苅田港方向を見る。 ↓
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レールは家々の間を通り、近衛橋付近で再度生活道路と交わり、港へと続きます。近衛橋手前の道路から港方向を見る。    ↓
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                ↑
近衛川に架かる小さなコンクリート製橋梁 画面右の石碑は昭和40年建立の「文久農地水利事業記念碑」

コンクリート橋を過ぎ、しばらく行くと県道25号線と交わる地点に着きます。国道10号線の苅田町富久町交差点を海側(日産九州工場方面)へ曲がって200メートルくらいのところです。レールは撤去され、完全に舗装されています。歩道の赤い部分から先にまたレールが続きます。
                ↓
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ほどなくレールは分岐され、↑
小波瀬西工大前駅から続いてきたレールはここで終点。分岐レールはさらに奥へと続きます。
             ↓
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レールは枯草に覆いつくされているものの、信号機はかつての姿そのままに残っています。 画面最奥の白い建物付近が平成17年まで稼働していたコンテナホームです。
             ↓
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左の信号機の上に「2番場」と書かれ、右下の信号機の上に「3番場」と書かれています。

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そしてコンテナホームに到着。現在、コンテナホームは運送会社の使用地になっていますので立ち入ることが出来ません。国道10号線沿いのショッピングセンター屋上から撮影です。

以前のコンテナ集積地はトラック駐車場となっています。↓ トラックとトラックの隙間からレールが見えていますが、画像ではわかりにくいかも・・・・。
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運送会社敷地内を苅田港を背にして道路側から撮影
そしてここが終点です。↓ 小波瀬西工大前駅から2キロ半ほどの散歩です。
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昭和19年開業の「苅田港駅」はここからさらに2キロほど先の港に近い場所にありました。

現在残されているレールはここまでですが、往時はここから石炭埠頭へ向かう桟橋線や九州電力苅田発電所・宇部興産苅田セメント工場・日立金属九州工場などの専用線が伸び、各工場に繋がっていました。

しかし、これらの専用線は1980年代までに順次廃線となり、今では当時の面影を求めるのは難しくなっているようです。
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明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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「グロティウスの星座図帳」より銅版画家ヤーコブ・デ・ヘイン制作『ペガスス座』


天文資料解説集No.1「グロティウスの星座図帳」ゲルマニクス「アラトスのファイノメナ」の邦訳
発行日 1999年3月31日
編集・発行 千葉市立郷土博物館 担当多賀治恵
〒260-0854 千葉市中央区亥鼻1-6-1
制作 大塚工藝社
22.5×29.5cm/126ページ
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「星座図帳」は原題を「SYNTAGMA ARATEORVM(シュンタグマ・アラテオルム/アラテア集成)」といい、オランダの法学者フーゴー・グロティウスによって1600年に刊行されたものです。

グロティウスは1583年にオランダのデルフトに生まれ、11才でライデン大学に入り14才で卒業、16才で弁護士を開業し、その翌年、「シュンタグマ・アラテオルム」を発刊しました。弱冠17才のときのことです。

「アラテア」はアラトス(紀元前315年頃~前240年頃)の「ファイノメナ(天文叙事詩)」のラテン語訳の総称です。

「星座図帳(アラテア集成)」は、アラトスのギリシア語テキストを主としていくつかのラテン語訳(アラテア)にグロティウス自身の注釈を加え、さらにオランダの画家ヤーコブ・デ・ヘイン(1565年~1629年)による44点の写実的で気品あふれる銅板画を添えることによって、学術・美術両面で重要な位置を占めることとなり、今日においてもなお尊重される星座図集の1冊として取り扱われています。
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