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それにしてもこの車、日々の酷使によく耐えてくれました。

平成6年に新車で購入後、全走行距離は31万8千826㎞、この間、故障らしい故障はありませんでしたが、30万キロに近づくにつれてパワーウィンドーの故障やエアコンベルトの切断、パワステのオイル漏れ、ブレーキオイル漏れ、ラジエターのアッパータンク付近の配管破断などが発生。

そしてついにトランスミッションが故障。いつもの修理工場に電話を掛けるとアッサリと「車を買い替えたほうがいい」と言われてしまった。

見積りを取ったわけではないが修理費用はかなり掛かるらしい。非常に未練が残るものの、この先次々と故障個所が出てくるだろうと思うとやむなく修理を断念。

最終走行距離を記念に撮影
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30万キロを超えたところでも記念撮影/平成23年11月27日
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エンジンはわずかながらオイルが滲み出ているが快調そのもの。
水冷直列6気筒DOHC24バルブ/エンジン型式1G-FE/総排気量 1988cc
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最後までスロットルの反応は良く、爽快な加速感を味わうことができた。ただ、ステアリングが軽すぎるような気がしてカーブ走行時はちょっと怖いときもあった。
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免許習得後、最初のクルマはケンメリのスカイラインだった。その後何台も乗りつぶしたがここまで走ったクルマはこれのみでした。記念にいろんな角度から写真を撮ったが、朝焼けに色づいたこの写真が一番いいみたい。(自己満足)

ところで、初代クラウンの「クラウンRS」発売は昭和30年1月7日。

排気量1453cc・48馬力・公称最高速度は100㎞。翌31年に発表された経済白書の結びのことばに『もはや戦後ではない』と謳われたようにこのRSの登場を持って国際水準に対応できる国産自動車の歴史が始まった、と言ってもよいと思われます。

このことはRS発売と同じ年の11月に発売された「クラウンRSD(デラックス)」を使ったロンドン-東京5万キロ走破の成功でも示されているのではないでしょうか。

出発は昭和31年4月30日ロンドンのクイーンヴィクトリア街ロンドン・タイムス社前、まずドーバー海峡を越えてフランスに入ったのち欧州10カ国を抜け、中近東の砂漠を通り、ネパールの山岳地帯から東南アジアへ向かい、バンコックから海路で山口県富田港に上陸。陸路で東京に到着したのは昭和31年12月30日で出発から8カ月かけての快挙でした。

それから60年近くたった今年、初代クラウンから数えて8代目の我がステーションワゴン2.0・スーパーデラックスは31万キロを走ったのち、ご覧のように永久抹消登録/解体届出手続きを完了しました。よく酷使に耐えてくれて感謝&合掌です。
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クラウン ステーションワゴン2.0・スーパーデラックス・4AT・7人乗
レギュラーガソリン仕様で最大出力 99 kW(135PS)/5600 r.p.m、最大トルク 176.5 N・m(18.0 kgf・m)/4400 r.p.m
登録年月日 平成6年6月14日/車両重量1490㎏/車両総重量1875㎏
車台番号GS130-1024379/形式E-GS130G
長さ469cm/幅169cm/高さ151cm
永久抹消登録/解体届 手続き完了 平成25年8月21日
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車輌が設置されている「汽車ポッポ」の場所は、大分県中津駅近くの「豊陽交差点」を日田・耶馬溪方面(国道212号)へ2.5キロほど直進した道沿いです。

国道に向って4台の車輌が並べられていますので見落とすことはないと思います。
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向い側のガソリンスタンドより撮影/2013年8月16日 左より「キハ601」「ハニフ22」、木に隠れて見にくいですが「蒸気機関車358」、さらに写真画面の右外に「キハ104」が置かれています。

耶馬溪鉄道は1913年(大正2年)に中津-樋田(後の洞門駅)間14.3キロで開業、翌年以降徐々に路線を伸ばし、1924年(大正13年)柿坂-守実(後の守実温泉駅)間の開業で全線開通。総延長は中津-守実間で36.1キロメートルです。

その後1945年(昭和20年)に「国東鉄道・別府大分電鉄・宇佐参宮鉄道・豊州鉄道・別杵自動車」と合併して「大分交通」が発足し、大分交通耶馬渓線となりましたが、昭和30年頃からの沿線農村の過疎化やマイカーの普及などにより経営維持が困難になり、1975年(昭和50年)10月1日を持って耶馬渓線は廃止されました。
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キハ601 <やまびこ> 1956年/日本車輌製 大分交通耶馬渓線で使用され1975年10月1日に用途廃止。2013年8月16日撮影
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キハ601の銘板
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ハニフ22 1889年頃/九州鉄道会社小倉工場製 旧国鉄から耶馬渓鉄道へ譲渡(ハフ3)されたのち、荷室が付け加えられ(ハニフ2)、さらに大分交通との合併(1945年4月20日)でハニフ22に改番され、1975年10月1日用途廃止まで大分交通耶馬渓線で使用されました。画面左側の車両は「キハ601」です。2013年8月16日撮影
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ペルギーのTUBIZE製蒸気機関車358/1948年製 2013年8月16日撮影
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側面に付けられた銘板 もとは台湾糖業公司でサトウキビ運搬に使用されていた。台湾糖業公司は日本統治時代の製糖会社(台灣製糖・鹽水港製糖・大日本製糖・明治製糖)を国民政府が1946年5月に接収・合併させて設立したもの。かつて台湾は砂糖の一大産地で南西部を中心にサトウキビ運搬用機関車が大いに活躍していました。下は機関車358の運転台
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キハ104 <せきれい> 1937年/日本車輌製 大分交通耶馬渓線で使用されていたもので1975年10月1日用途廃止。2013年8月16日撮影

保存車輌はこのほかにも「汽車ポッポ」敷地の奥に「キハ102 かわせみ」と「キハ602 しおかぜ」があるそうで、実際、道路際から少しだけ見えていましたが、撮影の許可を得ようにも誰もいなかったので、無断で敷地内に入るのも気が引けて撮影を断念。・・・が、後で考えてみると敷地横に道があったので裏側に廻れば難なく撮影できたのでは・・・。
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極端な豪雨に極端な猛暑、それに極端に少雨のところもある今年の夏。
本日、高知県四万十市では午後1時過ぎに国内観測史上4位となる最高気温40・7度を記録した、とのこと。


我が実家では本日15時過ぎに室内気温35.2度を記録。行橋市西泉のアメダスは、本日16時21分に37.7度を観測。これは2008年7月29日に記録した37.6度を上回っています。

行橋市の8月最高気温の平均は1981~2010年の30年間で31.3度ですから今年の夏、特にここ数日の暑さはまさに記録的です。しかし、日が沈めば湿度が低いこともあって少しの風でもかなり涼しく感じられます。
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月齢3.2の月とマイナス4等の金星 8月10日19時44分撮影

徐々に濃くなる夕闇とともに昼間の炎熱もゆっくりと消えてゆき、西の空には涼やかに月と金星。
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取り上げられている貝は、はまぐり、さくらがいを始めとして全部で38種。

正確には「なまこ」や「ひとで」「うに」なども含まれているのでこれらの棘皮動物が3種と「いそぎんちゃく」「サンゴ」の刺胞動物が2種、それに「やどかり」「えぼしがい」の節足動物2種、残り31種が軟体動物の「巻貝・二枚貝・ツノ貝・あめふらし」の記述となっています。
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それぞれの貝の特徴や生態が書かれているわけですが、すべての貝が擬人化されていて、各自が身の上話を語るという形をとって描写されています。

一番長い身の上話は32ページを使って語られる「はまぐり」の告白で、「結婚式の祝膳に鯛とともに供されることは、貝類の仲間がうらやむ晴れ姿だが、膏薬入れの容器にされるのは勘弁してもらいたい」と愚痴を言うかと思えば「桑名の焼きはまぐり」に話しは移り、「京都御所の蛤御門」の名称由来に飛んだと思えば、「碁石の白は日向産のハマグリに限ります」と言ってひとしきり碁の話しに夢中になり、そのあと「雛祭の雛壇への供物として、ハマグリはなくてはならないものの一つでしょう。」とさらに自慢話しは続きます。

「さくらがい」の章では、「おしゃれな人は、私を真似て、指の爪を美しく桜色に化粧しています」とさくら貝が言い、「砂浜に落ちている桜貝の貝殻は、春雨に降った桜の花びらのように美しい」と著者が言います。

この本の表紙に描かれ書名にもなっている「帆立貝」の章では、「ほたて貝のことを海扇と書き、青白い海の朧夜の妖気につかれて、帆船が微笑みながら、海底に沈んで貝になったのが」私たちだと帆立貝が言い、そのあと、帆立貝の形態・生態に話しが及び、途中「長唄風流船揃」で船の起源に触れ、「殻は杓子として昔、朝の味噌汁をすくう道具だった」と書いてこの章を終えています。

ハマグリの章以外、大体3~6ページでひとつの話しを終えていて、どの貝から読み始めても面白く読み進むことができます。さまざまな貝のさまざまな生態やエピソードが童話的情感で綴られていますが、メルヘンチックに溺れることなく、最終的には簡単ながら生物学的記述をもって整えています。
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「きさご」の章でもこの貝を「おはじき」などの子供の遊びに使ったと書いたあと、「嬉遊笑覧」の「ちうちうたこかいな」の数え方に移り、さらに「ちちんぷいぷい」のおまじないは三代将軍家光の「智信武勇(ちじんぶゆう)」に通じる言葉であった云々、の最後は【喜佐古 馬蹄螺科の円錐形小巻貝 殻質重厚、螺層六階、殻表の色彩は多様、殻口は半円形、紅色を帯ぶ。玩具の外、養殖魚類の餌また肥料になる。】と図鑑的説明も添えられています。

貝の生物としての説明は「貝の扇あとがき」で8ページに亘ってやや詳しく述べています。しかし、著者の立川春重(たてかわ はるしげ)は、生物学者ではなく、専門は造船学・船舶工学です。

本書の著者略歴をそのまま転写すると、『大正五年東京帝国大学工学部船舶工学科卒業/東京石川島造船所技師/現在、東京明治工業専門学校講師/著書には「船舶の理論と実際」「油槽船の構造」「船の幻燈」「波」其の他造船技術並びに科学の随筆に関するもの多し』 とあります。

「船の幻燈」「波」は科学随筆です。ほかには「日本の木船」「船渠と船舶修理」「造船所」など船舶関係多数ですが「歌舞伎」というのもあります。「貝の扇」には貝とは直接関係の無いエピソードが多々登場しますが、その著述ぶりをみると、博識多才な趣味人だったのだろう、と想像できます。貝のカットも著者です。
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『竜宮城で大演奏会が催され、乙姫さまは、侍女に、「クラリネットを持って来ておくれ」と、命じました』(本書より)
【琉球竹 螺貝、腹足類、櫛鰓目、筍貝科/筍形、螺塔高く、貝殻は堅固、殻表には、淡肉色、方形の栗黒色斑を雑へ、光沢強く、美麗である。殻高220粍、直径39粍】


貝の扇
昭和二十二年七月二十五日 印刷
昭和二十二年七月三十日  発行
著者 立川春重
発行者 西村愛
印刷者 山村榮
印刷所 株式会社同興社
発行所 兼六館
カット 著者画
装丁  上田堯民
編輯  窪田睦明
18.5×13.5cm/168ページ

いるか書房本館のここに「貝の扇」をUPしました。(現在ウリキレです)
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