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拙ブログの2012年7月24日に「Sky and TELESCOPE(1966.January)」掲載のイケヤ・セキ彗星(C/1965 S1)を紹介させて頂きましたので、今回はその2回目となります。掲載号は1965年12月号ですので、前回紹介の号(1966.January)と今号の2ケ月連続で特集を組んでいたことがわかります。
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表紙写真は、Alan McClure氏によるもので10月31日早朝撮影、撮影地はカリフォルニア・ピノ山でコンタックス35mmカメラ使用、パン・クロマチックフィルムにて12秒露出。彗星は地球から1億6000万㎞の位置、尾の実長は5200万㎞以上となっていました。
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左ページの上は、東京天文台乗鞍コロナ観測所にて12cmコロナグラフを使用して撮影(左側写真10月21日2時20分(UT)/守山史生)、右側写真は10月21日3時27分(UT)撮影。

2枚とも「イケヤ・セキ彗星写真集/月刊天文ガイド臨時増刊」の12ページ・13ページに載っているものと同じです。右側写真の撮影後、40分ほどして彗星核が数個に分裂した模様。

右ページ上、10月6日撮影、カリフォルニア・テーブル山観測所にて。この頃は軌道の関係で南半球のほうが観測しやすかった。

右ページ下、10月13日撮影、メキシコ観測所にて。「イケヤ・セキ彗星写真集/天文ガイド」によると、堂平観測所での写真撮影は10月11日が最後だった、とのこと。
同写真集には10月16日の彗星が載っていますが、これはヨハネスブルグで撮影されたものです。

Sky and TELESCOPE(1965.December)のイケヤ・セキ彗星特集はトップページから6ページに亘って尾の変化・核の様子・スペクトル観測解説で構成され、さらに5ページを使って写真特集が組まれています。

下の写真は写真特集の1ページ目と2ページ目です。左側写真、1965年11月1日、カリフォルニア・ピノ山にてAlan McClure氏撮影。彗星頭部の左斜め上の輝星はカラス座γ星(ガンマ星)。
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右ページ右上は、10月26日撮影 太陽コロナの中を横切って5日目の様子。その左の写真は10月27日撮影の彗星頭部、太陽から5000万㎞の距離。その下、メキシコにて撮影。

右下の写真は10月28日エル・パソ(テキサス州)にて撮影、頭部より少し上にカラス座ηとδが写っている。尾はコップ座に達しています。
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左ページの左側の写真、10月29日カリフォルニア・ハミルトン山にて撮影、尾の実長4000万㎞以上、頭部の左上の二つの輝星はカラス座ηとδ星。左ページの右上は205mmレンズで20秒露出。その下、10月30日撮影マサチューセッツにて。

右ページの左上、10月31日撮影 黄道光と彗星、ニューメキシコにて。その下は、同じく10月31日撮影、アリゾナにて。右側の上の写真は、11月1日撮影/その下は10月31日アリゾナにて撮影、55mmレンズ使用。
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上段の左側、10月31日撮影/右側 11月1日撮影、頭部付近の星はカラス座γ星(ガンマ星)。太陽から徐々に遠ざかっているが、尾はますます伸びてきています。下の左側、10月28日ミネソタにて撮影/下の右側、11月1日ピッツバーグにて撮影、35mmカメラ15秒露出。

ちなみに、右側ページの隕石は、世界で3番目に重い隕石「新彊(しんきょう)隕石」で重さ28トン。(1位はアフリカ・ナミビアのホバ隕石60トン、2位はグリーンランドで発見され、ニューヨークのヘイデンプラネタリウムで展示されたアニギート隕石30.9トン) 新彊隕石の大きさは2.42×1.85×1.37メートルです。

新彊隕石(隕鉄)は1898年にロシアの探検隊によってロシア領内で発見されましたが、その後発見場所が特定できなくなっていたところ、たまたま中国の楼蘭洞窟調査隊が再発見し、1965年に新彊ウイグル自治区のウルムチまで運んできたものです。この新彊隕石は、2000年3月18日から5月14日まで名古屋市科学館にて開催された「宇宙展2000」で展示されていました。

(Sky and TELESCOPE 1965年12月号をいるか書房本館にUPしました。) ≪現在ウリキレです。7/25日≫
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先日、二十数年ぶりに伊良原(旧犀川町/現みやこ町)に行ってきました。現在、伊良原地区は平成29年の竣功を目指して「伊良原ダム」の工事の真っ最中です。

川沿いの狭い道路脇に立ち並んでいた家屋はすでに取り壊され、高台へ引っ越して地区の風景は大きく様変わりしていました。

間断なく工事車両が行きかう細い道路から見上げる両側の山は、広い範囲に赤土がむき出しになり、かつての見事な杉山は変貌しつつあります。
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しかし眼の前でしぶきをあげる祓川の清流は二十数年前のあの時のまま、夏の日差しを浴びてキラキラと輝いていました。

ダムが完成するまでできるだけ多く訪れてみるつもりですので、思い出のあちらこちらはまたの機会に書きます。・・・で、本日は伊良原の帆柱地区で出会った「マタタビ」のことを少しだけ。
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マタタビは6月頃に蔓(つる)状の枝に梅の花に似た白い花を咲かせます。蔓状といってもアサガオなどのようにクルクルと巻き付くというのではなく、他の木に這い登っていく感じで細い枝を伸ばして他木を覆って行きます。花期と同じ頃、葉の一部、あるいは葉全体が白く変化して遠目にもよく目立つ存在になります。
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葉の長径約10cm、短径6cmほど。撮影日は平成25年7月18日、すでに花の時期は過ぎていました。
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マタタビには雄しべだけの花をつける雄株と雄しべと雌しべの両性を持つ花をつける両性花の株があります。しかし両性花の花粉には発芽能力がないとのことで、実をつけるためにはやはり雄株が必要のようです。細長いドングリ形のマタタビの実は雌花の機能を持つ両性花に結実しますが、雄花にも実ができます。
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・・・といっても実際はマタタビミタマバエなどの昆虫が雄花の子房に産卵することによってできた「虫えい(虫こぶ)」で実ではありません。
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いわゆるマタタビ酒はドングリ形の生果ではなくこの「マタタビフクレフシ」とよばれる「虫えい」を原料にした果実酒で、本来のドングリ形果実よりも薬効があるそうです。

今回出会ったマタタビは、三つの群れに分かれて繁茂していましたが、道路際の桜の木に繁ったマタタビ以外は手が届かず、ドングリ形果実は確認できませんでした。撮影したマタタビは雄株のようです。

下の写真は枝に巻き付いている様子です。
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二つの枝がからまっていますので分かりにくいですが、葉は互生です。
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「虫えい」を切ってみました。直径は1.5cmほどです。
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・・・で、猫にマタタビと言いますので猫の鼻先に近づけてみました。・・が、まったく反応なしです。
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匂いが出やすいように指で葉を揉みつぶしていて、結構青臭いにおいがしているのですが。切った「虫えい」でも反応はありません。本来の実じゃないと興味ないかな?
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平成25年7月13日(土)から8月18日(日)まで行橋市歴史資料館にて「見えてきた豊前の国府」展が開催されます。(開館時間10:00~18:00/休館日8月15日/観覧無料)

今回の企画展は東九州自動車道の建設工事に伴い発掘・調査された遺跡のうち、古代の大規模官衙(かんが/役所)跡で豊前国府の可能性が高い「福原長者原遺跡」出土品と弥生時代後期から古墳時代にかけて大きな集落を形成し、奈良時代の役所と思われる大型建物跡も見つかっている「延永ヤヨミ園遺跡」出土品が中心となっています。
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また、旧豊津町国作の豊前国府跡出土品(墨書土器・木簡等)や椿市廃寺出土品(百済系軒丸瓦・重弧文軒平瓦等)、大ノ瀬官衙遺跡(築上郡上毛町)の写真パネル等も展示されています。

「福原長者原遺跡」は九州最大級の古代政庁跡で大型建物跡や建物群を取り囲む回廊状遺構などが発見されました。回廊状遺構の東西幅は約121m、その外側の「大溝」は約150mで「太宰府政庁」の東西幅よりも30mほど大きいそうです。

下図は展示図録6ページより「全体遺構配置図」。建物を取り囲む回廊状遺構の「南門」が正門で「八脚門(やつあしもん、はっきゃくもん)」と呼ばれる格式の高い形式が採用されています。
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八脚門の桁行3間、梁行2間、柱の直径は約0.4m、柱間寸法は桁の中央が約3.9m、両側が約2.4m、梁は約2.4~2.6m。(同遺跡現地説明会資料より)

今回の企画展では八脚門の1/50の復元模型が展示されています。下の画像は展示前に製作者から借り受けて屋外にて撮影したもの。門ではなく、家のようにも見える堂々たる構えです。
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八脚門というものの実際は、中心の棟の下に4本の柱を横列に配し、その前後に各1本合計8本を配していますので、全部合わせて12本の柱が使われていることになります。代表的なものでは法隆寺東大門の八脚門があります。
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展示図録8ページに掲載された「大ノ瀬官衙イメージ図」です。正殿・後殿・脇殿・が描かれ、正門は「四脚門」が描かれています。

「福原長者原遺跡」の今回発掘では脇殿と考えられる遺構は確認されましたが、正殿は確認されていません。しかし全体の規模や八脚門遺構などから国府跡の候補地のひとつに挙げられています。
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田植えが終わって間もないこの時期、広々とした水田地帯を走るのが好きです。(車で、ですが。)
少しばかり水面を残した田んぼはそれだけで清々しさを誘い、梅雨のさなかであることを忘れさせてくれます。

本日、梅雨の末期を思わせる激しい雨の合間を縫って出かけた折、少し遠回りをしてここ大谷地区(行橋市)に来てみました。
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どこまでも続く稲葉のうえを渡り来る風は湿り気を帯びているものの、やがて訪れるであろう夏の日の爽やかな風を想起してやみません。

広い水田の一隅にひと塊の木々が見えます。近づいてみると小さな祠が祀られていました。
たまたまお詣りに来られた近所に住まわれるというご老人にお伺いすると、正月と7月11日の年二回、この祠をお守りしている近所7軒共同で「おこもり」をしているとのこと。
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代々7軒で古くからお守りをしてきたそうで今年85歳になるとおっしゃるK翁は「祠は行橋市元永の今井津祇園社から勧請したそうだ」が詳しいことはわからず、覚えていることと言えば翁が5歳くらいのときに以前からあった少し大きめの祠を現在の祠に作り替えた、とのこと。

昔は「おこもり」の時、行橋から座頭さんを招いて琵琶を弾いて語り物を語ってもらっていたそうですが、今は近くの大分八幡宮の宮司のお祓いを受けて「おこもり」をしているそうです。
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翁の話しに耳を傾けながら小さな祠を取り囲む木々に目をやると、青々とした水田を渡ってくる風に時おり枝を震わせていました。少し離れた場所でお話しを伺っていましたが、サワサワと葉擦れの音も聞こえてくるようでした。
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