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宝珠山小劇場の最後のSPレコード研究会からひと月がたち、小劇場閉幕のお知らせも届いているというのに、今一度、あの空間に身を置きたい気持ちにかられます。
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あの日、校庭隅の桜木や校舎裏の桜の木は満開の様相でしたが、今は教室出入り口の藤棚が見ごろを迎えていることでしょう。

わずかひと月前のことながら季節は確実に移ろいでいることを認識しつつも、校舎の壁面に掛けられた時計が止まったままのように、
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こちらの時計も止まったかのようです。

数回訪れただけなのに教室内の本たちや、
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バケツが整然と並べられた犬走りや手洗い場、
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校舎の隅々の佇まいが、いまでも鮮明に思い起こされます。
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またいつの日か、訪ねてみたい空間です。
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平成25年4月8日、築上町弓の師の「町物産館メタセの杜」にて、同地に常設展示されることになった練習機「T-33A」の除幕式がありました。

T-33A 81-5358機は以前、添田町の添田公園に展示されていた機体で平成4年まで築城基地で運用されていたものです。
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今回、添田町から同基地への返還を機会に、新たに築上町へ無償貸与されることになり、再塗装されての常設展示となりました。
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展示地は「メタセの杜」の一隅ですが、すぐ前を走る県道58号線からもよく見える場所にあります。
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築城基地第304飛行隊の部隊マーク 英彦山の天狗
前脚後方よりみた機体内部
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主脚格納部からみた機体内後方 右端の四角の明かりはインテークの排出口からの太陽光
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同じく主脚格納部から見た機体内後方 側面と下面の排出口の明かり
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機体内部側面のJASDFの文字 8Wは第8航空団(築城)、CMSGTは空曹長のこと、DOCKは検査隊
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機体内部側面
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前脚の裏面上部
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西日の中のT-33A 81-5358機
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ところで下の写真は永いあいだ築城基地のエプロン端に置かれていた2機のT-33Aです。
撮影日は2011年10月2日の築城基地航空祭の日ですが、翌年の基地祭のときは2機ともこの場所から消えていました。
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機体番号は「71-5256」。後方の機体番号は「61-5217」です。
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この機体たちもどこかで展示されているのでしょうか。それとも解体か・・・。
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ドッグウッドの標準和名はアメリカヤマボウシですが、「ハナミズキ」のほうが通りがよいようです。

以下は「ドッグウッドの花咲く町」からの転記。

『・・・桜は散りました。いまはライラック、リンゴ、ジャスミン、ヴァージニア州の州の木と花になっているドッグウッドの白と赤い花。街は花ざかり。本当に街が花ざかりなのです。野山でなく。』
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同書所収の『燻製鮭の「カマ」を売る店』と題されたエッセイからの抜き書きで執筆日付は1986年4月16日。

あるいは10月31日、つまり秋の文章では、

『住みはじめた六月、緑色の実を群がる葉の中に五、六個ずつつけていました。いまはその実もまっ赤。葉を追って実も落ちだしました。

赤い実を裂くと、中はゆで卵の黄身のようです。芯に大豆ほどの種があります。春に咲く蕾はまだ青く固く、直径五ミリほど。小さい蕾のまま冬を越します。ヴァージニアの冬は厳しいと聞きます。(同書、タウンハウスから)』とあり、冬に向いつつあるハナミズキの様子を描きだしています。

『タウンハウスから』の執筆は1985年でハローウィンの夜、とのこと。著者はこの年1985年春から1988年夏までの3年間をアメリカのヴァージニアで暮らしています。

「ドッグウッドの花咲く町」は、Ⅰ部・タウンハウスからの手紙、Ⅱ部・戦後四十年目のアメリカに分けられ、Ⅰ部は東販の「新刊ニュース」に1986年から28回連載されたエッセイを纏めたもの。Ⅱ部は読売新聞夕刊と毎日新聞夕刊に掲載されたエッセイの再録で、いずれもヴァージニアの街の一角で見聞し、体験し、折に触れて感じたことを素直な文章で綴ったものです。
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そして本書にはたびたびドッグウッドが登場し、場面場面を引き立てています。そのドッグウッドは、ヴァージニアの州花・州木、北米原産で分布はカナダ中東部からアメリカ東海岸一帯、ミズーリ州、テキサス州などの南部、さらにメキシコ北東部にかけてです。

アメリカを代表する花木のひとつと言ってもよいようで、ヴァージニアでは州花・州木、ノースカロライナ州では州花、ミズーリ州は州木、ジョージア州アトランタ市では市の花に選定されています。日本への最初の渡来は明治中期だそうですが、よく知られている渡来談は明治45年に当時の東京市長尾崎行雄が米国ワシントンへ贈った桜の苗木3000本に対する返礼としてもたらされた白花種40本の件で大正4年のこと。

ちなみに紅花種のハナミズキの渡来は大正6年で苗木13本だった、とのこと。

その後再三にわたって米国から寄贈されて各地に植樹、やがて『憲政記念館には約300本、有栖川公園には50本、神代植物園にも220本ある。(1987年発行/迎賓館赤坂離宮/時事画報社)』ほどになり、現在では街路樹としても日本各地で人気の樹種となっています。
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ハナミズキの総苞/迎賓館赤坂離宮・時事画報社より「米国大統領とアメリカハナミズキ」の挿絵

1974年(昭和49年)、11月18日から21日までの4日間、フォード米国大統領が国賓として赤坂離宮に滞在されたときの話。

『・・・現職の米国大統領がわが国に来られるのは初めてのことであり、かつてアイゼンハワー大統領の来日が、その直前に取り止めになった苦い経験にかんがみ、フォード大統領接遇の準備は関係者の間で慎重かつ綿密に行われた。・・・フォード大統領が来日される前日、十七日の日曜日のことである。』

諸準備に忙殺される著者のもとに外務省の儀典長から電話がかかり、大統領に記念植樹をして頂くことを提案。大至急検討してほしいという。さっそく米側と連絡を取り、樹種をハナミズキとし、記念植樹を決定。植樹する苗木は日本で育っているものでいいという米側の言葉で、東京郊外の苗圃から調達。苗木の到着は大統領離日の前日11月20日。

あけて11月21日午前8時30分、『大統領は主庭の西側の一角に歩を進められた。・・紅白のリボンのついたシャベルを私が大統領に差し出す。受け取った大統領は、自分は左利きだが、と笑いながらシャベルを振り、二回三回土をすくって木の根元にかけられた。』(米国大統領とアメリカハナミズキ)より。

迎賓館のフォード大統領手植えのハナミズキは、翌年の昭和50年4月下旬に24個の白い総苞をつけたということで、このときの樹高は約2.5メートル。この文章が書かれた昭和62年4月現在、樹高約4メートル、総苞の数は優に1000個を超えている、そうです。


ドッグウッドの花咲く町/林京子著 影書房発行 1989年5月31日初版
迎賓館赤坂離宮/(社)時事画報社発行 1987年7月1日第1刷/1989年7月1日第2刷

上のハナミズキの写真は平成25年4月10日撮影・自宅にて 前日まで蕾だったのが1日で開花。
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開き始めは紫紅色の総苞ですが、大きく開くにつれてピンクに変わってゆきます。
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1993年から21年間に亘って開催されてきましたSPレコード研究会ですが、いよいよこの日を持って終会となりました。
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当日用意されたレコードは全部で23枚、厖大な収蔵SP盤のなかからの選曲はたいへんなことと推察致しますが、最終回に当たっての選曲理由に加えて作曲当時の社会情勢や曲が誕生するに至る背景などをお話しいただき、「鑑賞会」ではなく「研究会」と称する所以に触れる思いでした。

また、研究会開演に先立ち、行橋市在住のリュート奏者大竹氏によってリュートの演奏が披露され、よりいっそう日常生活から隔絶された世界に浸ることが出来、至福のひとときを過ごすことができました。

リュート演奏曲は17世紀ザルツブルク宮廷楽団の楽長を務めたハインリヒ・ビーバーの作品で、眼前で生みだされるやわらかなリュートの音色は、時折り舞い落ちる窓外の桜の片々の風情と相まって、春の日の午後を楽しむのに充分過ぎるほどの舞台設定でした。

プログラムは休憩を挟んで第1部と2部に分けられ、1部の最初の曲は1951年にグランズベールが作曲したシャンソン「パダム・パダム」。エディット・ビアフの代表曲の一つですが、今回は男性歌手のビル・ヘイズの歌声です。
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2曲目の「谷間のともしび」はアメリカ民謡で昭和9年に録音されたもの、とのこと。次の「希望の首途(かどで)」も昭和9年の流行歌だそうで題名のとおり明るくさわやかな曲でした。プログラムをご覧頂いてお分かりのとおり、シャンソンありタンゴあり流行歌あり行進曲ありとさまざまで、飽きることのない選曲設定です。

1部の最後はエルガー作曲の行進曲「威風堂々」ですがレコードでは「偉風堂々たる陣容」となっているそうです。最初の「パダム・パダム」がビル・ヘイズなのは淡谷のり子の次の「愛への賛歌」との兼ね合いでしょうね。多分・・・。
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第2部は星空の歌が続いたあと「夜明け」を迎えて大地へと移りスメタナの「わが祖国モルダウ」、大地から街へと変わって「パリ」と「浅草」と「銀座」の歌。(・・・と主宰者のNさんは解説されていました) 

そして江利チエミの若い歌声を聴いて、残るはあと3曲のみ。

「アデュー」が最終曲ではなくハリー・ベラフォンテでちょっと気持ちを転換したあと、ルイ・アームストロングの「バラ色の人生」を最後の曲に持ってきたところに主宰者とスタッフの心持ちを感じ、これを私たちへのメッセージとして受け止めさせて頂きました。

手仕事舎のみなさん、有難うございました。
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そして最終回の記念にと地元の素敵な小鹿田焼の湯呑みと手作りケーキまで頂きました。
どうもありがとうございます。
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蓄音機の鉄針を入れたティン缶、犬と赤ちゃんが愛らしいドイツ製マーシャル針の「ニードルケース」/SPレコード研究会会場にて
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そして会場の右端に置かれていた巨大なホーンを持つE.M.Ginn製の蓄音機キャビネット内の銘板です。
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またいつか、お会いできる日を祈念いたします。
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