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昭和41年4月、大阪市立博物館にて「間五郎兵衛重富の没後150年」を記念する展覧会が催されました。

ご覧頂いている画像はその時の「展覧会の栞」で、内容は表紙に書かれているとおり「1.展観目録/2.間重冨年表/3.シーボルト事件と間重新/4.大塩平八郎と間重新/5.1819年第2彗星を「間彗星」と呼びたい」 です。
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1.の「展観目録」は総数166項目(展示総数280点超)で、間家所有のラランデ暦書翻訳稿本・円理私説稿本・天学雑録などの稿本・写本類、彗星実測記・月食皆既実測などの観測記録類、書翰類、星目鏡、天球儀、揮天儀、等々の出品物名が記載されています。

展示品の多くは重冨・重新父子の直接手になるものですが、ほかにも橋本宗吉の「オランダ新訳地球全図」や司馬江漢の「和蘭天球図」、高橋至時の「ラランデ暦書管見」、桂川甫周の「和蘭字彙」、伊能忠敬使用の測量器具等の名も見え、かなりの規模の展覧会だったことが窺えます。
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2.の間重冨年表は、『羽間氏発祥 天正15年(1587年)妙雲〔蒲生氏のち羽間氏を名乗る〕生る』から始まり、『明治36年1月29日 間五郎兵衛11代繁蔵 没 年18。 諡(おくりな)宝月 葬茶臼山那福寺 嗣なし。明治43年2月3日裁判所の許可により、間五郎兵衛の系絶家。羽間氏三家樹立以来の由緒に依り、中兵衛の裔 羽間平右衛門、その祭祀をつぐ。』 で終わっています。

「間五郎兵衛の系絶家」のあとに記されている「羽間氏三家」とは、浦江村羽間氏、海老江村羽間氏、大阪阿波座堀羽間氏のことで、間五郎兵衛重冨は阿波座堀宗雲を初代として7代目に当たり、重冨の子重威(のちに重新に改め)は8代目で、代々五郎兵衛を名乗っています。

この「間重冨年表」は、羽間氏発祥から間五郎兵衛の系断絶までのおよそ300年の家歴を重冨父子の事跡を中心としてかなり詳しく記述しており、また、重冨父子と深く関わりを持った麻田剛立・立達父子、高橋至時・景保父子、橋本宗吉、伊能忠敬らの動向も交えて記しているため、当時の改暦作業や全国測量事業の一端を垣間見ることが出来、間重冨の改暦や測量事業へのかかわりと天文方での立ち位置を窺い知ることが出来る内容になっています。

3.の「シーボルト事件と間重新」も年表形式になっていて、重新にも嫌疑が掛けられたこととシーボルト放逐・高橋景保獄死の記述のあとは、重新が試験的観測に用いた「天気儀(蛮名バロメートル・晴雨天気測候器)」と「気候儀(蛮名タルモメートル・寒暖験候器)」の記述が続いています。

4.の「大塩平八郎と間重新」も年表形式で記され、親交があった平八郎と重新の親密ぶりが述べられていますが、年表後半の天保7年秋の叙述に

『重新 近来洗心洞塾内とかく落付なく、玄関にぬぎすつる履物の狼藉など言語道断に付 これを平八郎中斉に忠告すること一再ならず、而してなおやまざるに呆れ、遂にはその親交を絶つに至れり』

とあって、その後の大塩平八郎の乱に触れた後、『天保8年2月19日 重新の測量日記には「何者か狼藉云々」とさりげなく記録するのみ』、と述べて年表を終えています。

年表中の「洗心洞」とは、文政8年(1825年)に大塩平八郎中斉が開いた塾の名称です。

5.の「1819年第2彗星を「間彗星」と呼びたい」は、「天文学史上に於ける間重冨とその一家/渡辺敏夫著」からの転記で、文政2年出現の第2彗星は外国では7月2日発見となっているが、重新はこれに先立つ陰暦5月1日(太陽暦6月22日)に観測しているので「間彗星」と呼んでしかるべきだ、と述べています。

この彗星については「間重新が観測した文政二年の彗星/栗田和実氏」に詳しく述べられています。

なお、大阪歴史博物館にて「町人天文学者間重富の天文観測と暦」が開催されていることを付記します。会期は平成24年8月29日(水)~10月29日(月)です。

大阪町人学者 間五郎兵衛重冨没後150年記念 展覧会の栞
昭和41年4月10日~同年6月30日
大阪市立博物館/羽間文庫

昭和41年4月10日 羽間文庫老(著)
15×21cm/43ページ
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両面印刷の三つ折パンフレットで広げたときの大きさは、21cm×44.5cmです。

おもて面は富士山・火星図・観光天文センターのイラストと「今月の星空(春の星座)」、それに画像ではカットしましたが「御観らん案内」です。
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裏面は「太陽のまわりの金星の動き」「日本平のプラネタリウム」「日本平観光旅行案内」「日本平プラネタリウム今年前半の予定」となっています。

「御観らん案内」の一部を転記しますと、「1回の収容人員 座席150名/開演時間 第1回午前10時より 最終回午後5時より/夏期(7月1日より9月15日まで)最終回午後8時より/御観らん料金一般大人50円 学生40円 小人30円 団体50名様以上1割引 100名様以上2割引」とのこと。
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「日本平プラネタリウム今年前半の予定」は、3月11日~4月10日春の星座・太陽の動き(黄道十二星座)/4月11日~5月10日春の星座・南極の星空(越冬隊の働らき)/5月11日~6月30日初夏の星座・二千年前の登呂の星空(際差運動の話)、です。

因みにこのパンフレットには発行年が書かれていませんが、「日本平観光旅行案内」の文面に利用交通手段のひとつとして『新東海号』(1959年(昭和34年)9月22日から1961年(昭和36年)10月1日まで東京駅-名古屋駅間で運行された全席指定の準急列車)を挙げていますので、発行は恐らく1961年の春頃だろう、と推測します。(プラネタリウム運営開始の年と第1号発行年がわかりませんのであくまでも推測です/プラネタリウム機材の納入は1959年)

日本平観光天文センター天文台は、富士観光会社が観光用に作った天文台で、観光用以外ではのちに小惑星「みずほ」を発見した浦田武氏らが主に彗星観測に使用していました。

建物の1階は土産物売り場と無料休憩室、二階は500人席の大食堂、プラネタリウムは三階で五藤光学M-1型の2号機が収められています。ドーム直径10m、130~150人収容。
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天文台は1961年完成で6mドームに五藤光学20cm屈折の1号機を設置。屋上展望台には世界最大と謳われた五藤光学製・地上用観光望遠鏡(口径30cm・長さ5.5m)が置かれていましたので、実際にご覧になった方は今でもその巨大さを覚えているのではないでしょうか。

このパンフレットにも『展望台には世界最大の観光望遠鏡をはじめ各種の望遠鏡があります。』と記されていますが、残念なことにその大きさなどは書かれていませんので、巨大望遠鏡はあるいは同じく五藤光学の口径20cm・全長6mのマンモス型地上望遠鏡だったかもわかりません。(画像は、日本の天文台/誠文堂新光社・月刊天文ガイド別冊 より)

「日本の天文台」の55Pより日本平観光天文センターの写真を一部拡大します。天文台のすぐ横にテレビ塔が聳え、画面奥には清水港と遠くに富士山が見えています。
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この天文台が置かれた日本平山頂の南斜面には31cmF/5.6反射鏡を収めた浦田武氏の「ヤキイモ観測所」も設置されていて、1978年3月12日に同望遠鏡でP/Gehrels3彗星を撮影したプレート上で小惑星「(2090)Mizuhoみずほ」が発見されました。「みずほ(瑞穂)」は日本のアマチュア天文家が発見した最初の小惑星で発見時の光度は15等級でした。

日本平観光天文センターは駿河路観光の名所に位置し、大勢の観光客や修学旅行生で賑わっていましたが、1980年頃に閉鎖されたとのこと。詳細は不明です。
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