<   2012年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

ジョン・ヒル(1716-1775)が1754年に発刊した「Urania」掲載の13星座は次のとおり。

Aranea/クモ座
Bufo/ヒキガエル座
Dentalium/ツノガイ座
Gryphites/古代の牡蠣座
Hippocampus/タツノオトシゴ座
Hirudo/ヒル(蛭)座
Limax/ナメクジ座
Lumbricus/ミミズ座
Manis/センザンコウ座
Pinna Marina/イガイ(貽貝)座
Scarabaeus/スカラベ座
Testudo/亀座
Uranoscopus/オコゼ座

この中に貝の星座が二つあります。ツノガイ座とイガイ(貽貝)座です。古代の牡蠣座も貝と言えば貝ですが、ここでは「化石」に入れておきます。

下図の水がめ座の肩あたりに「ツノガイ座」があり、右端に「イガイ(貽貝)座」があります。ツノガイ座は現代の星座区分では水がめ座とわし座の境界あたりに位置し、イガイ座は射手座とわし座の境目あたりに位置するようです。
d0163575_22142782.jpg

いずれも4~5等星の目立たない星ばかりで、ジョン・ヒルとしては星座の場所はどこでも良く、数個の星の配列があればとにかくそこにツノガイとイガイの星座を創りたかった、のではないかと思えてきます。

Dentaliumの訳はツノガイ座で良いと思うのですが、Pinna Marinaはあるいは「ムール貝座」のほうが適しているかもわかりません。「イガイ」と「ムール貝」を並べてみたとき、「ムール貝」のほうが日本語として広く知られている言葉のように思えますので。

もっとも、この場合、ムール貝のムール(moule)はフランス語で貽貝(イガイ)そのものを指すようですので「貽貝貝」では具合が悪く、「ムール座」とするべきでしょう。しかしそうなると「ムール座」って何? ということになってしまいます・・・。

さて、次はオリオンの頭上に位置する「ヒル座」です。現代の区分では、オリオン座とおうし座の境あたりで、おうし座ζ星の下の数個の4~5等星で星座を形作っています。
d0163575_22153833.jpg

Hirudoは学名で言うと「吸血ヒル(チスイビル)」ですので、「吸血蛭座」が良いように思われます。・・が、これではさらに嫌悪感が増すばかり。

しかし、医師でもあったジョン・ヒルは生きたチスイビルを用いた治療(瀉血療法)があることを当然熟知していたでしょうから、彼にとってはあながち奇をてらった星座設定でもなかったような気がします。(充分に奇をてらってます) 

チスイビルの英名Leechには医者を示す意味があるそうですが、もともとHirudoはラテン語で医者を意味しているそうです。さらに言うと、漢方では乾燥したヒルの生薬名を水蛭(すいてつ)と呼ぶそうですので、日本語の星座名としては「水蛭座」も候補にあげておきます。

9月17日と20日と本日(9/24日)でジョン・ヒルの星座10個を紹介してきました。残り3座は、「ナメクジ座」「クモ座」「タツノオトシゴ座」です。

まずは、ふたご座の図の右側の「ナメクジ座」から。場所はエリダヌス座の下方、ウサギ座との境界あたりです。Limaxの日本語訳は「コウラナメクジ」です。ついでながら、ふたご座の下に「ミミズ座」、上に「オコゼ座」があります。
d0163575_22165810.jpg

日本各地で普通に見かけるいわゆるナメクジと同様に広く国内に分布していますが、もとはヨーロッパ原産の帰化動物とのこと。コウラナメクジは「甲羅ナメクジ」の意で、退化した殻が薄く楕円形に体内に埋もれている状態を言いあらわしていて、その様子が星座絵にも描かれています。
d0163575_22245470.jpg

画像左側の図は、おとめ座のスピカとうみへび座の尾に挟まれた「くも座」です。この星座絵が載っているSky&Telescope誌の説明によると「Aranea」は「long-legged spider」となっていて、アシナガグモ科のクモを思い浮かべる記述となっています。

大きな分類でいうとこれで間違いではありませんが、星図は「Aranea」と記されていますので、アシナガグモ科(Tetragnathidae)よりはコガネグモ科(Araneidae)がふさわしいように思われます。したがって「コガネグモ座」と仮に名づけておきます。しかし、まあ、単に「クモ座」で良いか・・・。

クモ座の位置を現代の星図に当てはめるとたくさんの銀河系外星雲が集まっている場所であることがわかります。系外星雲は肉眼では見ることができませんが、星空にこのクモ座の形をたどるとき、クモの巣にからめとられた無数の系外星雲を一緒に思い描くことができるような気がします。

最後は、おうし座とエリダヌス座のあいだに設定された「タツノオトシゴ座」です。ここも4~6等星の暗い星ばかりで、数個の星々からタツノオトシゴを想像するのはチョットむつかしいようです。

ジョン・ヒルは、星座と星座の隙間を埋めるようにして新たに星座を設けていて、既存のよく知られた星座を壊してまで自分の星座を創りあげてはいません。彼が発表した小説が下品で風刺や皮肉を含んでいたとしても、彼自身は科学者としての一定のモラル(星座の歴史やその星座が創られた経緯なども含めて)を持っていたのではないかと思いたいところです。

ジョン・ヒルは英国最古の自然科学学会ロイヤルソサエティーに加わることを望んでいましたが、必要な推薦人を得ることができず入会を断念しています。

このことが彼の生き方や著作物に何らかの影響を与えたのか、与えなかったのか。

ジョン・ヒルの13星座は正式に星座として採用されることはありませんでしたが、彼なりの
方法で天文やその他の科学界に対して一矢を報いたのではないでしょうか。

毀誉褒貶に満ちた起伏の多い彼の人生だったようですが、26巻にも及ぶ植物学の大著などを残し、1775年にロンドン中心部のゴールデンスクウェアで亡くなり、バッキンガムシャーのデナムに埋葬されました。
[PR]
画像の一番上は「亀座」で「うお座」の近くに位置しています。その下、逆さになったヘラクレスの腕あたりに「古代の牡蠣座」、画面右側は「蜥蜴座」の横に設けられた「センザンコウ座」です。
d0163575_1522595.jpg

しかしこの星座絵ではセンザンコウのほうがトカゲにみえますね。トカゲ座のほうはどう見ても犬かキツネのようです。

因みにヘヴェリウスの星図ではトカゲ座はこうなっています。
d0163575_1524525.jpg

「古代の牡蠣座」は「Gryphites」と表記されていますので正確には「中生代グリフェア科の牡蠣化石座」または単に「牡蠣化石座」とするべきかもわかりません。

ジョン・ヒルは化石についての本を出版しているほどですから、化石の星座を創りたかったのでしょうが、それにしても現世種の食用牡蠣ではなく化石の牡蠣を持ってくるところはやはり彼は皮肉屋さんなのでしょう。一般的には食用牡蠣のほうが馴染み深いでしょうから。

グリフェア科の殻頂(蝶つがいの先)はクルッと丸まっているのが特徴のようですが、この星座絵もそのように描かれています。

亀座は英名Tortoiseとなっていますので、「陸亀座」のほうが良いかもわかりません。

次は「蛇使い座」と「天秤座」「さそり座」に囲まれた「スカラベ座」です。英名は「Rhinoceros Beetle」ですので「カブトムシ座」かもわかりませんが、星座絵を見ているとそれではどうもスッキリしませんので、そのまま「スカラベ座」としておきます。この画面の右端にも「Bufo」がいます。
d0163575_1525182.jpg

誠文堂新光社の全天恒星図2000より、スカラベ座に当てられている場所を示します。さそり座のχ星・ξ星・ψ星付近で4~5等星の目立たないばかりですが、スカラベの形は単純ですので星空に姿を思い描くのは簡単のように思われます。
d0163575_1526127.jpg



つづきます。
[PR]
イギリスの植物学者・園芸家・小説家のジョン・ヒルは生涯に76冊の書物を著していますが、そのなかのひとつに1754年に発刊した「Urania: A Compleat View of the Heavens; containing the Ancient and Modern Astronomy, in form of a Dictionary」という天文書があります。(1768年に少し題名を変えて再出版)

この「Urania」に彼自身が創作した13の星座が載っています。下図は「Sky&Telescope1983 April」に掲載された13星座のひとつ「Bufo」です。

位置は「てんびん座」の下、「さそり座」の右で、現在の星座区分では天秤座の一部から狼座の境い目あたりになります。
d0163575_1963642.jpg

「Bufo」の英語名は「Toad 」でヒキガエルですが、これには「いやなヤツ」という意味もあるとのこと。この「いやなヤツ」に負けず劣らずジョン・ヒルが作った星座には「クモ座」「ミミズ座」「ナメクジ座」「水蛭座」などの星座としてはどうかな、と思えるものがズラリと並んでいます。

ジョン・ヒルは1716年にイングランド中東部の町ピーターバラで生まれといわれています。若い頃に薬屋に弟子入りし、年季明け後独立してウェストミンスターのセントマーチン通りに小さな薬局を構えました。

前後して植物学を修め、さらに造園・園芸術も習得してリッチモンド公爵やペトレ卿の求めに応じて庭園作りや珍奇な植物の蒐集にあたるようになります。のちにロンドンのキュー王立植物園の責任者にも任じられました。また、セントアンドリュース大学から医学の学位を取得した医師でもありました。

彼の著作の多くは植物学や薬草・造園・園芸に関する本、鉱物・化石・昆虫などの自然誌関係書、あるいは医学・薬学・健康に関する本ですが、演劇に関する本やさらには小説なども手がけています。

しかし彼の文章は下品で痛烈な風刺を含んでいるとして、作家ヘンリー・フィールディングや詩人クリストファー・スマート、画家ホガース、ロンドン演劇界の名優ディヴィッド・ギャリックらと激しい論争を引き起こしています。

彼の天文書は「Urania」が唯一のようですが、そのなかであえて「いやなヤツ」を登場させたのは既存の天文界(天文学会や天文学者)に対するアテツケのように思われます。

1603年にヨハン・バイエルが「ふうちょう座」「カメレオン座」など12の星座を新たに創って以来、ロワーエやヘヴェリウスらが次々と星座を『勝手に』新設し、さらにジョンヒルと同時代のフランスの天文学者シャルル・ルモニエ(1715-1799)が「トナカイ座」や「ツグミ座」を創ろうとするに至って、それならばこれはどうだ、と言わんばかりに創り上げたのが「ジョン・ヒルの13星座」、という気がしてなりません。

下図は「ふたご座」と「やまねこ座」のあいだに設けられた「Uranoscopus」と呼ばれる魚の星座、それに「ふたご座」の肩のあたりで「かに座」「こいぬ座」は挟まれた「Lumbricus」、つまり「みみず座」です。
d0163575_1972411.jpg

「Uranoscopus」は英語名では「Star-Gazer fish」となっていますので、直訳すると「星を見る人の魚」、日本語の魚名ではよく分かりませんが、「オコゼ」でしょうか。星を見る人とは天文学者を指しているようですが、なにゆえこの魚が「Star-Gazer」でなにゆえこの魚の星座を創ったのか。

Sky&Telescopeの説明によると「Star-Gazer fish」は普段、海底の砂や泥に身を隠し、眼と口だけ出して常に上を見上げて獲物を待ち構えているから、とのこと。
これはもうほとんど天文家に対する皮肉でしょうね。Star-Gazerには夢想家という意味もあるようです。

つづきます。
[PR]
守山史生氏の文中、「綿屋」とあるのは、東大理学部天文学教室の疎開先だった上諏訪の「綿屋旅館」のことで、昭和20年4月上旬から終戦を挟んで半年余りの間、この綿屋を宿舎として学生13名及び助教授藤田良雄氏と助手(のちに講師)の畑中武夫氏らが起居をともにしていた。
d0163575_2075163.jpg

小平・畑中両先生の会話を書きとめた守山氏は当時(昭和20年)入学したばかりの1年生で、氏を含む新入生5名は物理学科の学生と一緒に下諏訪の「神の湯旅館」に疎開したため、「されど天界は変わらず」のもととなった「上諏訪日誌」には直接関係していない。

・・・が、綿屋で両先生と同じ炬燵を囲む仕儀となったのは、教室が指定した疎開日より早く諏訪入りしてしまったため行くところがなく、しばらくのあいだ綿屋に滞在していたから、とのこと。

さて、その「上諏訪日誌」のこと、日誌は昭和20年4月29日の「天長節」の日から始まっている。

『1945年4月29日(日)(天長節)晴 午前9時:藤田、畑中、丸山、高島学校拝賀式に参列。10時:第二次の荷物着、直に学校と綿屋に運搬。午後:小尾来る。午後8時までに敢闘して大略整理す。夜は非常に明朗なり。』

日誌の初日の筆者は昭和17年10月入学の丸山進氏。この日より10日あまり丸山氏が日誌をつけ、その後、岡田正光(ジョセフM.岡田)・三澤邦彦・松永泰輔・檀原毅・北岡清・井田茂・守永晃・小尾信彌・海野和三郎・石田五郎の諸氏が書き継ぎ、

10月19日の『個人の荷物の発送をはじめる。ひる井田来る。夜、藤田敦賀へ畑中上京 岡田浦和へ。ここに分室に残るもの 守永 井田両先輩のみなりき。因に教室の貨車は22日(月)秋葉原安着。24日(水)午後より運送。恙なく納まった。安心! 安心! これで終り。』の畑中講師のあとから書き足したと思われる日誌で終了している。
d0163575_2085956.jpg

約半年間にわたる、諏訪での疎開生活が綴られた「上諏訪日誌」(上)/綿屋旅館では、藤田助教授、畑中助手ほか14名の学生等が寝食を共にした。(下)/茅野作之助氏提供(されど天界は変わらず より)

「上諏訪日誌」に加えて昭和20年8月2日から8月15日までの日誌「南安曇陸地測量部活動記録」の収録までが、「されど天界は変わらず」の第Ⅰ部になっています。

「南安曇陸地測量部活動記録」は、石田五郎・海野和三郎・三輪欣二・大脇直明の諸氏が温明国民学校(南安曇郡三郷村)にて勤労動員したときの日誌。当時、温明国民学校には参謀本部陸地測量部の一部が疎開していて、諸氏はここで作成されていた暦(海軍水路部の航海暦)の計算に従事した、とのこと。

「南安曇陸地測量部活動記録」については、「第Ⅱ部」の「終戦前後の記 大脇直明」に詳しく書かれていますが、この「終戦前後の記」と小平・畑中両先生のエピソードを記した「下諏訪の半年」、それに「上諏訪の人々 進士晃(守永晃)」「諏訪の温泉宿で迎えた終戦 小尾信彌」「上諏訪日誌-東大天文学教室の疎開 海野和三郎」の5編により「第Ⅱ部 天界を夢見続けた人々」が構成されています。

続く第Ⅲ部は「若き天文学者たちとのふれあい」のタイトルで、学生たちが投宿した綿屋旅館の経営者茅野夫妻の子供たち(長女金丸道子さん・長男茅野作之助氏・次女三輪悦子さん・三女有賀洋子さん)による思い出話や教室の疎開先として綿屋旅館決定に奔走した蜥蜴座新星の発見者五味一明氏と学生たちの交流、学生たちが食事に通い、何度となく日誌に登場する「たぬき食堂」の金井ますえさんと五味氏との対話による当時の暮らしぶりや学生たちの日常生活等々、興味深い話が綴られています。

日誌に登場する学生や先生方は戦後日本の天文界に次々と新風を吹き込み、さらに世界の天文界をリードして行くことになるのですが、その学究の初期の段階において日々の食糧にも事欠くなか、また将来に少なからず不安を抱いた事もあるであろうに、綴られた文章には過度な悲嘆はなく、むしろユーモアさえ含ませて日々の出来事を冷静に書きとめている姿を見、強い感銘を受けます。

なお、「天文月報」の1993年11月号に小平桂一氏による書評が掲載されていることを付記します。



されど天界は変わらず/東京大学天文学教室諏訪疎開の記録
発行日:1993年8月1日初版
定価:1500円(本体1456円・税44円)
編者:東京大学理学部天文学教室OB
編集者:大井俊男
発行者:酒井春人
発行所:有限会社龍鳳書房
印刷:三和印刷株式会社
製本:関製本株式会社
用紙:株式会社夏目
製作スタッフ 表紙デザイン/大井香苗 写真撮影/丸山義正 製作アシスト/田中美和子
19.5×14cm/175ページ(写真8ページ/終戦の頃の諏訪湖周辺地図1葉/挿入写真多数)
[PR]
下図は、「Sky & Telescope April 1982」に掲載された小惑星ヘルメスとニューヨークの大きさを比較したもの。原図はニューヨークの自然史博物館に展示されています。

この比較図は「天界」の1950年5月号の表紙にも載っていたように思う。・・・が、その号が手元にないので今確かめることは出来ない。
d0163575_23192615.jpg

・・・、それはさておき、ヘルメスはドイツのカール・ラインムートによって1937年10月28日に発見された小惑星で、「地球近傍小惑星」と呼ばれる小惑星のひとつ。

地球近傍小惑星とは、字句のとおり地球の近くまでやってくる小惑星で、ヘルメスの場合、発見時、地球から約77万km離れたところを通過していた。

ヘルメスは直径1km程度の比較的小さな小惑星と考えられていますが、ニューヨークとの比較図を見る限りとてつもなく大きく感じられ、もし地球と衝突すればマンハッタン島壊滅はおろか、全地球が深刻な状況におちいることだろう、と想像します。

ヘルメス程度の大きさの小惑星が地球に衝突する確立は100万年に数回だそうですが、近い将来、地球近傍小惑星が衝突する可能性、なきにしもあらず。

・・・・で、この図を見てすぐに連想したのが、「されど天界は変わらず/龍鳳書房刊」の次の文章。

『10日前後(4月12日、米大統領ルーズベルトの急死が報ぜられる少し前)だったと思うが、小平(邦彦)先生が畑中先生を尋ねて綿屋に来られたことがあった。私は大先生方と同じ炬燵を囲む仕儀に恐縮し、隅の方で小さくなってお二人の会話を謹聴して居た。

当時は夜間空襲による大都市の被害の拡大、米軍の沖縄上陸と、戦局が日増しに悪化し、小磯内閣が倒れ鈴木貫太郎内閣が成立した直後で、話は当然の様に暗い将来の見通しに及んで行った。

どの様な話がどの様に展開したかはすっかり忘れてしまったが、小平先生に「小惑星がニューヨークに衝突する確率はどの位ありますか、期待出来ませんかね。」と聞かれて、畑中先生が眼を白黒させておられた光景だけは、私の記憶に鮮明に残っている。(後略)』

(されど天界は変わらず/第Ⅱ部 天界を夢見続けた人々、より「下諏訪の半年 守山史生」)

つづきます。
[PR]