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なかなか記事内容まで辿り着きませんが、この項は今回で終わりにしたいと思いますので、ふたつばかりご紹介します。

ひとつは、102ページから117ページに亘って掲載されています「小遊星総目録」、もう一つは「8月31日の皆既日食」の記事。

「小遊星総目録」は、「編輯後記」に
「昨年は、彗星の総目録を掲載して大分いゝ機嫌になって居たが本年は小遊星の総目録を代りに掲げた。(中略)一般には昨年の彗星の時程喜ばれないであらうが特殊の方面の人々には大いに資料になり、大衆にも何らかの参考になると信ずる。」とあって自信作であることが窺えます。実際、たいへんな労作です。
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目録は一番の「Ceres」から400番の「Ducrosa」までで、表は左から順に番号、名称、衝の平均等級、絶対等級、発見年月日、元期の平均黄経、近日点引数、昇交点黄経、軌道傾斜角、離心率角、平均運動角、長半径の対数(Loga)、となっていて、発見者名は書かれていません。なお、401番から720番までは、天文年鑑1936年版と37年版に載っているそうです。(日本アマチュア天文史改訂版 224P)

次に皆既日食の件ですが、この日食の皆既線はシベリアの北端チェリユスキン岬付近に始まり、カナダ北辺の島々を通りハドソン湾を抜け、アメリカ東海岸のポートランド・ボストンあたりから大西洋へ出る、というもので、日本からは見えない日食です。
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しかし、ニューヨークなどの大都市に近く、また、ヨーロッパからの観測行にも便利なために各国から注目されている日食ということで、この天文年鑑でも結構詳しく取り上げています。

「THE NATIONAL GEOGRAPHIC MAGAZINE」の1932年10月号にこの日食の特集が組まれています。「Photographing the Eclipse of 1932 from the Air」のタイトルで航空機による「Moon's Shadow」の撮影観測記録です。筆者は米国陸軍航空隊のアルバート・W・スティーブンス大尉で撮影も同大尉が行っています。
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右側、スティーブンス大尉 左側、McAllister(マカリスタ?)中尉。
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フーバー大統領、日食を見るの図 右ページはエンパイアステートビルから日食を見る人々。

中央付近の丸いサングラスをかけた人物に注目。奥のほうにも同様の眼鏡をかけたひとが2~3見受けられます。当時発売された日食観測用の眼鏡でしょうか。手に持つタイプのサングラスも数種類あるようです。

スティーブンス大尉の記事とは別にもうひとつパウル・A・マクナリー博士の観測記もあります。右側人物、マクナリー博士。
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最後に「天文年鑑1929年版(第2号)」の広告が「天界第95号(昭和4年2月号)」に載っていましたのでUPします。「山本博士曰く- 何所へ持ち出しても恥かしくない学術的「年鑑」になった。」、とのこと。
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天文年鑑 1932年版
著者:天文同好会
昭和七年一月十五日印刷
昭和七年一月十八日発行

発行所:新光社
発行者:小川菊松
印刷所:日清印刷株式会社
印刷者:竹内喜太郎

10cm×20.5cm/275ページ
定価:金二円

(お知らせ)
福岡県直方市の須賀神社の神宝「直方隕石」は、秋季神幸大祭の日に合わせて5年に一度公開されますが、本年はその公開の年にあたります。

大祭は「10月22、23日」に行われます。隕石を間近に見ることが出来ます。どうぞお出でてください。(詳細は事前に直方市役所等に確認されることをお勧めします。)

前回の公開の様子は「いるか書房本館」でご覧いただけます。
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「天文年鑑1932年版」の奥付のひとつ手前の「編集後記」の下欄に記された編集同人の面々。
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「編集後記」の執筆者で編集責任者の柴田淑次を始めとして全員「京都帝大花山天文台」と「京都帝大宇宙物理学教室」と「天文同好会」の関係者。

確認したわけではないが、上谷良吉、島本一男、千田勘太郎、古川庄次郎、森川光朗の諸氏はまだ学生だったのではないだろうか。

荒木九皐、百済教猷、高城高夫、中村要、村上忠敬、上島昇、小山秋雄氏らは京大助教授であったり講師であったり、または「天界」の記事執筆や観測報告でそれぞれ活躍された方ばかり。つまり、天文界ではよく知られた存在。

・・・で、次に下の画像をご覧頂きたいのですが、これは本書268ページの「本邦天文家一覧表」の一部を撮ったもの。
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寺尾壽を筆頭に総勢54名の天文家(職業的/故人も含む)が挙げられていますが、前記の編集同人と名前が重なるのは「上島昇、百済教猷、中村要」の三氏のみ。天文家一覧のなかに山本一清も当然ながら入っていますが、編集同人とはちょっと立場が違うような気がしますので、この場合、省きます。

柴田淑次(花山天文台、のちに気象庁長官)もこの時点では微妙にプロ天文家ではなかったのでしょうね。いづれにしても山本一清の意思なのか若い方々を(あえて)編集同人に加えたような気がします。(東京天文台との関係や執筆報酬のことなどもあったでしょうし。)

つづきます。
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1928年(昭和3年)に創刊された天文年鑑の第5号です。

発行は現在の誠文堂新光社の前身にあたる新光社で、発行日は昭和7年1月18日となっています。
一般的に天文年鑑類の発行日は当該年度の前年と思うのですが、この第5号は当年の1月に入ってからの発行で、随分のんびりした感じを受けます。
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もっとも創刊号の発行日は当年の4月28日、第2号(1929年版)は4月18日ですので、これらに比べればかなり早いほうといえます。因みに第5号の「編輯後記」の日付は昭和6年10月1日となっています。

創刊号(1928年版)から第5号(1932年版)まで新光社から発行され、その後の1933年版から終刊の1938年版までは恒星社発行となっています。

現在の誠文堂新光社の天文年鑑の創刊は1949年(昭和24年)で、新光社/恒星社版の天文年鑑の終刊とは10年ほど隔たっていますので、両者の間には直接のつながりはないように思われます。

下の画像はタイトルページで、「天文年鑑」の上に薄く捺された蔵書印は「武夫蔵書」と読めます。
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これは戦中・戦後の早い段階で小惑星や彗星の位置推算に取り組んだ「森武夫」のことで、当時、森氏はまだ中学生であったにもかかわらず多くの推算を試み、わが国天文アマチュアの天文計算黎明期を支えて大いに活躍されたお一人です。

森武夫氏については、
「専修大学法学研究所所報No.20(2000.3.22)」にご自身が書かれた「研究生活をふり返って」という文章があります。

また、この「天文年鑑1932年版」には、裏表紙の遊び紙にもうひとつ蔵書印と名前のゴム印が捺されていて、森氏の前は伊達英太郎(1912-1953)の所蔵であったことを示しています。お二人以外にも所蔵者がいたかもわかりませんが、私の手元に来るまえは、横浜の天文研究家N氏が保管されていました。
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さて、掲載内容ですが、基本的には現在の天文年鑑と同じながらちょっと眼を引くのは、「日本にある反射望遠鏡の目録」と「本邦天文家一覧表」です。
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「反射望遠鏡の目録」は輸入品のみの掲載で、所持者氏名まで書かれているのは望遠鏡自体が非常に珍しかった時代ならではのことのようです。

続きます。
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台風15号の過ぎ去った22日、午後から近くの海岸に行ってみました。
道中、車内はクーラーを必要とするほどの暑さながら、海岸に着いてみればさすがに秋の風。

・・・、しかしこれは台風の名残りの風のようで波も普段よりちょっと荒い様子。打ち上げられたたくさんの貝殻のなかにカブトガニを発見。
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体長30cmくらいでかなり大きい。・・が、すでに尾剣もとれて死骸と化していた。昭和30年代から40年代初めくらいまで、結構この海岸(蓑島海岸・行橋市)でもカブトガニを見かけたものだが、ここでは絶滅した模様で見なくなって久しい。

少し離れているが小倉南区の曽根干潟のカブトガニは健在なので、そこから流れ着いたのかも知れない。
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カブトの前縁のかたちからメスのカブトガニのようだ。

広くも無い海岸線を往復しているうちに、対岸の築城基地あたりに飛行機の金属音。眼を凝らすと遥か彼方にブルーインパルスの機影。天候の回復とともに訓練再開のようです。
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第一区分と第二区分の一部を実施したようですが、遠すぎてよくわからなかった。課目の名称をよく知らないということもありますが・・。
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スタークロスとレイン・フォール、それにバーティカルキューピッドは大きく描くので確認できたがあとは不明。しかし、海上を行くブルーインパルスの姿、なかなかのものです。初めて見た。

写真は「見ましたよ」という証拠写真程度の出来栄え。しかし満足。上空の雲は秋の気配。
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ホトトギスの葉裏からヒョッコリ現れたルリタテハの幼虫。

裏庭には10株ほどホトトギスを植えているのですが、毎年ルリタテハの幼虫に食べられて、半分近くは茎だけになっています。何匹いるのか数えたことはありませんが、多分4~5匹程度でそれほど多くはないでしょう。
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食欲旺盛です。美味しいんでしょうね。アンテナのようなトゲトゲの先は黒で、白との対比で結構オシャレ。
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ホトトギスの花はまだですが、脇に植えられたシロバナヒガンバナは今が盛り。
薄暗い木陰でひときわ眼を引きます。白は黒があってこそ白ですね。(意味不明)
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昨日(9月16日)の消印画像「昭和23年12月27日」の葉書の通信面、花山天文台の「KAC-44」です。
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広島県の本田實氏が自身5個目の新彗星を発見したことを伝えています。この彗星は本田氏のほかに二名の発見者名が付けられていて「本田・ムルコス・パジュサコバ彗星」と呼ばれています。公転周期が約5年の周期彗星で、日本人発見の最初の周期彗星です。(45P/Honda-Mrkos-Pajdusakova)

「KAC-44」の報告では、発見時の光度は8等星となっています。使用望遠鏡は、口径15cm・F6.3の反射式コメットシーカー、木辺鏡とのこと。

・・・で、この「本田・ムルコス・パジュサコバ彗星」、今年が回帰の年で、すでに本年8月15日に地球へ0.06天文単位まで最接近しています。発見以来12回目の回帰です。

地球への最接近時は位置的に日本からは見ることが出来ませんでしたが、現在は明け方の東の空に回って「しし座の前脚」あたりにいるようです。9月25日前後にはしし座のレグルスに最も近づきます。明るさは7~8等と予測されています。近日点通過は9月28日ですが、地球から遠ざかっていくため、むしろ暗くなっていくそうです。

葉書にはもうひとつ周期彗星の位置観測と位置推算が載っています。アシュブルック-ジャクソン彗星(47P/Ashbrook-Jackson)で、周期は約8年。発見は1948年10月4日です。

最近では2009年1月に光度16~17等で回帰しています。

位置推算表の最後に「樋上計算」とかかれていますが、樋上は花山天文台の樋上敏一氏のことで、この彗星以外にも多くの彗星の位置推算を手がけています。また、「本田・ベルナスコニ彗星」(1948年6月4日発見)の独立発見者(6月6日)でもあります。
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9月14日の続きでちょっとしつこいようですが、「1」と「4」が並んで印字された葉書がありましたので、載せます。消印日付は昭和24年3月14日です。

「1」の上端の形と「4」がかすれた場合の上部先端のとがり具合が明らかに違うようです。「14日」の「1」は上端が平らのように見えますが、「1」の先端がカギ形に尖った消印の葉書もありましたので併せて掲載します。こちらの日付は、昭和23年12月27日です。
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昭和24年3月14日
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昭和23年12月27日

画像では違いが分かりにくいと思いますが、ルーペで拡大して「輻射点 No.6」に貼られた切手消印と比べてみると「4」がかすれた場合の尖り具合と一致します。

従って「輻射点 No.6」の消印はどうやら昭和21年4月3日のようです。同じ昭和21年の消印で比較したかったのですが、あいにく「1」と「4」がハッキリ印字されたものがありませんでした。

これで消印日付の件は終わりますので、9月14日の拙ブログ内容はどうぞ忘れてください。(無視して下さい。)


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昭和24年3月14日の消印の葉書通信面、花山天文台の「KAC-51」で「1948 l (Lの小文字)彗星」の観測報告です。

この彗星は昭和23年11月1日にアフリカのナイロビで見られた皆既日食の際に発見されたもので、日食彗星と名付けられています。発見時の光度は約 -2等でしたが徐々に光度を落とし、「KAC-43」の報告では11月20日の観測で光度5等となっています。

掲載の「KAC-51」では、24年の1月初旬で9等、2月下旬で12等となっています。なお、「KAC」は、KWASAN ASTRONOMICAL OBSERVATORY ANNOUNCEMENT CARD」の略で番号は発行順を表します。

続きます。
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9月11日の「輻射点 No.6」の裏表紙に貼られていた切手とその消印。

明治神宮拝殿を描いた8銭切手と乃木元帥の2銭切手ですが、ご覧頂きたいのはその消印のほうです。昭和21年1月3日と読めます。
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もっとも、昭和21年の「2」は不鮮明ですが「輻射点 No.6」に80年ぶりに冠座T星が増光したことが書かれていますので、昭和21年で間違いないと思います。また、封書の切手代金10銭時期は昭和20年4月1日~21年7月24日の間だそうですので、この点からでも昭和21年で良いと思います。

・・・で、その冠座T星の増光は昭和21年2月10日のことで、当時浜松高等工専の学生だった斉藤馨児氏が国内では最も早く発見・観測をしています。

・・と言うことは、消印の日付が1月3日ではおかしいのではないでしょうか。日付は左より年・月・日となっていると思うのですが、この場合、正しくは3月1日なのでは?

このような消印の使用例はほかにもあるのでしょうか。それとも単なるミスなのか。「4」がかすれて「1」に見えるのではなさそうです。(と思います。)

些細なことのようですが、ちょっと疑問を感じたのでここに書きました。

・・・と、ここまで書いてきて、やはりこれは「4」がかすれているのかな?

(追記)
消印をじっくりl見ていたら、「4」ではないかと思えてきた。そうなると、今まで書いてきたのはすべて「無」となり、読んで下さっている方々からの失笑を買いそう。
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「日本アマチュア天文史/恒星社厚生閣」の「戦後の天文同好会」の項目に『当時の世相は混沌とし、とても天文の研究などおぼつかない状態だったはずが、新日本建設、文化国家建設の掛声はよく若い天文愛好家の心を捉え、黄金時代の序幕になるのである。』とあって、戦後に誕生した各地の天文同好会をいくつかの類型に分類して紹介している。
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例えば、「戦前からの会が再編され再発足したもの」、「戦前の有力家を中心にあらたにできた会」、「若手の観測者を中心にできた会」、日本変光星研究会などの「単科学会の出現」、宇宙旅行協会・友の会などの「趣味的同好会」等々。

本日の「東京星究会」も上記の「若手を中心に・・・」に分類されている会で、運営の中心的人物は東亜天文協会(戦前の名称)会員で流星観測を精力的に行っていた村崎和也氏。

同人には、同じく流星・変光星観測などで活躍された飯塚進や瀧山昌夫、水野幸治郎、古川麒一郎、原恵、等々の各氏。回報の名称の「輻射点」は流星に因んでいることは明白。

「No.6」の発行日は記載されていませんが、掲載記事の内容から21年2月末から3月と推測されます。

・・となると、「輻射点」の第一号は昭和20年、それも終戦まもない頃となり、戦後誕生の天文同好会のうちでもかなり早い段階での同好会結成と思われます。(巻頭の「回報の充実について」の書き出しに『新発足以来、はやくも三ケ月を経過したが・・・』とありますので、昭和20年11月か12月の創立でしょうか。)

「No.6」の記事タイトルと執筆者名を記します。

回報の充実について-理事長 村崎和也/星の異名調べ(1)-会員 飯塚進・・・1~2ページ
三重星オリオン座ζ星の観察-会員 瀧山昌夫・・・・・・・・・・・・・・・3ページ
オリオンと私-会員 村崎和也・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4ページ
流星観測入門(1)-小槇孝二郎(天界253、254号より)・・・・・・・・・・・・5~6ページ
ニュース・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7ページ
8~9ページは、編集室、紙上マーケット(求)、会告、広告などとなっています。

このうち「流星観測入門(1)」は1942年発行の「天界」記事を転記したものです。また、「ニュース」は、1月30日(昭和21年)に太陽面東端に現れた黒点が肉眼的大黒点になった、ということと冠座T星の増光(再発新星)を会員原恵氏が確認したことが記されています。

この号には、「輻射点 購読会員規定」と題されたB5判程度の青焼きが1枚入っていて、1から7まで規定が書かれています。

画像を掲載しますが、非常に文字が薄いので読めるかどうか・・・。
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1、「輻射点」ハ天文一般ノ綜合誌デス
2、「輻射点」ハ一ケ年ニ八回乃至十五回発行シマス
3、「輻射点」ヲ購読シタイ方ハ年額二十円ヲ小為替ニテオ送リ下サイ
以下略


輻射点 No.6
東京星究会 東京府武蔵野町境四五七
15×21.5cm/9ページ

(いるか書房本館・宇宙・天文、追加しました。)
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京都花山天文台の三谷哲康氏より東京の某天体観測家に宛てた葉書。日付は、昭和22年7月18日。
文面はご覧のとおり、小惑星と彗星に関するもので当時の観測事情を垣間見る思いです。
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文面の小惑星番号は下記のとおり。
アンティゴネ(129 Antigone) /ゲルマニア(241 Germania) /テルゲステ(478 Tergeste) /イルマタル(385 Ilmatar) /フォルトゥナ(19 Fortuna)
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文面中央の彗星マークの彗星は良くわかりませんが周期彗星のようですね。(テイラー彗星?)

葉書の最後には「今回は流石のアメリカも発見は遅いと思ひます」とあって熾烈な捜索状況のなかに於いても三谷氏の自信のほどが伺える文面です。
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