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昨日(2011年5月28日)の「志ん板はんじえもとの月日(盛岡暦)」の上半分の画像です。

昭和11年版で、最上部にその年号が描かれています。
「輪」が二つとその右は楽器の「笙」です。これで「昭和」と読み、次の重箱と「一」で「昭和11年」となります。
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ねずみが描かれ、この年は「子(ね)年」ということが解かります。「笙」の下の縦枠は紀元を示しています。まず、枠の右上は「木」でその左は「剣」で「紀元」となり、剣の下は「せん(刃物の一種)」が二つで「二千」、銭500文と星九つと重箱一つで「五百九十」、さらに星六個で「五百九十六」。つまり、昭和11年は「紀元2596年」にあたります。

紀元の左は「大歳神」の「恵方」で「巳」と「午」の間です。恵方の左の「葉」と「馬」は見てのとおりですが、真ん中の絵は説明が必要と思います。これは旗の「ちち(旗竿に取り付ける部分)」を描いていて三つの絵を合わせて「はちうま」(初午)となり、2月8日です。

次の下段の右側は「三猿」で庚申祭を表し、左側は大黒天で甲子祭を表しています。共に年間6回あります。

画像の左端、枠外の三つの図は、日食と月食を表しています。一番上の日食は、「昭和11年北海道皆既日食」です。

下は「株式会社 杜陵印刷」発行の「南部めくら暦(盛岡暦)」昭和39年版で、絵柄や絵解きの方法は「阿部志保」発行の盛岡暦と全く同じです。
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年号の右に「大刀」を描いて「大の月」を表し、左端に「小刀」で「小の月」を表しています。刀の下は「衝立」で、その月の「ついたち(朔日)」の十二支を示しています。

1月は辰、3月は卯、6月は未という具合です。このように見てすぐ理解できるものもあれば「裸体で涼んでいる図」で何を示しているかわからないもの、あるいは、「伏」「八専」「冬至」のようにそもそも何を描いているかわからないものなどもあります。

杭10本と芝くれを描いて「十方暮」もそうですが、「伏」「八専」「半夏(はんげ)」など現在ではあまり馴染みのない言葉というのも理由のひとつと思います。
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ちなみに「裸体涼み図」で「土用」、三重の塔と琴柱(ことじ)で「冬至」、「せん」が八つで「八専」となります。「十方暮」「八専」は、何事もうまく行かない「凶日」です。
「田植え」「稲刈り」「夏至」「節分」「寒の入り」や団子を描いて「彼岸」などは見てのとおりすぐ理解できると思います。
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もっとも「彼岸」や「寒の入り」が何であるか解かっていないと絵を見ても「この絵は何なんだ」と思うばかりかも解かりません。


南部めくら暦
発行:株式会社 杜陵印刷
25.5×35センチ/和紙片面1枚刷り

(いるか書房本館に昭和39年版盛岡暦を追加しました。)現在ウリキレです。
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4月30日に沖縄・奄美地方が梅雨入りしたのち、九州南部の梅雨入りは5月23日、中国・四国・近畿は5月26日、東海・関東甲信は27日という具合に各地とも梅雨入りしています。

しかし、私の住む九州北部はまだ梅雨入り宣言は出ていません。
連日、けっこう雨が降っているのですが。

今年の梅雨入りは各地とも例年より10日前後早いようです。現在、九州北部で降っている雨は台風2号による梅雨前線刺激のためと思いますので、2~3日後には止むことでしょう。その後に梅雨入りでしょうか。

九州北部の梅雨入りの平均日は6月5日ですので、このままでいくと例年と大差ないようです。

梅雨入り・梅雨明けは、今も昔も変わらずに大きな関心ごと。違うのは現在ではある程度予測がつくが、昔は経験値に頼らざるを得なかったこと。

そのひとつの目安として、「雑節」と呼ばれるもののなかのひとつに「入梅」がつくられ、あらかじめ期日を決めていたこと。一般に「雑節」は九つ定められていて、「八十八夜」や「土用」「二百十日」なども雑節です。

旧暦では「芒種」の後の最初の壬(みずのえ)の日を梅雨入り、小暑の後の最初の壬の日を梅雨明けとしていました。芒種は二十四節気のひとつで稲や麦などの種蒔きをする頃のこと。毎年6月5~6日頃にあたります。

「小暑」も二十四節気のひとつで、梅雨が明け、本格的な暑さが始まる頃とされています。毎年7月7~8日頃にあたります。

その「梅雨入り」の日を示したのが下図の「志ん板はんじえもとの月日」、いわゆる絵暦の「入梅」です。昭和11年版の一部を拡大したものですが、この日は4月22日に当たります。もちろん旧暦です。ちなみに「入梅」の右は「八十八夜」で、左は「半夏」の期日です。なんでこの絵がこうなるかはちょっと置いといて、「入梅」について。
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この判じ絵は非常に簡単。「盗賊が荷を奪って」この日が「入梅」です。日にちは、さいころの目四つで4月、重箱二つで20、それに2で4月22日。

同じように「八十八夜」は、鉢(はち)に重箱と矢で「八十八夜」となります。日にちは3月12日でこれも簡単な判じ絵です。さいころの横の股は「また3月」で閏月です。「半夏」は禿頭で表しています。

下図は絵暦の全体で大きさは24×32センチの和紙片面1枚刷りです。
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「志ん板はんじえもとの月日」
昭和十年十月二十日印刷
同年  十月二十日出版
著者発行併印刷者 盛岡市馬場小路一番戸 阿部志保

(つづきます)
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イギリスの天文学者エドマンド・ハレーが創った「チャールズの樫の木座」にはその設定にあたって次のような逸話が残っています。

以下、その部分を「星座の文化史/原恵著/玉川大学出版部/1982年」より転記します。

「チャールズ二世の父、チャールズ一世は、国会と衝突し、国民の敵として一六四九年処刑され、英国はピューリタンのクロムウェルを指導者として王制を廃して共和制を布いた。チャールズ一世の次男チャールズは、父の死後王を称し、クロムウェル派と争ったが、一六五一年九月三日にウースターで戦って敗れ、追撃をうけて生命が危うくなったとき、大きな樫の木にまる一昼夜かくれて一命をながらえた。」

のちにチャールズは帰国して王位につき、イングランド国王チャールズ二世となり、1675年にロンドン郊外グリニジに天文台を設立して初代台長にジョン・フラムスチードを任命します。

フラムスチードは、亡くなる1719年まで台長を務め、翌1720年からはエドマンド・ハレーが二代目台長に就任することになるのですが、その台長になる44年まえ、オックスフォード大学を1676年に卒業したばかりのハレーは、南大西洋のセントヘレナ島を訪れ、この地で南天の恒星の位置観測を行っています。

1679年にその結果を『南天星表』として発表するさい、この観測事業の支援者であった英国王室を讃えて「チャールズの樫の木座」を設定した、ということです。

また、ハレーは、りょうけん座のα星に「チャールズの心臓(コル・カロリ)」の名を与えていることでも知られています。英王室はハレーにとって良き理解者だったのだろうと想像します。
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ヘヴェリウス星図のアルゴ座(アルゴ船)の脇に創られた「チャールズの樫の木座」

さて、ほかに植物の星座はないものか、と思っているところに浮かんできたのは中国の古代星座(星宿)のこと。

宮廷内の建造物の名や文官や武官の職名、武器の名称、農業のための生産用具の名や農産物の名、動物、山川沼池、国名・地名、対人行為に関する言葉、果ては、三種類の幽霊の名称の星座から便所の星座まで何でもある。

便所には神がいるという俗信は中国のほか日本にもあるし、他の国にもあるのですんなりと納得。生産用具にしても動物にしても神のよりしろであり、精霊の宿るものだ。

地上のものをそっくり天に移して星宿名にしているので、植物も必ずあるもの、と思って探してみるとあっさりと「柳宿」に行きついた。

植物の星宿はこれのみ。柳も精霊の宿る神木として天上界に座している。以下、「中国の星座の歴史/大崎正次著/雄山閣/1987年」からの転記。

「索莫たる河北の黄土地帯で、他の植物に先んじて緑の芽を吹き出す柳は、しなやかでしかも強い性質から、邪悪を追いはらう力をもつと信じられた。

「斉民要術」に「正月の元旦、柳の枝をとって戸の上におけば、百鬼も家に入らず」とあり、「春秋緯」に辟邪の意味から墓の傍に植えたとある。(中略)

漢代以後、長安の人が長途の旅に出る人を覇橋のたもとまで送り、そこの柳の枝を折りとって旅のはなむけとして贈る風習があったが、これも柳の枝がしなやかでよく曲り、曲げてもまた元に戻ることから、旅から無事に帰ることを心から願ったことを表したものであろう(「三輔黄図」橋)/(以下略)」
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「中国の星座の歴史」より、二十八宿のうち「柳宿」/右に「小犬座」、左に「獅子座」、上に「かに座」のプレセペ

非常に多くの星座を持つ中国の星空ですが、植物の星座は「柳宿」のみです。やはり植物は星座になりにくいのでしょうね。
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5月19日のおとめ座の「麦の穂」を撮りながら思ったこと。
現行88星座のうち、その大半を人物と動物の星座が占め、残りは顕微鏡や祭壇や羅針盤などの器具と山と川の星座があるばかりで、花や木々の星座が無いということ。

ギリシャ・ローマ神話で活躍する英雄や女神や妖精たちと彼らにかかわる動物たちの星座が多いのは当然のことながら、神話にはいろいろな植物も登場する。・・・にもよらず、植物が星座に取り上げられていないのは、やはり神話では脇役でしかなかったためか・・・。

15・16世紀以降、航海術の発達により南半球への進出で、今まであまり眼にすることがなかった南天にもさまざまな星座がつくられ、カメレオンやふうちょう(風鳥)やクジャク(孔雀)やきょしちょう(巨嘴鳥)、あるいは、かじき、とびうおなどの魚が星座となった。南洋の珍奇なものであるなら、ヤシの木や熱帯の果物などでもよかったのではないか・・・。(かじきは、「金魚」という説もある)

もっとも、星座絵にはそれこそ脇役ながら、植物が少しばかり描かれている。

おとめ座の麦の穂もそうですが、ほかに「はと座」の鳩がくわえたオリーブの小枝ときょしちょう座
の巨嘴鳥(キツツキ目オオハシ科)がくわえた何だかわからない小枝、それにヘラクレス座のヘラクレスが右手に持った蛇が巻き付いている白楊の枝。

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ヘヴェリウス星図の「きょしちょう座」

この白楊の枝は、ヘラクレスが地獄の番犬ケルベロスを地上に連れ出すとき、地獄から持ち帰ったものだそうで、オリンピアのゼウスへの犠牲のさいに用いられるもの、とのこと。

このように植物が描かれているもののそれ自体は、独立した星座ではない。しかし、過去においては独立したひとつの星座として植物の星座があったそうです。

それは、「チャールズの樫の木」と「百合の花」の星座のふたつ。このうち「ゆりのはな座」は、フランスのブルボン王朝の紋章で図案化されたものですので、植物の星座と言えるかどうか。1679年にフランスの天文学者ロワーエがつくった星座で、王朝の没落とともに無くなったようです。

もうひとつの「チャールズの樫の木座」は、ハレー彗星でよく知られたイギリスの天文学者エドマンド・ハレーがつくったもので、英国王チャールズ二世に捧げられています。

(つづきます)
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今年も我が家のサクランボの木、大量の実をつけてくれました。毎年、食べごろを見定めるうちにいつの間にか鳥たちに食べ尽くされてしまう。今年はそうならないうちに、先ず写真を1枚。

「私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、櫻桃など、見た事も無いかも知れない。食べさせたら、よろこぶだらう。蔓を絲でつないで、首にかけると、櫻桃は、珊瑚の首飾のやうに見えるだらう。」(太宰治・櫻桃 より)
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「子供より親が大事と、思ひたい」、で始まる太宰治の「櫻桃」が発表されたのは、昭和23年5月のこと。前記の引用文はその終わり近くの数行。

この年、太宰は1月に「犯人」「酒の追憶」「饗応」をそれぞれ中央公論・地上・光の各誌に発表し、3月に「美男子と煙草」「眉山」「如是我聞」を日本小説・小説新潮・新潮に発表するかたわら最後の小説となる「人間失格」の「第二の手記」までを書いている。「第三の手記」の執筆は4月で完成は5月上旬。

続いて5月中旬頃に朝日新聞連載予定の「グッド・バイ」を書き始め、下旬に連載10回分まで完成。そして翌月6月13日、山崎富枝と共に玉川上水に入水。死体が発見されたのは19日になってからのこと。奇しくもこの日は太宰39歳の誕生日でもあった。

太宰の忌日を「桜桃忌」名付けたのは太宰と同郷の作家の今官一で、その命名由来は作品「櫻桃」にあることはご存知のとおり。

蛇足ながら「桜桃忌」の6月19日は忌日であって命日ではない。遺書数通を愛人山崎富枝の下宿に残し、夜更けの町へと出て行った6月13日を命日としている。

富枝の部屋には妻宛の遺書のほか3人の子供たちへの玩具、それに「グッド・バイ」10回分の校正刷と伊馬春部に遺した伊藤左千夫作の短歌を記した色紙があったという。

妻美知子への遺書には「あなたをきらいになったから、死ぬのでは無いのです。小説を書くのが、いやになったからです」と書かれていた。

「桜桃忌」にはまだ日も早いうえ、言わずもがなを書き連ねたのも庭のサクランボを見たところからの単純な連想に過ぎません。

小説「櫻桃」にはこうも書かれている。「子供が夜中に、へんな咳(せき)一つしても、きっと眼がさめて、たまらない気持になる。もう少し、ましな家に引越して、お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻らないのだ。これでもう精一ぱいなのだ」

太宰自身と思われる「櫻桃」のなかの「父」は、家の中の憂鬱から逃れ、ひとり、酒場で桜桃を食べ続ける。食べに食べてこうつぶやく。「子供より親が大事、と思ひたい。子供よりも、その親のはうが弱いのだ」

無頼派と呼ばれた太宰治もきっと子供たちには桜桃を食べさせたに違いない。
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やれやれ。パソコン故障でかなり痛い目にあった。一週間ほどまえに修理完了で戻ってきていたのですが、ちょっと余裕がなくて本日ようやく拙ブログを再開。

故障から本日までほぼ一ヶ月。この間、まわりの景色は大きく変わりました。

我が庭の藤の花やアメリカハナミズキはとうに散り、シャクナゲも盛りを過ぎ、今はツツジが満開となっています。

遠くの山々は新緑で勢いよく盛り上がり、近くの麦畑も緑から黄金色に変わりつつあります。

天上界でも季節は静かに巡り、冬の星々から春を過ぎて初夏の様相を見せるころとなっています。なかでも麦星の和名を持つアークトゥルスと真珠星と呼ばれるスピカの輝きは、季節が移り変わっていることを確実に知らせてくれます。

真珠星の和名はその穏やかな白色の輝きから、いかにも相応しい名のように思われますが、古くから民間で受け継がれてきた名ではないようで、野尻抱影の「星の方言集 日本の星」によると、宮本常一が挙げるところの和名「シンジボシ」を多少強引に真珠の名を当てて和名と定めた、というようなことが書かれています。

同じく「星の方言集 日本の星」には、麦星についても書かれていて、愛媛や静岡ではアークトゥルスをムギボシと呼び、浜名湖畔の農村ではカジガイボシと呼び、丹後竹野郡ではノトネラミ(能登睨み)と呼ぶとあります。

このほかにも各地でさまざまな名前で呼ばれていたようですが、麦の熟れるこの時期、南東の空にいち早く輝きだす明るい星に「ムギボシ」の名を与えたことは秀逸と思えます。

しかしながら、西洋ではアークトゥルスのすぐ南側で白く輝くおとめ座の一等星スピカに「麦星」の名を与えています。

スピカ(Spica)の原義は「穂先のように尖ったもの」で、英語のスパイク(Spike)と同根です。星座絵では大地の女神デーメーテルが手に持つ麦の穂先で光り輝き、豊穣のシンボルとして描かれています。
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ヘヴェリウス星図のおとめ座デーメーテルの後姿。
デーメーテルは「大麦の母」の意味だそうで、左手に麦の束を持っている。また、デーメーテルは別名をケレース(Ceres)またはセレスともいい、英語のシリアル(cereal・穀物)の語源となっているそうです。
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フラムスチード天球図譜のおとめ座。
手に持つ麦の穂は1本のみ。下がその拡大で、のぎ(禾)が描かれているもののヘヴェリウスの麦束に比べて禾の数が少なく、また短いようにも思えるので種類が違うのか、などと星の話しとは違うことまで思ってしまう。
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ちなみに下の麦の写真は我が家の周辺で栽培されている「二条大麦」です。
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大麦は普通「二条大麦」と「六条大麦」に大別されるようで、写真の二条大麦はビール・焼酎など酒の原料になり、六条大麦は麦茶や押し麦(麦飯)の原料となります。我が家周辺も含めて西日本で栽培されている大麦のほとんどは二条大麦です。
穂の長さ6センチあまり、禾の一番長いものは15センチばかりもあります。
まもなく刈り入れの時期となることでしょう。

今宵も二つの麦星アークトゥルスとスピカを眺めつつビールで乾杯です。
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パソコン故障して早くも20日あまり。
この間、ブログ更新もままならず、というか、全く更新していない。
・・・にもかかわらず、毎日たくさんの方に来訪いただき、なんだか申し訳ない気持ちです。
どうもすみません。

・・・で、パソコン修理の件、自分で修復しようと決心し、修復方法の手順を読み進めること数分。
案外簡単そうだな、と思ったのも最初のうちだけで、救済ディスク入手方法解説あたりで決心が揺らいできて、やがて挫折。

結局、専門メーカーに依頼しました。
もうすぐ修復済みで戻ってくるはずです。それにしても費用も含めて痛い目にあった。
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今日、後ろ向きに歩いている人を見た。しかもかなりのスピードで。
ヒジを直角に曲げ、大きくリズミカルに腕を振っていたので、これはきっと何かの健康法だろう。
しかし何で後ろ向きなのだろうか。

じっと見ていたら、横断歩道でクルッと向きを変え、普通通りに横断歩道を渡り、渡り終えたらまた後ろ向きにスタスタ歩き出した。

一応、高速後ろ向き歩行は危ないと認識しているようだ。

ところで、パソコン修理のこと、メーカーの回答は「修理不能でHDDを取り替えるしかない」とのこと。セーフモードの画面は現れているので何とかなると思っていたのだが、メーカーは修理はするが修復はしないようだ。

しかたがないので自分で修復しようと思う。
・・・が、しかしこれは専門メーカーに出したほうが早いかも・・・。
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