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11月22日と23日に「東星」を取り上げましたので、本日はバランスを取って西星会の会誌「西星」です。

第1号は、昭和18年3月15日印刷で3月20日に発行されています。第1号の最初のページに「いざ猛進せん」の題で「西星会委員一同」の名において、決意表明というか発刊の辞のようなというか、文章が載っていますので一部を転載します。

「全地球上に於て、獣敵との角逐激しき時、会を興して天文を有し得る我々は、其の幸福を通じて日本の○(1字不明)柄の有難さを認めずには居られぬ。従来「趣味の天文」として片づけられて来た我々の天文は、此処に於て飛躍をとげねばならぬ。西星会は観測と計算の琢磨を標榜する。
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此の切磋をなるべく多人数で行はんとする手段が、会誌、回報の発行である。我々は頭脳と技術を練らねばならない。然し、此の会誌は何時断絶するの止むを得ざるに至るかも知れぬ。去る人は忠告して下された。「三号雑誌に終らざる様」と。

勿論我々は此の忠言をきもに刻む者であるが、客観情勢の推移に依り、如何なるかは推察し得ぬ。が、西星会の存在は永遠である。その生命は無窮にして、無限である。諸君!猛進しやうではないか。漫歩では間に合はぬ。天文に於てもフルスプードの○(1字不明)距離決勝をやらうではないか!何とぞ、諸先生方諸先輩諸氏、諸兄の御協力をお願ひする次第である」

一部を抜き書きするつもりが、全部書き写してしまいました。○のところは伏字になっているわけではなく、謄写版刷りのため、字がかすれていて読めない部分です。最初の○は「国」かもわかりません。2番目の○は「長」か?。なお「フルスプード」はそのままです。

「いざ猛進せん」の文中、「西星会は観測と計算の琢磨を標榜する。」とありますが、この第1号の終わりページ近くの「会告」にも「(前略)西星会は、その看板として"観測に計算"を掲げます。諸君!大いに計算を練磨して下さい。三角法を学んで下さい。四月頃より、西星会でも定期的に、計算練習会を開きます。

観測は、変光星、黄道光、彗星、太陽黒点に馬力をかけませう。西星会員は、常に10を望んで、全て"観測に計算"の権威とならうではありませんか!(後略)」と書かれています。

実際、第1号では浅野英之助の「ホフマイシュター博士の光度計(1)」や草場修の「盈虚のことども」などで数式を多様しています。(同号の目次では浅野英太郎となっていますが、正しくは「浅野英之助」です。)

この稿つづきます。
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日本天文研究会はその前身を神田天文学会と称し、第1回目の会合を昭和20年11月10日に東京お茶の水で開いている。当時の機関誌は「総報」で、昭和21年12月の100号を以って終刊となっています。
「天文総報」の名称は昭和22年1月からで、当初は村山定男、冨田弘一郎、原恵氏らによって発行されていましたが、3年目から昭和38年の終刊までの15年間は、神田氏自身が編集にあたりました。(以上、「日本アマチュア天文史」による)
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終巻となった第17巻(1963年)の総目次は次のとおりです。

流星塵の一研究  宮城県立第一女子高校天文班 2
流星塵の測定値          4.29.37.66.72
新刊「古書籍目録」二題      安田辰男 10
人工衛星ニュース       11.20.29.45.67.86
エンケ彗星の加速と太陽活動 三谷哲康    17
7月21日早朝の皆既日食について 木村精二18.26.36
7月21日の日食とその群の日食 神田茂     43
7月21日の皆既日食              51
皆既日食を見る 木村精二          65
7月21日皆既日食観測記 武石信之       79
天文図屏風について 神田茂         25
科学史ノート(22~23) 神田茂       46.86
「万葉集の謎」の暦と天文学 神田茂     52
天文総報200号記念号            59
敦煌暦の年代決定 薮内清          60
豪州原住民の星名 野尻抱影         61
粘葉本「北斗密義」と「宿曜真言等」 井本進 62
天文総報200号を祝福する 新帝国太郎    64
円山天文台を建てて 蔡章献         71
第2回流星塵協議会記事 森久保茂      77
朝鮮慶州せん星台 古家実三         87
明年の日月食                93
70年の思出 神田茂             94
池谷彗星                  1
ヘルクレス座新星              9
最古の仮名版暦               85
太陽系外の惑星               85
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天文総報 休刊号の96ページに掲載 「部報 変光星1963年11月報告」

天文総報 Vol.17 No.204
発行:神奈川県湯河原町泉59 日本天文研究所
編集:神田茂
印刷:小田原市緑1-8 孔芸社
1963年12月20日(300部)
17×24.5cm/93~100頁(全8ページ)孔版
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いきなり休刊号を取り上げますが、神田茂氏が主宰していました「日本天文研究会」の会誌「天文総報」です。最終ページ(といっても全8ページですが)に「休刊のことば」が掲載されています。

「本年1月以来編集者の健康上の理由で、読者にいろいろ御迷惑をかけて来ましたが、編集上の理由と、印刷費が今後5~6割値上の申請が出ておりますこととにより、本誌天文総報はこれ以上継続けることは困難と考えられます故、残念乍ら本号を似て打ち切り、休刊とする予定ですから、多年出版に御協力下さった多数読者の御厚意に対し誠に申しわけありませんが、御了承下さるよう御願申上ます。
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昭和22年1月本誌創刊以来の事情は、本年8月の本誌200号記念号に際し詳しく述べたが、第17巻は100頁204号を似て休刊することとなりました。最初の2巻は委員の方の協力によって作られましたが、その後の15年分は編集、校正、会計、庶務等の仕事を独力で引き受けて来た次第です。204号の総頁は1858頁になりました。

総報の休刊に伴い回報は休刊のやむを得ないと思います。速報は当分続刊できる見込です。変光星回報、彗星回報、人工衛星回報等続けられるものは続けます。毎月第1日曜午後の科学博物館での例会は当分続けられると思います。」

神田氏、このとき69歳です。氏は大正9年に東京天文台に入台。その後、水路部の編暦事業の仕事を経て、県立小田原女子高校教師、横浜国立大学の教授などを歴任しましたが、昭和34年に退職。その間、上記の「休刊のことば」にあるように自身が主宰する「日本天文研究会」のさまざまな仕事を一手に引き受けてきました。

本日の「天文総報」休刊号に「70年の思出」の題で神田氏が文章を寄せています。その最後の数行を書き写します。

「昭和34年以降は職につかず、専ら日本天文研究会の仕事、その他自由な事をして日を過ごしております。昨年以来広瀬秀雄氏を委員長とする文部省科学研究費総合研究「江戸時代の天文学」の一部を担当しています。最近数年間和算史に興味をもち、又地震史関係の仕事もしております。今後天文学史を中心としてこれらの研究をつづけたいと思っております。」

この稿つづきます。
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「東星」は「東星会」の機関誌で第1号は昭和17年3月16日に発行されています。
本部は東京市世田谷区の冨田弘一郎氏宅とし、観測部は群馬県新田郡太田町の内藤一男氏宅、編輯部は東京市大森区の中野繁氏宅に置かれていました。

これらの三氏が東星会設立の中心メンバーですが、同人として神田茂、野尻抱影、五味一明、原恵、森久保茂、渡辺敏夫、山根平三、石橋正、草場修氏ら多くの観測家が参加し、活発に行動していました。しかし、昭和18年9月の編輯人中野氏の出征やそれ以前の同人諸氏の出征などの影響で昭和18年発行の「東星 第7・8号」の合併号を最後に自然消滅しています。

終刊号となった「第7・8号」の表紙には昭和18年12月と書かれています。しかし集録の記事のひとつ「昭和18年天文界回顧」の執筆日付が「1944、1、2、記」となっていますので、実際の発行は翌年1月以降と思われます。

終刊号の編輯後記は中野氏に代わって冨田弘一郎氏と思われる人物が執筆していますが、その編輯後記の末尾に「次号はⅡ月中に発行したいと思って居ります。玉稿をお送り下さい。」とありますので、会の活動が自然停止するなどとは微塵にも思っていなかったものと推測します。
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「東星」第3号より 「彗星捜索記(Ⅱ)岡林滋樹」の冒頭部分。

4ページに亘って捜索の注意点などが書かれています。執筆日付は1942年4月20日です。
岡林氏の文章の終わりは「何卒読者の中から有力なる観測家が出でん事を。"不断に精神努力する者をこそ我ら(神々)は救はめ"といふゲーテの言葉をもって私の結尾語と致します。」となっています。

東星 第3号 9月
発行:東星会
印刷:太洋堂 東京市神田区神保町三ノ二
15×21.5cm/42ページ
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11月19日のブログで本田実氏が従軍中に発見した周期彗星について「東星」に発見経緯が載っている、と少しだけ触れましたので、本日はその中からごく一部を転記します。

執筆者は東京天文台の神田茂氏で執筆日付は皇紀2602年8月22日です。

「本田實氏の彗星発見」神田茂
「6月13日土曜日の午後、読売新聞社から電話があったとの事で、昭南島からの電報によれば本田実氏が彗星を発見し、3日間観測した処 獅子座から小獅子座へ運動するのを確めたとの通知を受取った。(中略)6月21日に本田君より彗星発見の詳報を入手した。望遠鏡は口径7.5糎屈折鏡、倍率は30倍、6月9日から3日間観測されたもので9日22時45分、10日21時35分、11日21時30分、23時0分(日本中央標準時)の見取図が描いてあり、光度は9.0等との事であった。
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11日夜の概略位置は赤経10時5分、赤緯+31°としてあり、グリグ・シェレルップ彗星の位置と一致して居り、同彗星である事が確実となった。本田氏の所属部隊は「南方派遣軍第3969部隊岡崎隊」である。(中略)今回の本田氏の発見は周期彗星の独立発見で新彗星ではなかったが、グリグ・シェレルップ彗星は内地では位置推定表が発表されてゐたに拘らず、東京天文台と花山天文台との他は今日まで観測した報告に接してゐない。

然るに本田氏は小望遠鏡で之を発見し、遥かに明るく光度を見積ってゐる事は空の状態が東京附近に比べて余程透明な事を示すものであらう。(中略)銃後の観測者に一言すべき事は、新進の彗星捜索者の出現の望しい事である。都会では近年著しく空が明るくなって彗星の観測には不便になった処も多いが、地方在住の口径10糎内外の望遠鏡をもつ観測者に是非すゝめたいのは彗星の捜索である。(中略)

今や南方共栄圏建設の時に当って、東亜学術の進歩のために、新彗星は大東亜の共栄圏から洩れなく発見報告し得る様、彗星の捜索に努力されたい。赤道直下の昭南島は殆んど全天を観望し得るのであるから前線の本田君の活躍と共に、銃後の観測者も協力して、新彗星の発見に努力せられん事を切に望む次第である。

この稿つづきます。
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右上の人物は若き日の本田実氏。その下は小槇孝二郎氏でその左隣は斎藤馨児氏。斎藤氏の上は木辺成麿氏です。この順序で前回(11月17日)のように冒頭少しづつ転記します。

-彗星-本田実氏(38)
「鳥取県農家の出 広島県の田舎で七段歩の土地を耕すお百姓 昭和十五年十月オカバヤシ・ホンダ彗星発見以来 すでに五つの彗星発見を学界に記録 アメリカの太平洋天文学会から四個の金メダルを贈られている 

十二歳の頃からローソクの灯で本と首引きしては星を眺め「酒呑みが呑まずにはいられないと同じ気持」で熱中 四年間の応召中も マライで手製のレンズを使いながら星を眺めた(後略)」

文中にあるように本田氏は従軍中も星の観測を続け、昭和17年にはシンガポールにて周期彗星の独立発見に成功している。(このときの発見の経緯は「東星第3号(昭和17年)」に神田茂氏が詳しく書かれている)(アサヒグラフ掲載時の)使用機は口径15cmの彗星捜索用の反射望遠鏡のほか、12cmと10cmの双眼望遠鏡、25cmの反射が各1機とのことです。
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-流星-小槇孝二郎氏(48)
「岡山県津山の生れ 岡山師範卒業後教員生活 今春和歌山県御霊中学の校長に就任 小学校の学級文庫で天文の本を読んでから親しみを覚え 師範在学中に流星の観測を始めた 昭和二年頃から山本一清博士に師事 京大理学部嘱託を務めるなどして 同十年「流星の研究」を発表(後略)」

昭和10年に恒星社から出版された「流星の研究」は流星だけについて書かれた本としてはわが国最初のものとなっています。観測機は口径11cmの反射経緯儀と10cm反射赤道儀、口径5cmの屈折望遠鏡2機とのこと。ポーズを取った氏とともに写っているのは11cm経緯儀のようですがファインダーがかなり太いのでは?

-流星 天文計算-斎藤馨児氏(27)
「浜松高工で化学を東京工大で物理学を 現在大学院で理論物理を研究中 小学校三年生までジャワのジャカルタで育ったが 南方で星を仰いだ記憶はない 中学の頃光学器械に興味をもち 望遠鏡をいじったほうが先で その後野尻抱影氏の著書に刺激されて星の擒(とりこ)となる ために他の勉強が手につかず高等学校に入れなかった(後略)」・・・とあるが、その後のご活躍はご存知のとおり。観測機は中学の頃から愛用の口径12.5cmの反射望遠鏡、とのこと。

-望遠鏡 変光星-木辺成麿氏(39)
「眞宗木辺派総本山錦織寺僧侶 滋賀県生れ 膳所中卆後 眞宗学を修め京大文学部で仏教学を専攻 末寺の僧の中に星の好きなのがいて 遊びに行くうちに感化されたのが発端

中学時代には八センチの望遠鏡で初めて太陽を観測 「特別な発見があるわけでなく これという思い出もない」が やりだしたらやめられない面白さから「連続的にやること自体が興味の中心」となってしまった(後略)」

・・・などとおっしゃってますが、1933年から40年までに観測した変光星のデータは3万あまり、そして磨いた反射鏡は数知れず(私が知らないだけで、ほんとは枚数はわかっているんでしょうね)ですから、継続のチカラはスゴイですね。観測機は口径31cmの反射と11cmの反射、それに7cm屈折と7.5cm屈折が各1機ということです。

アサヒグラフ 10月3日号 1951年
発行所:朝日新聞東京本社
発売所:朝日新聞社
定価 四十円
26×36.5cm/22ページ

この号の表紙は「有馬稲子」さん。最終ページに有馬さんへのインタビュー記事がありますので、その中から二、三。

質問:「宝塚に入った動機は」
答え:「全然見たこともなかったけど受験する友達にさそわれてついフラフラ」

質問:「今迄手にした最大金額は」
答え:「一万円也 これはお給料」

質問:「仕事で最も苦手なことは」
答え:「舞台だと歌唱うこと 映画だと大写しで相手のいるように自分一人でシャべる時」

質問:「舞台人でなかりせば」
答え:「天文学者になってる」

このとき彼女は19歳でした。

ところで、カメラをいろいろイジッてるうちに画像が茶っぽくなってもとに戻らなくなってしまった。さらにイジッてるうちにワケわかんなくなった。
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「星研究家」のタイトルで2ページに亘って7名の大家が紹介されています。
タイトルには「せんもんかではありません」とわざわざ仮名が振られています。まずは左上の野尻抱影氏から。-星と文芸-野尻抱影(65)とあり、短文ですが要領よく纏められています。年齢はこの雑誌の発刊時のものです。

各氏とも最初の数行のみ転記します。

-星と文芸-野尻抱影(65)
「横浜生れ 早大英文科卒 中学二年の時世界中を騒がせた獅子座流星群に刺激され 四年の時病室でボール筒の望遠鏡から覗いたオリオンの美しさが忘れられず 以来意識的に星を見るようになる(後略)」野尻氏が手にする望遠鏡は20年来愛用の12cm屈折望遠鏡「ロングトム」。
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右下は-変光星-小山ひさ子さん(34)
「東京生れ「流れ星の美しさに心をひかれて」二、三の本を読み プラネタリウムに刺激されて家事の合間に手製の望遠鏡を覗くようになったのが十年前 戦争中空襲の激しい頃も爆弾の落ちる中で観測し咎められることもあった(後略)」観測機は20cmの赤道儀でほかに手製の望遠鏡が3機ある、とのこと。

小山氏の左は海老沢嗣郎氏
-木星-海老沢嗣郎氏(21)
「東京都下田無に生れ 東京歯科医専卒 昨年より歯科医を嗣ぐ 野尻抱影氏の著書に影響され 小学生の時「プラネタリウム」を見て「大空に仄かな憧れを抱き」中学に入って器械や書物に親しんだが 戦争中のこととて意の如くならず 戦後 村山定男氏に師事「惑星の表面にあらわれた美にひかれ」木星の観測を始めた(後略)」観測機は16cm反射と31cm反射の2機。海老沢氏と一緒に写っている反射は氏の自作機でしょうね。調べるまでに至っていませんが。

左隅にちょっと写っている方は「小槇孝二郎氏」です。
(この稿つづきます)
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昨日(11月14日)、築城航空祭へ行ってきました。
午前8時のオープニング時は曇り空で少し寒さを感じましたが、プログラムが進むにつれて次第に晴れ間が見え始め、お昼頃にはちょっと汗ばむほどの陽気となっていました。

じつは前日の13日にも外来機を見に午後から基地へと出かけたのですが、風の冷たさに早々に引き上げたほどでしたので、昨日の温かさは本日(15日)がまた寒くなっているだけに幸運だった、と言っても大げさではないでしょう。

午前中の第8航空団(築城基地)によるF-15やF-2の機動飛行展示、新田原のF-4EJ改の機動飛行(飛行展示後そのまま帰投)、第12飛行教育団(防府北基地)のT-7の航過飛行、新田原救難隊のUH-60 58-4563による救難展示等々ののち、午後からはいよいよブルーインパルスの演技で、この頃には数日前からの季節はずれの黄砂の影響もほとんど消えて大きく青空が広がっていました。

大空に描かれたハートマーク「バーティカル・キューピッド」。手前から進んだキューピッドの矢がハートの向こうに現れる前にシャッターを切ってしまった!残念。
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この後も数枚撮ったのですが、今度はハートが大きすぎて(と言うかレンズが長すぎて)それらしくなかったので、この1枚を採用。矢のちょっと先に小さく機影。

バーティカル・キューピッドは、手前から飛んできた矢が向こう側に抜けるパターンと後ろ側から飛んできて手前に抜けるパターンの二つあるようですね。
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2番機・3番機・4番機による背面飛行。先頭の1番機(46-5730)は編隊長機。今回は通常通り1番~6番機で飛行展示。予備機66-5745はそのまま待機でした。
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築城第6飛行隊のF-2 53-8535
胴体と翼が一体化して滑らかな曲線を見せている。
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同じくF-2 53-8535

平成22年11月14日 築城基地航空祭地上展示機

三菱F-2支援戦闘機 53-8535/13-8514
F-15戦闘機 12-8078/22-8814/32-8822
RF-4E戦術偵察機 57-6909
T-4中等練習機 36-5706
T-7初等練習機 36-5909
U-125A捜索救難機 43-3022
アパッチロングボウAH-64D攻撃ヘリコプター JG-4059
OH-6偵察ヘリコプター WH31292
EXTRA200アクロバット機 JA22DB
ホーカー・ビーチクラフトT-400練習機 51-5056
ガルフストリームU-4多用途支援機 05-3255
川崎C-1戦術輸送機 78-1023
等々で他にもあったかも知れない。
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昨日(12日)は、この時期にしては珍しく黄砂の一日でした。11月の黄砂飛来は2005年以来5年振りとのこと。しかも視程5キロ以下のけっこう濃い黄砂で遠くの山々は勿論のこと、近くの山も終日乳白色に霞んでいました。11月に観測された黄砂で視程5キロ以下は初めてだそうです。

今秋は、どうもすっきり爽やかに秋らしく晴れた日が少ないようで、現在、秋の只中にいるにもかかわらず実感がありません。しかし確実に季節は移ろいでいるらしく、数日前の急激な冷え込みのせいか近所のイチョウの大木も少しばかり黄色味を帯びてきました。

これから急速に黄金色に染まっていくことでしょう。

「植物の灯り」川村忠晴作
落ち葉を使った素敵な壁掛け。スイッチを入れると葉の裏側がほんのりと明るくなり、葉脈が美しく浮びあがってくる仕掛け。
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造形作家川村忠晴氏は東京都出身。民放TV局でドラマ演出に携わったのち、1985年から造形活動開始。木の葉やホウズキの実などの自然素材を用いた「灯り」は植物の持つ造形美をさらに際立たせてくれる。左は「ミズナラ」、右は「サトウカエデ」。
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ブリキのおもちゃたち。
いずれも直方市(福岡県)のギャラリーにて。このギャラリーに初めてきたのはもう30年も前のこと。何度足を運んでも飽きることのないお店です。
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(11月9日のつづき)
「子供の科学」の誌名変更提案について賛否両論多数と書きましたが、9月号に見る限り改題反対の意見のほうが多いようです。

改題賛成派はその理由のひとつとして「誌名が幼稚」で買うときに恥ずかしいと述べています。対して反対派は、長年この誌名で慣れ親しんでいるうえに内容が充実していれば題名で雑誌を購入するのではないのでこのままでよろしい、と言っています。代表的な意見をひとつだけ転記します。文章が長いので一部分のみ抜粋です。

「何も外見上の事で、改題等せなくてもいゝと思ふ。内容さえ立派であればそれでいゝのではないですか。諸君は題で勉強してゐるのですか。内容で勉強してゐるのではないのですか。(中略)歴史の古い我等の「子供の科学」を改題なんて、残念とは思はんですか。改題論の諸君よもっと考へて下さい」(神戸市・岡本文彦)と強い調子で迫っています。

ほかには「誌名が幼稚で恥ずかしいのならば、もっと大人びた誌名の雑誌を買うのがよろしい」と突き放している意見もあります。「子供の科学」はサブタイトルに「中学生の科学雑誌」とありますので戦前の学制では「子供」ではちょっとイヤだという気持ちもわからぬわけではありませんが、そんなに深く考えなくてもよいのでは・・・。私のように40歳を超えるともう何にも恥ずかしいものはありません!

さて内容ですが、時局柄、戦争や兵器についての記事が散見され、特に飛行機関連の記事は他の同時代の科学雑誌と同様に多いように感じられます。
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「将来の兵器」 飛行戦車、飛行大爆弾搭載機、ただ一人によって操縦される潜水艦

「爆弾の雨」とか「無線操縦の飛行機を撃墜」とか「伝統を誇るイギリス海軍」「戦争に最も必要な鉄」、外国模型界ニュースでは「長距離機用プロペラ装置」「不思議によく飛ぶ電気飛行機」等々で、附録も「最新戦闘機設計図」です。附録はもう一つあって山北藤一郎による「天体望遠鏡設計図青写真」です。

山北氏は「モーターと変圧器の作り方」や「電気器具と電池の作り方」「蒸汽利用模型の作り方」「電気機関車の作り方・蒸気機関車の作り方」「電気の驚異」等、多数の著作があり、この号では、ほかに「火力発電所の構造」と「感応コイルの作り方」の記事も担当しています。
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にしき屋飛行機店の広告ページ
左上は「神風」フライング純スケールモデル、機長50cm・翼長71cm、完成機で売価10円。その下の小さい写真は初心者用模型機「ニューフォッカー機」売価1円75銭、翼長83cm。その下「独逸帆走王ヒルト氏の高性能機グライダー・ゲッピンゲンⅠ型」、材料セット売価2円20銭、翼長137cm。

その下はニューソリッド世界早廻り機「ヒューズ・ロックヒード14型」で売価は書かれていないが同じ仕様のニューソリッドの材料セットで大きさにより1.5円から3.5円までいろいろ。

表紙画(11月9日参照)は飯塚羚児氏で、この号では他に連載小説「探偵科学小説 海底大陸」の挿絵も描いています。作:海野十三/画:飯塚羚児
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子供の科学 第二十四巻第九号
昭和十三年八月九日印刷納本
昭和十三年九月一日発行
編輯人:松下卓朗
発行人:小川菊松
印刷人:小坂孟
発行所:誠文堂新光社
19×26cm/112ページ(広告ページ含む)
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