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(平成27年1月29日の続きです)

最初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられた昭和32年10月から昭和35年6月に開幕した「宇宙大博覧会」までの2年8か月のあいだに、米ソ合わせて30個の人工衛星が誕生しています。打ち分けはソ連が7個、アメリカが23個です。圧倒的にアメリカが多いのですが、この間、アメリカは36回打上げに失敗しています。

3年ほどの間に59回人工衛星打ち上げを試みているわけで、アメリカの意気込みというかライバル意識を感じさせる数字となっています。(ソ連の失敗数は不明です)

それでは我が国の宇宙開発はこの間どうだったかというと、昭和30年4月の「ペンシルロケット」水平発射から始まって8月に「ペンシル300型」で600メートル上昇成功、続いて「ペビーS型」で到達高度1.7㎞を記録、翌31年に「K(カッパ)1型-1号」成功、32年に「K3型-1号」で高度21㎞を達成。

高度60㎞まで到達して初めて高層物理観測に成功したのは昭和33年9月の「K6型-5号」、「宇宙大博覧会」開催の昭和35年7月には「K8型-1号」を打上げて高度200㎞到達、という具合でした。

「宇宙大博覧会」には我が国代表として「K(カッパ)7型」が展示されましたが、このロケットは全長7.3mの1段式で到達高度はK6型より劣る50㎞ほどです。しかし次期観測ロケット「K8型」開発のための新型エンジン「420B」を搭載していました。「K7型」はこの新型エンジンの性能確認用で、次期主力機「K8型」への過渡的立場のロケットでした。
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ソ連のロケット開発の歴史を解説したページ、執筆者は東京工大教授・岡本哲史氏です。左上と右上はライカ犬を乗せて打ち上げられたカプセルの模型、左下はその実物。

右下は液体燃料使用のロケットエンジンです。ソ連では早くも1932年にツァンジェルによって推力50kgの液体燃料ロケットエンジンが開発されています。
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左下は「米国で種々検討の結果スプートニク2号の打ち上げ用ロケットと判断された巨大なソ連の多段式ロケット」の説明書き。その右はソ連の科学者が考える未来の大型宇宙ステーション。右端の発射台上のロケットは「K(カッパ)7型」です。
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最終ページに押された宇宙博記念スタンブ2種、望遠鏡を持つ男の子と女の子、下は高々度極超音速実験機X-15とソ連のルーニク1号かな?、一番下は宇宙大博覧会の記念タバコ「Peaceのパッケージ」

以前は博覧会などでしょっちゅう記念タバコが発売されていましたね。

宇宙大博覧会/昭和35年6月11日~7月31日/晴海国際貿易センター(東京)/博覧会総裁 高松宮宣仁親王/会長 渋沢敬三

宇宙大博覧会パンフレット/A4サイズ全24ページ+15ページ/監修者は岡本哲史/宮地政司/古畑正秋/大島正光/杉本良一/糸川英夫/木村秀政/井上赳夫/青野雄一郎/原田三夫/井戸剛

なお、パンフレットの表紙に描かれたロケットは、米ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられるソー・エイブルⅡロケットで、気象衛星タイロス1号を搭載していました。/1960年4月1日打上げ

タイロス1号は実験的ではあるものの世界最初の気象衛星。積載されたテレビジョンカメラで雲の分布状況を撮影し、画像22,000枚以上をビデオ方式によって地上へ送信しました。
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昭和35年6月11日~7月31日まで東京の晴海国際貿易センターを会場として「宇宙大博覧会」が開催されました。主催は産経新聞社と中部日本新聞社で後援には科学技術庁を始めとして政府各省、日本学術会議、米国大使館、ソ連大使館、電電公社、文化放送、等、多くの企業・公社が参加しています。
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同名の博覧会はこの年の9月にも大阪国際見本市港会場で開かれています。こちらの主催は産経新聞社と大阪新聞社ですが、展示内容は東京とほぼ同じですので、場所を変えての同じ流れの博覧会だったようです。
この年以降、「宇宙大博覧会」の名称を使った博覧会が日本各地で開催されるようになりますが、それ以前にもロケットや宇宙旅行を呼び物にした博覧会が開催されています。

例えば最も早い段階での博覧会に昭和30年に愛知県の犬山遊園地で開かれた「大宇宙探検博覧会」があり、昭和32年に大分県で開催された「別府温泉観光産業大博覧会」の「宇宙探検館」があります。

また、昭和33年の「広島復興大博覧会」にも「宇宙探検館」が設置され、前年に打ち上げられた史上初のソ連の人工衛星などが展示されました。ちょっと整理して記すと以下のとおりです。

(これら以外にも宇宙探検・旅行を展示した博覧会があったかもわかりません。例えば昭和24年3月15日~6月15日に横浜で開催された『日本貿易博覧会』には天文館や科学発明館、子ども館などがありましたので、もしかして宇宙探検を画いたパネルがあったりして・・・。)

●大宇宙探検博覧会/昭和30年3月20日~5月31日/中部日本新聞社主催/愛知県 犬山遊園地/大宇宙探険旅行館、自然科学館、原子力平和館、大ロケット機、その他遊具

●別府温泉観光産業大博覧会/昭和32年3月20日~5月20日/大分県別府市/旧別府競馬場跡地会場/宇宙探検館、他30あまりのテーマ館

●広島復興大博覧会/昭和33年4月1日~5月20日/平和公園・平和大通り・広島城の三会場/宇宙探検館、テレビ電波館、原子力科学館、交通科学館、子供の国、他、合計31の展示館

●科学大博覧会/昭和33年9月27日~11月30日/朝日新聞社主催/兵庫県阪神パーク/宇宙に限らず科学全般の博覧会でしたが、出展された「ノブオカ式Ⅰ型プラネタリウム」が大人気となっています。

●宇宙旅行こども博覧会/昭和33年/愛知県東山動物園/詳細はわかりません。

●航空宇宙博覧会/昭和35年3月20日~5月31日/毎日新聞社主催/大阪府ひらかたパーク/詳細はわかりません。

●宇宙科学大博覧会/昭和35年4月1日~6月20日/山梨県観光連盟主催/甲府市石和町・小松遊覧農場会場/大ロケット機、宇宙館、交通と科学館、農業科学館、生活と電気器具館、おとぎの国館、他

最初の人工衛星スプートニクの打ち上げが昭和32年であることを思うと、これらの博覧会の宇宙関連展示は宇宙開発とかその現況紹介というよりは「宇宙探検」「宇宙旅行」の未来予想図のパネル展示やパノラマ展示が主だったのではないかと想像します。「航空宇宙博覧会」の性格はよくわかりません。実際に使用された機材、実現可能な開発プランなどが展示されていたのでしょうか。

昭和35年の東京晴海の「宇宙大博覧会」は、それまでの博覧会の宇宙関連展示がさまざまなテーマ館のなかのひとつであったことに対し、初めて宇宙開発を単独メインとした大規模な博覧会でした。この博覧会以降では次のようなものが催されています。

●宇宙大博覧会/昭和35年9月21日~11月23日/産経新聞社・大阪新聞社主催/大阪国際見本市港会場

●宇宙大博覧会/昭和36年1月1日~2月28日/中部日本新聞社主催/愛知県庁前特設広場

●宇宙大博覧会/昭和36年4月7日~6月11日/石川県 天神橋・高台・大和百貨店

●若戸大橋完成 産業・観光と宇宙大博覧会/昭和37年9月28日~11月25日/福岡県・戸畑市・若松市共催/高塔山公園・若戸大橋の戸畑側橋脚下周辺/高さ25メートルのロケット模型/アラン・シェパード中佐が乗ったマーキュリー有人宇宙カブセル模型/各種人工衛星模型/宇宙服/ソ連のルーニク2号で月へ運ばれたソ連国家紋章入りペンダント/日本のカッパ7型ロケット/他多数、宇宙開発館・ロケット館・宇宙医学館・プラネタリウム館・他多数

さて、東京晴海の宇宙大博覧会パンフレットのことですが、A4サイズ全24ページ+15ページの構成で、このうち会場案内・展示品紹介のページは8ページ、他は宇宙開発史の概要、アメリカの宇宙開発の歴史、ソ連の宇宙開発の歴史、日本の宇宙開発の現況、アメリカのマーキュリー計画について、となっています。

本ページとは別に縦長サイズの用紙15ページを使って、アメリカの宇宙開発の将来像、ロケット開発の概要、人工衛星の観測成果、宇宙通信について、宇宙医学、ソ連のロケット開発史、他が記述されています。

会場は3ヶ所に分かれていて、第1会場は米ソの宇宙開発関連、ドイツのV2号の実物大1/2模型、B29爆撃機エンジン、未来のロケット想像模型等、第2会場は、月球儀、星雲写真バネル、太陽系惑星の説明パネル、日本のカッパ7型ロケット等、第3会場は、火星人と火星船指令室、火星船内部、などのアトラクション展示でした。

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第1会場 アメリカの宇宙開発
画像の左上「バンガード2号(1959年2月17日打上げ)」、その下「宇宙服(高々度服)」、中2枚の上より「小型ロケットエンジンの燃焼室とブースター」、その下「小型ロケットエンジンの一部」、右端上「宇宙猿"サム"を乗せたカプセル、リトル・ジョー・ロケットで高度88㎞まで到達(1959年12月4日)」、その下「航海衛星トランシット1B(1960年4月13日)」、その下「アメリカのマーキュリー計画を紹介するコーナー、右端がマーキュリーカプセル」
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第1会場 ソ連の宇宙開発の歴史、スプートニク3号(1958年5月15日打上げ)、英国ジョドレルバンクのパラボラアンテナ模型、宇宙医学のコーナー、シュミットカメラなどです。

写真が小さくてわかりにくいと思いますが画像上端のシュミットカメラの奥に「千代田光学ノブオカ式プラネタリウム」が見えています。型式は恐らく「S型」でしょう。この博覧会開催の直前、昭和35年3月20日に開館した「楽々園プラネタリウム」に納入されたプラネタリウムもS型でした。

ちなみに国内の博覧会で最初のプラネタリウム展示実演は昭和25年の「南国高知産業大博覧会」でした。製作者は竹内鎮夫・関勉氏らで、このプラネタリウムは日本最初の個人製作プラネタリウムでもありました。

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アメリカの宇宙開発の解説ページ、著者は航空評論家の井戸剛氏です。画像左下の飛行機はロケットエンジンを搭載した高々度極超音速実験機X-15、ロケットはマーキュリー計画で使われるアトラスロケット、先端に有人宇宙船が見えています。右側はケープ・カナベラルから発射された中距離弾道ミサイル(IRBM)の回収弾頭。

続きます。
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ヘイデンプラネタリウムはアメリカ4番目のプラネタリウムとして1935年10月2日に開館されました。

アールデコ様式煉瓦造2階建ての建物設計はニューヨークの高級ホテル「セントレジス」やニューヨーク証券取引所を設計したトローブリッジ&リビングストン 社が担当し、内部仕様や展示品構成、使用プラネタリウム機材の選定などはのちにヘイデンプラネタリウムの名誉館長となるクライド・フィッシャーが大きくかかわっています。
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Lumitone Photoprint(ニューヨーク/1936年)発行の絵葉書 ↑

プラネタリウム名称の「ヘイデン」は、プラネタリウム機材購入のために15万ドルを寄与した銀行家チャールズ·ヘイデン(1878-1948年)に因んだものです。

設置プラネタリウムは我が国最初のプラネタリウム「大阪市立電気科学館(昭和12年(1937)」と同じくカールツアイスⅡ型でしたが、1960年にツアイスⅣ型、さらに1969年にツアイスⅥ型に変更されています。ドーム径と席数は変わらず23メートル・700席でした。

冒頭、アメリカ4番目のプラネタリウムと記しましたが、ちなみにアメリカ最初のプラネタリウムは1930年5月10日開館のアドラープラネタリウム(シカゴ市)、2番目は1933年11月1日開館のフェルスプラネタリウム(フィラデルフィア市)、3番目は1935年5月14日開館のグリフィスプラネタリウム(ロサンゼルス市)です。

下は「天界」の1950年1月号の表紙に掲載されたヘイデンプラネタリウム内の壁画「AMERICAN INDIAN STAR-MYTHS」です。
2010年8月2日の拙ブログに掲載した (ここです) → 絵葉書と同じもので、北米インディアンの月と太陽の物語を描いています。
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この「天界」1月号には「学者及び教師としての故クライド・フィシャ博士」という記事が載っています。
著者はニューヨーク大学で天文学を教え、のちにヘイデンプラネタリウムでアシスタントキュレーターを務めたマリアン・ロックウッドです。

彼女は単独で天文学の本を著していますが、フィッシャーとの共著もあり、フィッシャー博士の日常にも触れることのできた身近な人物のひとりです。それだけに、天界掲載記事は氏に対して限りない尊敬と親しみを込めた暖かい文章でつづられ、博士の人となりをよくあらわしています。
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クライド・フィッシャー ↑ 1878年5月22日 米国オハイオ州にて生誕、パーマー学院、コーネル大学など各地の大学で講師を務め、1913年にアメリカ自然博物館の教育主任となる。のちにヘイデンプラネタリウム館長に就任、1948年死去。

「天界」1月号表紙裏の写真、↓ 左上の左側人物がフィッシャー博士、右側人物はヤーキス天文台々長エドウィン・フロスト博士
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両人物の下の写真はヘイデンプラネタリウム夜景、右下はフィッシャー博士撮影のアリゾナ隕石孔です。彼は撮影および調査で何度もアリゾナ隕石孔に訪れています。
隕石孔の上の写真はアメリカ自然博物館でフーコー振子を始動するフィッシャー博士。

なお、ヘイデンプラネタリウムの絵葉書(大隕鉄とツアイスプラネタリウム)はここにも → 掲載しています。
弊店の本館です

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本日の「気象天文図鑑」は当ブログの2011年7月1日に取り上げました「最も新しい気象天文図鑑」と同じ内容のものです。

「最も新しい気象天文図鑑」が昭和26年発行の初版第1刷に対し、本日の「気象天文図鑑」は昭和30年発行の第13刷に当たります。

下の画像はカバーをはずした状態の表紙で、表紙絵作者「T.Miyamoto」のサインが隅に入っています。本文内容については2011年7月1日の記事のとおりですので、ここでは前回紹介できなかったページを少しだけ掲載します。
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タイトルページの「天気をしらべる気象台」 ↓
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掲載画像では小さすぎてよくわからないと思いますが、右側鉄塔の上端に気象状況を示す旗が描かれています。

一番上の赤い三角旗とその下の赤と青の三角旗は風向きを示す旗でそれぞれ「南の風」と「南西の風」を表しています。

三角旗の下の白い旗は「天気旗」で、「晴」です。一番下の少し細長い赤い旗は「寒暖旗」で、これから気温が上がっていくことを示しています。

特定のモデルがあっての気象台イラストではないと思いますが、無線鉄塔にハタしてハタがハタめいていたのか。 円塔の上の小さな鉄塔上には二つの風力計と一つの風向計が描かれています。

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 ↑ 「雨の種類」を解説したページ 降雨の原因で分けると「前線性/地形性/低気圧性」の三つがあるそうで、季節で分けると「春雨/梅雨/夕立/秋雨/時雨」があり、振り方で分けると「地雨-長時間降り続く雨/霖雨-振ったりやんだりして何日も降る雨/村雨-短時間降る雨/驟雨-にわかに降り出す雨/糠雨-こまかい霧のような雨」等々の雨の呼び名が書かれています。ほかにも例を示していますが、すべて転記するのはちょっと煩わしいので省略します。

ご存じのように雨の呼び名は風の呼び名同様非情に多くの種類があるわけで、方言や特定の地域で使われるその土地固有の降り方を示す語彙を加えると降雨状態を表す言葉は無数に存在すると言ってよいと思います。

天文編より「太陽系はどうしてできたか」のページ ↓
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本書では四つの説が紹介されていて、画像の左から「ジーンズの潮汐説」「ラッセル、リットルトンの連星説」「ペルラーゲの電場説」「ワイゼッカーの新星雲説」です。

現在考えられている太陽系生成の標準モデルの原型は18世紀に提唱された「カント、ラプラスの星雲説」ですが、ここでは無視されていて、かわりに「ワイゼッカーの新星雲説」が紹介されています。1960年代に入るまでは「ジーンズの潮汐説」が最有力候補でしたが、今では否定されています。
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「星と取り組む天文台」のページ ↑
左よりアメリカのパロマ天文台、天文台内部の様子、反射望遠鏡の仕組み、その右側の緩くカーブを描いた鉄塔に支えられた四角の枠は我が国最初の電波望遠鏡です。

完成は1949年(昭和24年)で東京大学理学部の畑中武夫を中心としたグループにより開発され、当時の東京天文台三鷹の敷地内に設置されました。

現在のパラボラ型とは異なり、縦2.5メートル、横5メートルの木製の枠に金属棒を固定してアンテナとしています。

カーブした鉄塔は1936年(昭和11年)の北海道日食の際に使用された望遠鏡の架台で、赤道儀の一部も転用されています。下の画像は、「科学画報 昭和11年8月号」の「北海道の皆既日食観測記特集」に掲載された早乙女博士観測所の十二インチ赤道儀の写真です。北海道北見国女満別村小学校運動場とそれに隣接した飛行場との境に設けられた臨時観測所に設置されていました。
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紹介したいページはまだまだたくさんあるのですが、最後にページいっぱいに描かれた大迫力のプラネタリウムのイラストで終わりとします。
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1937年(昭和12年)3月13日開館の大阪市立電気科学館に設置されたツアイス社製Ⅱ型プラネタリウム


気象天文図鑑

編著者 理科教育研究委員会 實野恒久
昭和26年7月10日 印刷
昭和26年7月15日 発行
昭和30年2月15日 十三刷発行
発行者 今井龍雄
印刷所 日本精版株式会社
発行所 株式会社 保育社
18.5×26cm/77ページ
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画像の左側は昭和32年初版の「四季の観測」、右側は昭和40年初版の「四季の天体観測」です。
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書名はちょっと違いますが、双方とも「肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」がタイトルの前に付いています。著者・出版社は同じで中野繁著/誠文堂新光社です。

両書掲載の写真・図は、目次ページのウイルソン山天文台撮影のカニンガム彗星の写真をはじめとして、すべて同一の写真・図が使われています。

さらに、各星座の観望・観測対象を解説した文章も一字一句ほとんど違いは有りませんので、書名が異なるものの二つの書籍は同じものと言ってよいと思います。

しかし、双眼鏡・望遠鏡の資料編となっているページには若干の違いがありますので、この部分を少し記します。

先ず些細なことですが、「四季の観測」では、代表的な望遠鏡・双眼鏡の製造・販売メーカー10社のなかに「富士写真」と「東京光機KK」が入っていますが、「四季の天体観測」ではこの両社除かれ、替わって「日野金属産業KK」と「エイコーKK」が入っています。

ちなみに「四季の観測」の「富士写真」はプリズム双眼鏡一覧に掲載の43機種のうち23機種を占め、「東京光機KK」は7機種を占めています。双方ともに望遠鏡一覧には掲載がありません。

また、「四季の観測」の双眼鏡一覧にはメーカー別・口径別に販売価格も記載されていますが、さらに同書の望遠鏡一覧では屈折経緯台・屈折赤道儀・反射経緯台・反射赤道儀分けられて、口径別・各メーカーの機種別に販売価格が表示されています。

機種は具体的に名称を挙げて例えば、

五藤光学屈折経緯台 ダイアナ号 8500円 口径42ミリ
五藤光学屈折経緯台 コメット号 17000円 口径42ミリ
アストロ光学屈折経緯台 J1型 26000円 口径60ミリ
アストロ光学屈折赤道儀 R8型 23500円 口径42ミリ
日本精光76ミリ屈折赤道儀 70000円 口径76ミリ
関西光学工業 反射経緯台 口径80ミリ 24000円
西村製作所 反射経緯台 口径200ミリ 70000円
アストロ光学 反射赤道儀 口径150ミリ 200000円  などとなっています。望遠鏡は80種近く掲載されています。

このページ部分は「四季の天体観測」では、双眼鏡・屈折・反射に分けられているものの口径とf値別に大まかな価格帯が記されているのみです。「四季の天体観測」が発刊された昭和40年時点ではメーカー・機種ともに飛躍的に増大して、限られた紙面数では掲載の取捨選択が難しくなっていた、と想像します。
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さて、星座別の見どころ案内の部分ですが、1月の空、2月の空という具合にその月の夜半前に見やすい位置に来る星座を取り上げて、各星座ごとに肉眼の対象、双眼鏡の対象、口径5センチまでの対象、口径8センチの対象をそれぞれの見え方とともに紹介しています。

例えばオリオン座では、

肉眼対象 M42、ベテルギューズ
双眼鏡対象 M42の中のθ星(四重星)、3つ星とπ1~π4の星列
5cmまでの対象 θ、δ(二重星)、σ(四重星)、β(二重星)、ι(二重星)、M43、M78
8cmの対象 ζ(三重星)、ρ(二重星)、λ(二重星) という具合です。「四季の観測」「四季の天体観測」は、重星や連星が数多く紹介されていて、本書の特徴のひとつとなっています。
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本文に入る前のページは5ページに亘って星図が掲載されています。 ↑ 本書11ページ「冬の星座」より、ふたご座・オリオン座付近、文中で取り上げられた対象星には矢印が付けられています。
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画像の左側 ↑ 「四季の天体観測」41ページより、M3の導入星図と4cm20倍での見え方、その下はりょうけん、おおぐま、こぐまの二重星

画像の右側 「四季の観測」57ページより、かんむり、りゅう、ヘルクレスの二重星

本書にはたくさんの写真が掲載されていますが、その多くは1955年から56年に掛けて星野次郎氏によって撮影されたものです。

使用機材は29cm反射・13cm反射・ヘキサー500mm・クスナー300mm・ドグマー150mmで露出時間は対象物によって異なりますが、20分~40分~90分ほどです。なかには120分にも及ぶものもあり、当時の撮影環境を考えるとたいへんな作業であったと思います。

いずれも素晴らしい天体写真なのですが、残念なことに「四季の観測」に使われている紙の質の問題と恐らく印刷インクの問題でコントラストのハッキリしない天体写真・星野写真となっています。
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↑ 左側、「四季の観測」54ページのM13(29cm反射使用)とM13の5cm40倍のスケッチ 右側、「四季の天体観測」54ページの同じ写真です。「四季の天体観測」では紙質を上げて印刷ムラのないコントラストの良い写真になっていることがわかると思います。

本書113ページに星野次郎氏自作の観測所と収められている29cm反射(鏡面自作)の写真が載っていますが、ここでは「日本の天文台/誠文堂新光社」の112ヘージに掲載された同観測所と自作29cm反射の写真を転載します。 ↓ 29cm反射・f1900mmと同架の12cm・f2400mmF18のカセグレン、同じく同架されたクスナー300mmカメラ、人物は星野次郎氏
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↑ 左側、「四季の天体観測」より「シリウスとM41」 右側、「四季の観測」より「シリウスとM41」 1956年1月15日露出41分/星野次郎氏撮影

簡潔ながら味わいのある文章で綴られた「四季の観測」と「四季の天体観測」は、昭和30年代・40年代に星空に興味を抱いた方々にとって、思い出深い大切な星の本のひとつではないでしょうか。

各地の小学校・中学校の図書館・図書室に置いていた星の本といえば、多分これだったと思うのですが・・・。

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「四季の天体観測」本体とケース


肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で四季の観測
昭和32年12月20日 第1版発行
著者 中野繁
発行者 小川誠一郎
発行所 誠文堂新光社
印刷 三友印刷KK
製本 関山製本社
装丁 菅野陽太郎
定価480円/地方定価485円
19×26.5cm/139ページ

肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で四季の天体観測
昭和40年2月27日 第1版発行
昭和41年8月5日 第2版発行
著者 中野繁
発行者 小川誠一郎
発行所 誠文堂新光社
印刷 錦印刷
製本 関山製本社
装丁 星野重治
定価1000円
19×26.5cm/139ページ
巻末に月面の地形及び月面図付き
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楽々園プラネタリウムについては1月24日の当ブログに書いたように第2部として1章を設けていますが、第3部にも「楽々園プラネタリウム」の小項目があります。

さらに「写真等の資料」にも写真が2枚掲載されています。1枚は投影機調整中の写真で、もう一枚は「ほぼ完成した楽々園プラネタリウム」の全景です。

この2枚の写真は「天界」の1960年4月号掲載の「広島に新しく出来たプラネタリウム館」の記事に添えられた写真と同じもので、「昭和13年早生まれ」の説明では「手前は展示室と事務室」とのみ簡単に書かれていますが、「天界」の1960年4月号には「開館を待つ同館の前面、西側から東を向いて写したもの」とありますので、これを補足転記します。

なお、展示室の規模は260㎡で天体写真や各種模型が展示されている、とのことです。
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↑ 天界 第41巻第419号 1960年4月号/広島市郊外に新しく出来た天文科学館、楽々園プラネタリウム全景(南方より北に向って写す)
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楽々園プラネタリウムの開館は1960年3月20日で前日の19日に開館の式典が行われています。

同プラネタリウムは広島電鉄(株)の子会社「広電観光(株)/のちに(株)広電楽々園」が運営する「楽々園遊園地」の中の一施設ですが、楽々園遊園地自体の歴史は古く、広島電鉄の前身の「広島瓦斯電軌」によって1936年(昭和11年)に開園されたものです。

天界 第45巻第466号 1964年3月号/楽々園(広島)天文科学館の全景 ↓
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左の大ドームはプラネタリウム室で、右の小ドームは口径25cm反射望遠鏡を納めた観測室

投影機は千代田光学ノブオカ式S型投影機で恒星数約9000個、ドーム直径内径18m、座席300、ノブオカ式S型のSはスター(Star)の意とのこと。

天界1964年3月号の表紙写真の右側の天文台は1961年5月28日に開台、口径25cm・f8ニュートン式反射赤道儀木辺鏡、ドーム直径4m、望遠鏡・ドームともに西村製作所製です。観測室の階下は仮眠室と写真暗室。

望遠鏡は一般に公開され、またプラネタリウムとともに広島大学天文研究室分室としても使用されましたが、1971年8月31日に遊園地が廃止されるに伴って天文台及びプラネタリウム館も廃止、後日、望遠鏡は鈴峯女子高校屋上に移設されたそうです。(園内施設の解体工事は1972年3月23日から/跡地は大型ショッピングセンターになっています)

「昭和13年早生まれ」
著者:佐藤健
発行:2007年4月15日/2011年6月誤字等修正/2012年5月写真追加
発行者:佐藤健
編集・装幀:久保田廣司
印刷・製本:プリントテクノ久保田
18.5×26cm215ページ
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拙ブログ2012年6月12日の「広島市こども文化科学館にて」の中でちょっとだけS氏のことに触れていますが、本日はその後(広島市こども文化科学館訪問後)、当のS氏からご恵贈いただいた自伝「昭和13年早生まれ」の紹介です。

「広島市こども文化科学館にて」では「S先生」と書かせて頂きましたが、下の写真をご覧頂ければすぐわかるように「S先生」とは「佐藤健先生」です。拙ブログ掲載に当たって表紙写真使用を快諾してくださった佐藤健氏に感謝申し上げます。

「昭和13年早生まれ」は大きく三つの章に分けられています。ページ最大量は全215ページのうち三分の一を占める「第1部:昭和13年早生まれ」で、出生から幼年期・少年期・青年期の想い出・エピソードと近況、それに「ジャコビニ流星雨」の韓国遠征観測顛末や皆既日食観測の海外遠征の想い出などが綴られています。
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続く第2部は「楽々園プラネタリウム始末記」として7ページを割いて同プラネタリウム設立から終焉までを当事者の眼を通して詳述され、我が国のプラネタリウムの歴史の一端を知る上での貴重な記録となっています。

第3部は、「東亜天文学会と共に50年」で入会の頃の想い出や山本一清氏急逝のこと、熱心に取り組まれた木星観測のこと、人工衛星スプートニクの観測、アポロ飛行士との月面共同観測、広島市こども文化科学館のこと、等々、どこから読み始めてもたいへん楽しく、また興味深い内容が語られています。

第3部の小見出しを記します。

1.東亜天文学会(OAA)への入会
2.山本一清先生のこと
3.山本先生の急逝
4.星についての最初の記憶
5.最初の望遠鏡
6.私の木星観測事始め
7.木星観測の先輩達
8.木星共同観測の推進
9.私の国際交流
10.村上忠敬先生と私
11.荒木宏司さんと田辺健滋さんのこと
12.史上初の人工衛星「スプートニク」の観測
13.楽々園プラネタリウム
14.病気入院のお陰で発見出来た月面の巨大な皿状凹地
15.アポロ飛行士との月面共同観測
16.飛行中のアポロ宇宙船を地球から見る
17.広島市こども文化科学館
18.プラネタリウムの投影
19.少年少女プラネタリウムクラブ
20.美しい星空を守る美星町光害防止条例
21.敗者のいない戦い「光害防止活動」
22.小惑星に名前を付ける

最後の「小惑星に名前を付ける」と少しばかり関連するのですが、第1部~3部とは別に「付録」があって佐藤氏が命名を提案した小惑星の詳細と命名由来、「小惑星2247番ヒロシマ」の命名、「星になったサダコ」が掲載されています。付録はこのほかに「火星の佐伯クレーター」と「私の目の玉のなかのゴミ」があります。

さらに第5部といっても良いくらいのボリュームで「写真等の資料」「佐藤健のプロフィール」「第1部の補遺」「あとがき」があります。
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↑ 「写真等の資料」より「大分県中津市洞ノ上の『岩井崎横穴古墳群』と右から正義、健、康臣」の各氏。

写真の説明に『土地の人は防空壕跡とか山賊の隠れ家の跡とか言っていたが、佐藤正義が古墳群であることを明らかにした。』とあります。

少し補足すると、福岡県生まれの父正義氏は旭化成坂ノ市工場(大分市)を定年退職後、中津市に移り住み(したがって当時大学生だった健氏の帰省先は中津市だった)、趣味の郷土史調査に基づいて「郷土ひとりある記/1966年」「中津三保村史蹟散歩/1977年」を上梓されています。そのため岩井崎横穴が正しく古墳群であることを見抜ぬくことが出来たのだと思います。

右側の太陽コロナは1976年オーストラリア皆既日食時のもの、その下は廿日市市の自宅前から見たヘール・ボップ彗星、左ページ下は延岡中学校で講演中の佐藤健さん。(佐藤氏は幼年期・少年期を延岡で過ごしている)

続きます。
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拙ブログの2012年7月24日に「Sky and TELESCOPE(1966.January)」掲載のイケヤ・セキ彗星(C/1965 S1)を紹介させて頂きましたので、今回はその2回目となります。掲載号は1965年12月号ですので、前回紹介の号(1966.January)と今号の2ケ月連続で特集を組んでいたことがわかります。
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表紙写真は、Alan McClure氏によるもので10月31日早朝撮影、撮影地はカリフォルニア・ピノ山でコンタックス35mmカメラ使用、パン・クロマチックフィルムにて12秒露出。彗星は地球から1億6000万㎞の位置、尾の実長は5200万㎞以上となっていました。
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左ページの上は、東京天文台乗鞍コロナ観測所にて12cmコロナグラフを使用して撮影(左側写真10月21日2時20分(UT)/守山史生)、右側写真は10月21日3時27分(UT)撮影。

2枚とも「イケヤ・セキ彗星写真集/月刊天文ガイド臨時増刊」の12ページ・13ページに載っているものと同じです。右側写真の撮影後、40分ほどして彗星核が数個に分裂した模様。

右ページ上、10月6日撮影、カリフォルニア・テーブル山観測所にて。この頃は軌道の関係で南半球のほうが観測しやすかった。

右ページ下、10月13日撮影、メキシコ観測所にて。「イケヤ・セキ彗星写真集/天文ガイド」によると、堂平観測所での写真撮影は10月11日が最後だった、とのこと。
同写真集には10月16日の彗星が載っていますが、これはヨハネスブルグで撮影されたものです。

Sky and TELESCOPE(1965.December)のイケヤ・セキ彗星特集はトップページから6ページに亘って尾の変化・核の様子・スペクトル観測解説で構成され、さらに5ページを使って写真特集が組まれています。

下の写真は写真特集の1ページ目と2ページ目です。左側写真、1965年11月1日、カリフォルニア・ピノ山にてAlan McClure氏撮影。彗星頭部の左斜め上の輝星はカラス座γ星(ガンマ星)。
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右ページ右上は、10月26日撮影 太陽コロナの中を横切って5日目の様子。その左の写真は10月27日撮影の彗星頭部、太陽から5000万㎞の距離。その下、メキシコにて撮影。

右下の写真は10月28日エル・パソ(テキサス州)にて撮影、頭部より少し上にカラス座ηとδが写っている。尾はコップ座に達しています。
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                    ↑
左ページの左側の写真、10月29日カリフォルニア・ハミルトン山にて撮影、尾の実長4000万㎞以上、頭部の左上の二つの輝星はカラス座ηとδ星。左ページの右上は205mmレンズで20秒露出。その下、10月30日撮影マサチューセッツにて。

右ページの左上、10月31日撮影 黄道光と彗星、ニューメキシコにて。その下は、同じく10月31日撮影、アリゾナにて。右側の上の写真は、11月1日撮影/その下は10月31日アリゾナにて撮影、55mmレンズ使用。
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                  ↑
上段の左側、10月31日撮影/右側 11月1日撮影、頭部付近の星はカラス座γ星(ガンマ星)。太陽から徐々に遠ざかっているが、尾はますます伸びてきています。下の左側、10月28日ミネソタにて撮影/下の右側、11月1日ピッツバーグにて撮影、35mmカメラ15秒露出。

ちなみに、右側ページの隕石は、世界で3番目に重い隕石「新彊(しんきょう)隕石」で重さ28トン。(1位はアフリカ・ナミビアのホバ隕石60トン、2位はグリーンランドで発見され、ニューヨークのヘイデンプラネタリウムで展示されたアニギート隕石30.9トン) 新彊隕石の大きさは2.42×1.85×1.37メートルです。

新彊隕石(隕鉄)は1898年にロシアの探検隊によってロシア領内で発見されましたが、その後発見場所が特定できなくなっていたところ、たまたま中国の楼蘭洞窟調査隊が再発見し、1965年に新彊ウイグル自治区のウルムチまで運んできたものです。この新彊隕石は、2000年3月18日から5月14日まで名古屋市科学館にて開催された「宇宙展2000」で展示されていました。

(Sky and TELESCOPE 1965年12月号をいるか書房本館にUPしました。) ≪現在ウリキレです。7/25日≫
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遠くにアーチ構造の橋を望み、両岸には石造りの建物を思わせる家並み。
手前の橋上には灯りがともり、人物二人を浮かび上がらせています。
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中空にはペガスス、水瓶、クジラなどの秋の星座、左側の東の空にはオリオンやスバルの冬の星々も姿を現してきています。
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漆黒を背景に黄色の描線が鮮やかに浮かんで星空の静謐さをいっそう際立たせ、郷愁を誘う情感溢れる星座風景を現出しています。

ノスタルジックな星空風景は裏面にも描かれていて、黄色の鉄塔上で小熊、大熊、龍の星々が静かに静かに北天を巡っています。
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村上忠敬氏の「全天星図」は昭和9年に最初の版が出され、その後数回の改訂を経て昭和33年に氏のご子息処直(すみなお)氏との共著で「改訂新版 全天星図」が出されました。
この経緯は「序言」にも書かれていて次のとおり。

『全天星図の初版を世に出してから既に二十余年の歳月が流れ、その間に改訂新版や戦後縮刷版など幾度びか少しずつの改修を施した。最近肉眼恒星図の需要が急激に拡大するにつれて、本書の星座境界線を国際天文同盟案のものに統一してもらいたいとの声が高まってきた。(以下略)』

そのため、長男処直氏の協力のもとに星図を描き直して境界線を変更するとともに、恒星の光度も若干修正し、4等星までのすべてと5等星の主なものを加えた、とのこと。
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また、初版にあった「各星座とその著しい天体案内」を補訂して復活掲載したということで、この部分に20ページを費やして星座の位置(場所)、星座創作者、星座中の明るい恒星の等級とスペクトル型、主な変光星と星雲・星団の紹介がなされています。
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星図は北天と南天を含めて全部で5枚、最微星は6等星ですがすべてが書き込まれているわけではありません。目次は以下のとおり。

北半球図(検索図)・・・表紙見返し2頁
タイトルページ 白鳥座の中心部 星野次郎氏撮影
序言      ・・・本文1頁 1955年5月24日 著者しるす
目次      ・・・・3頁
星座索引表(学名アルファベット順,和名対照)・・・5頁
恒星固有名索引表・・・・・・・・・・・・・・・6頁
解説
第一章 天球とその回転・・・7頁
第二章 星座と恒星天・・・10頁
第三章 太陽系の天体・・・13頁
星図
北天・・・・・・・・・・・・第1図版
赤道帯24h-16h・・・・・・・第2図版
赤道帯16h-8h・・・・・・・・第3図版
赤道帯8h-0h・・・・・・・・第4図版
南天・・・・・・・・・・・・第5図版
各星座とその著しい天体案内・・・17頁
奥付
奥付裏1 新天文学講座 全15巻広告
奥付裏2 天体観測シリーズ 全12巻広告
奥付裏3 恒星社発行の天文宇宙と暦学書の広告
月面案内     ・・・表紙見返し3頁
月面図      ・・・表紙見返し4頁
------------------------------------------
ちなみに昭和16年版の目次は、
標題
目次
北半球全圖・・・表紙見返し2頁
星圖檢索用圖を兼ぬ
序言   ・・・本文1頁
目次   ・・・ 2頁
星座原名索引 標準和名對照・・・3頁
附.固有星名索引   ・・・4頁
星座和名索引      ・・・5頁
附.星座和名の採擇に就て  ・・・6頁
第I圖版   ・・・北天 北極を中心として北緯30°までを含む
第II圖版   ・・・赤道帶24h-16h 南北40°
赤經24h-14h   ・・・赤緯南北60°を含む
第III圖版   ・・・赤道帶16h-8h 南北40°
赤經16h-6h   ・・・赤緯南北60°を含む
第IV圖版   ・・・赤道帶8h-0h 南北40°
赤經8h-0h-22h   ・・・赤緯南北60°を含む
第V圖版 南天    ・・・南極を中心として南緯30°までを含む
解說 並びに本書使用上の注意  ・・・本文1頁
第一章 天球とその廻轉   ・・・1頁
第二章 恒星天と星座   ・・・6頁
第三章 太陽系の天體   ・・・9頁
星座とその著しい天體案内   ・・・13頁
星座槪說及び各星座中の主な恒星・星團・星雲等の說明
月面案内   ・・・31頁
月面圖   ・・・表紙見返し3頁
-----------------------------------------------------
昭和22年版の目次は、
標題
目次
北半球圖(檢索圖)   ・・・表紙見返し2頁
序言         ・・・本文2頁
目次      ・・・2頁
星座索引表(學名アルフアベツト順,和名對照)  ・・・3頁
恒星固有名索引表    ・・・・6頁
第一章 天球とその回轉  ・・・・7頁
第二章 星座と恒星天   ・・・・9頁
第三章 太陽系の天體   ・・・13頁
北天・第I圖版
赤道帶0h-8h・第II圖版
赤道帶8h-16h・第III圖版
赤道帶16h-24h・第IV圖版
南天・第V圖版
月面案内   ・・・表紙見返し3頁
月面圖   ・・・表紙見返し4頁

「全天星図」の再版・改訂版等は次のとおりですが、すべてに目を通したわけではありませんので、少し曖昧さを残しています。

▼全天星図 恒星社 昭和9年 30頁 図版5枚 大きさ31cm

▼全天星図 恒星社 昭和15年 初版 31頁   大きさ31cm
▼全天星図 恒星社 昭和16年 訂再版 30頁 大きさ31cm

▼全天星図 恒星社 昭和22年 訂再版 図表1冊 大きさ26cm
▼全天星図 恒星社厚生閣 昭和22年 訂再版 32頁 大きさ26cm
▼全天星図 恒星社厚生閣 昭和22年 訂再版 16頁 図版10枚 大きさ26cm

▼全天星図 恒星社厚生閣 昭和24年 再版 16頁 図版10枚 大きさ26cm

▼全天星図 恒星社厚生閣 村上忠敬/村上処直  昭和33年 改訂新版 36頁 大きさ30cm
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昭和15年版 「新版 全天星図」の本体と函  ↑

全天星図(改訂新版)
昭和33年7月15日 初版発行
昭和44年9月30日 6版発行
著者 村上忠敬/村上処直
発行者 志賀正路
発行所 株式会社恒星社厚生閣
印刷 玄真社印刷/千代田平版社
30×21.5cm 定価850円
(元期1925.0 最微星5~6等の一部)

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なお、共著者の村上処直氏(1935年-)は横浜国立大学工学部建築学科卒業の都市計画・防災の専門家で我が国の都市防災の第一人者。

全天星図共著の頃は在学中あるいは卒業前後だったのではないでしょうか。

(追記)
昭和15年版の奥付と目次は次のとおりです。

昭和15年版の「全天星図」の奥付

昭和十五年四月十三日印刷
昭和十五年四月十六日発行
著者 村上忠敬
発行者 東京市芝区南佐久間町二ノ四 土居客郎
印刷者 東京市麹町区五番町十二 谷口熊之助
発兌  東京市芝区南佐久間町二ノ四 振替口座東京六四七三八番 恒星社
発売  東京市麹町区六番町六番地 振替口座東京五九六〇〇番  厚生閣
定価 三円八十銭

昭和15年版の「全天星図」の目次
北半球全図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・表紙2頁
序言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本文Ⅰ頁
目次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Ⅱ頁
星座原名索引 標準和名対照・・・・・・・・・・・・・・・Ⅲ頁
附 固有星名索引・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Ⅳ頁
星座和名索引・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Ⅴ頁
附 星座和名の採択に就て・・・・・・・・・・・・・・・・Ⅵ頁
北天・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第Ⅰ図版
北極を中心として北緯30°までを含む
赤道帯 24h-16h 南北40°・・・・・・・・・・第Ⅱ図版
赤経24h-14h 赤緯南北60°を含む
赤道帯 16h-8h 南北40°・・・・・・・・・・・第Ⅲ図版
赤経16h-6h 赤緯南北60°を含む
赤道帯 8h-0h 南北40°・・・・・・・・・・・・第Ⅳ図版
赤経8h-0h-22h 赤緯南北60°を含む
南天・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第Ⅴ図版
南極を中心として南緯30°までを含む
解説並びに本書使用上の注意・・・・・・・・・・・・・・・・本文1頁
第一章 天球とその回転(1) 第二章 恒星天と星座(6) 第三章 太陽系の天体(9)
星座とその著しい天体案内・・・・・・・・・・・・・・・・・・13頁
星座解説及び各星座中の主な恒星・星団・星雲等の説明
月面案内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31頁
月面図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・表紙3頁
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2月15日午前9時23分(日本時間午後0時23分)、ロシア南部ウラル地方のチェリャビンスク州付近に非常に強い衝撃波を伴った隕石が落下。

隕石は中央アジア・カザフスタン上空からウラル地方に向って飛びながら、高度70~30キロ付近で3回爆発した、とのこと。ロシア科学アカデミーによると隕石の重さは推定約10トン、時速5万4000キロ以上で大気圏に突入したものと分析。(のちに発表されたNASAの推定では、大気圏突入前の隕石の大きさは長さ17メートル、重さ約1万トン)
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九州スポーツ 平成25年2月16日第1面/九スポは「宇宙人を撮影した!」とか「未確認生物をついに捕えた」とかをいつも1面に持ってきてワクワクしますね!

この爆発・落下に伴う衝撃波によって多数の建物のガラスが割れたり壁面が崩落し、千人を超える住民に被害が出ているそうです。大多数は飛び散ったガラス片による負傷ですが、このうち数名は重傷と報じられています。
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毎日新聞 平成25年2月16日第1面/この隕石痕、すごいです。

衝撃波は、物体が音速を超えて移動した時に発生するものであることはご存じのとおり。そして衝撃波が地上に達して起こす爆発音を「ソニックブーム」と呼ぶのもご存じのとおりですが、この「ソニックブーム」、以前に一度聞いたことがあります。

それは、1988年2月29日の午後1時10分過ぎのことで、知人宅で雑談中、突然「ドーン」というかなり大きな音が聞こえました。その直後だったと思いますが、窓ガラス(サッシではなく)が小刻みに振るえ出し、数秒のあいだ小さな振動音を出していたことを覚えています。

かなり大音でしたが音の高低でいうと、腹に響くような低音ではなく、むしろやや高音ぎみだったと記憶しています。また、長く続く音ではなく瞬間的な破裂音だったと思います。

翌日の新聞には「原因不明の空振」と載っていましたが、「星の広場」の加茂氏と曽和氏によると隕石落下の可能性が非常高く、当日午後1時6分頃、高さ50キロで薩摩半島上空を通過後、大分市から広島市の上空を抜けて日本海に落下した隕石が発したソニックブームだったと「天文ガイド」だったか何かに載っていました。

今回のロシアの惨状、非常に稀なことだけに、たまたま落下に遭遇した方々には、この場ではお気の毒としかいいようがありません。重傷の方もいるようですが。

なお、このロシア隕石落下について月曜日(2月18日)にテレビ番組内で話題として取り上げるそうで、隕石落下関連として「直方隕石」も同番組内で触れるとのこと。

弊店撮影の直方隕石の写真を番組へ提供させて頂きましたので、是非ごらんください。番組名は下記の二つです。

2月18日放送「テレビ朝日 モーニングバード!」午前8時より。
2月18日放送「TBSテレビ みのもんたの朝ズバッ!」です。
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