カテゴリ:天文台( 15 )

5円の国会議事堂のデザインの葉書は、「東京天文台岡山天体物理観測所 開所記念」と印刷されていますので、観測所が開所されたときの昭和35年(1960年)発行で間違いないのですが、それでは10円の葉書のほうはどうでしょう。
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はがきの料金は、昭和26年(1951)11月1日~昭和41年(1966)7月1日まで5円で、昭和41年(1966)7月1日~昭和47年(1972)2月1日まで7円。

そのあと値上げがあって昭和51(1976年)1月25日まで10円だったそうですので、昭和47年から昭和51年の間に印刷発行された葉書と考えるのが妥当と思えます。
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では、この間に天文台の写真を葉書に印刷して発行するような何かがあったのかと考えると、昭和50年が開所15周年だということに思い至ります。果たしてこの思いつきは当たっているのか。

それとも単なる岡山県あるいは観測所がある鴨方町をPRするための発行だったのか、乞うご教示、です。

蛇足ながら、5円葉書は「英国グラブ・パーソンズ社製188cm反射望遠鏡ドーム」、10円葉書は「日本光学製91cm反射望遠鏡ドーム」で、左奥のドームは188cm反射望遠鏡ドームです。


「岡山の天文気象」は、「岡山の天文」と「岡山の気象」の二部に分かれていて、天文編は岡山天体物理観測所の初代現地責任者(副所長)の石田五郎氏、気象編は岡山大学名誉教授気象学専攻の佐橋謙氏。
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「岡山の天文気象」の表紙、青空をバックにした188cm反射望遠鏡ドームの写真は石田五郎氏の撮影ですが、これにはちょっとしたエピソードがあり、気象編の佐橋謙氏の文章が「天文屋石田五郎さんを偲ぶ/同書刊行会発行」に載っています。

「・・・その本の表紙をどうするかという話になったとき、書名が『岡山の天文気象』なのだから、雲を背景にした鴨方の天文台のドームの写真がいいということになった。

石田先生は「写真なら私も好きだし、天文台の写真は何枚もあるから探しましょう。」と請け合われた。私はそのとき厚かましく注文を出した。

「同じ雲なら、もっとも雲らしいもくもくと湧き上がる入道雲がいい」と。

気の毒なことにただでさえ多忙な先生を、そのために大変な努力を傾注させてしまったらしい。つまり、先生の手持ちの写真の中には入道雲はなく、新しく撮らねばならないことになり、夜が専門の先生を昼間もいつも空を見上げなくてはならないようにしてしまったのである。」

結局、入道雲を背景にした天文台の写真は撮れず、石田氏は「これで我慢して貰えないか」と絹積雲の写った写真を佐橋氏に申し訳なさそうに差し出した、そうです。

もともとにして、昭和29年(1954年)の第19回国会において大口径望遠鏡購入の予算案が可決されたのち、望遠鏡設置の場所候補として「静岡県・粟ガ岳」「岡山県・遥照山」「長野県・杖突峠」が挙げられ、最終的に岡山県に決定されたことを思うと、この地が晴天率が高く、大気が透明でゆらぎが少なかったためであって、青空の広がるこの写真こそ、大いに納得できる出来栄えで、表紙に相応しい写真のように思われてなりません。

「天文編」の大部分は、岡山天体物理観測所の建設時の様子と完成後の観測状況、設置望遠鏡についての説明についやされていますが、同観測所以外の話題として、「倉敷天文台」「本田彗星」「岡山に落下した四つの隕石」「岡山県内の天文施設」の章が設けられています。

また、「気象編」は、「岡山の気候」として世界各地と日本各地の岡山県によく似た気候の土地を挙げ、岡山県の気候の特徴を解説し、続く「岡山の気象の監視体制」の章では、「岡山地方気象台」「津山測候所」「アメダス」「ロボット雨量計」「大気汚染の監視」「その他の気象観測施設」をそれぞれの歴史とともに観測状況を丁寧に述べています。

「岡山の特異な気象現象」と「岡山の気象災害」の二つの章は、岡山に在する著者と岡山の地元出版社ならではの章立てで、とても興味深い内容です。

このことは「天文編」も同様で、「本田彗星」や「岡山の隕石」「倉敷天文台」なども岡山をよく知る著者あっての著述ぶりとなっています。

岡山の天文気象/岡山文庫90
著者:石田五郎/佐橋謙
発行日:昭和55年6月1日 初版
発行所:日本文教出版株式会社
発行者:吉田研一
印刷所:平和写真印刷株式会社
10.5×15cm/173ページ/定価700円
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全31ページの小冊子ながら、アインシュタイン塔建設に至るまでの経緯や設計者メンデルゾーン(1887-1953)の人となり、建築中の様子、完成後のさまざまな出来事などが要領よく纏められています。・・・、と言ってもドイツ語ですので読めるわけではなく、ページごとに添えられた豊富な写真を見ながら、書かれていることを想像するという超読書法による感想です。
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この塔は1921年から24年にかけて建てられ、ドイツ表現主義建築の代表とされています。アールヌーボー様式の流れを汲んだデザインは少し奇抜すぎる感もしますが、映画芸術などではなく、建築に表現主義を取り入れるとこのような形になるのだなあ、となんとなく納得です。

当時としては新しい建築材料だったコンクリートを多用しています。
しかし、コンクリートだけでは技術的に無理なところもあり、一部にレンガを使っているそうです。
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建設中のアインシュタイン塔。正面玄関側より撮影。(1921)
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玄関前のポーチに立つアルベルト・アインシュタイン(1921)
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連合軍の爆撃により破壊されたアインシュタイン塔と復興後の姿。(1945/1950)
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光路図/塔の最頂部のドームには望遠鏡ではなく、シーロスタットと呼ばれる2枚の平面鏡が設置されている。このシーロスタットによって塔内に導入された太陽光は、塔の最下部で直角に折り曲げられて分光観測される。

このアインシュタイン塔、最初は奇異に感じるのですが、見慣れてくるとなかなかいいなあ、と思えてくるのが不思議です。

金属の輝きとコンクリートの質感に違和感はありません。
それに曲線を描きながらも安定感を持った玄関廻りと、その上にスックと立ち上がる塔部分に、恐竜の脚を思わせる力強さを感じます。

設計者エーリッヒ・メンデルゾーン34才のときの作品であり、彼が世に出るきっかけとなった建築作品です。



Der Einsteinturm in Potsdam
11.5×17.5cm/31ページ
DKV-KUNSTFUHRER NR.588/1
Erste Auflage
Deutscher Kunstverlag GmbH Munchen Berlin
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6月2日の「東京天文台絵葉書 第六集」について少し補足します。

下の画像は「第六集」が入っていた封筒の内側に印刷された天文台構内図です。
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構内の中央よりやや下に逆T字型に区切られた箇所があり、「9」と番号が振られているのがわかると思います。ここが天文台本館部分で、これを起点にして左上に目をやると「6」があります。

「6」が東京天文台で最大の望遠鏡を収めた「65cm赤道儀室」です。さらに「6」の左側に移ると「3」があります。「3」は「塔望遠鏡室」です。「3」の上に小さく「4」があります。これは「第一子午線標室」です。

次に6月2日の絵葉書をご覧頂きたいのですが、まず、上の1枚から説明いたしますと、絵葉書の左端のドームが「6」の「65cm赤道儀室」で、右端近くの縦長の建物が「3」の「塔望遠鏡室」で「アインシュタイン塔」と愛称されるものです。

「65cm赤道儀室」と「アインシュタイン塔」のあいだに屋根の部分が白く写っている建物があります。構内図では「2」にあたります。ここは「太陽写真儀室」でスペクトロヘリオスコープとカルシウムK線分光器が置かれていたそうです。

さらにその右側にアメリカのブラッシャー社製天体写真儀が収められた「天体写真儀室」が小さく写っています。「アインシュタイン塔」の左下に見える台形の建物は「第一子午線標室」です。

2枚の絵葉書のうち下の絵葉書にはさらに多くの建物が写っていて、それぞれの建物が東西南北にきちんと並んでいる様子がわかります。本館は絵葉書中央やや左よりのところに写っていますが、その前の道路は精確に南北に走っています。道路の手前が北で奥が南です。

非常に広い敷地であることがよく解かりますが、これが全てではなく、画面手前にはアンテナ群や官舎などが立ち並んでいたようですので、構内全域の2/3くらいしか写ってないのではないでしょうか。
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「望遠鏡を見に行かないか?」月曜日の朝、かおを合わすなりオットーは云いました。・・・その前の土曜日の晩、われわれのハーヴァード氏の塔に輝やかな豆電灯が点ったのですが、日曜は余所へ出かけたので、私は彼とは逢わなかったのでした。

「どこなんだ」「A山だ・・・Eっていう人がこんどロンドンから買って帰ったんだ。A山に円屋根を作ったんだよ。」

「へーえ、・・・ハンドルもついているの?」「むろん! ぼく土星を見たよ。これっぱかしだ。」とオットーは、親ゆびと人差指とを曲げて小さい輪をこしらえました。

「どんな色をしていた?」「黄いろと紫がいっしょになったような・・・」「環も見えたかい?」「ああハッキリ・・・輪が一段と薄くなっている部分から、土星の本体がすいて見えるところなんか、きみに見せたら何というか知れないよ」
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「そら!」と彼は晴れやかな声で注意しました。
「あそこなんだよ・・道はうしろの方から登るのだ」

指し示されたこの辻の左向う、銀梨子地の星空の下に、そこを半円形に区切っているポプラらしいものが生えた丘と、そのてっぺんに載っかっている、オットーの服の色と同じ緑色の灯影が洩れた円屋根の影とが透かされました。(稲垣足穂/天体嗜好症 より)
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「東京都下三鷹にある東京天文台は、すぐそばに飛行場があって、天文台の仕事に支障をきたすと問題になっているところです。小高い雑木山に抱かれて、あちこちにチョンマゲを乗せたような形の、大小さまざまのドーム(円屋根)があり、芝生には異様な形をした観測機が並べられて、まことに奇妙な風景です。

歩いているうちに、いつとはなしにオトギの国へでも来たような気持になってしまいます。夢のようです。私はここが楽しくて、四季を通じて、よく写生に出かけます。この絵は、かずかずのドームの中で一番大きい二十六インチ塔の望遠鏡台です。くもりがちの午後、芽ぶきに間もない木立にかこまれて、眠ったような天文台の静けさを描きたいと思いました。」
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週刊朝日5月16日号の「今週の表紙」より、作者自身の言葉を転記しました。牛島憲之(1900-1997年)は、熊本県生れの洋画家で、柔らかな線と色彩に特徴があり、幻想的、メルヘンタッチな画風で知られています。本日の「天文台」でもそれがよく現れていると思います。しかし、「作者の言葉」を読むまでは、実際の天文台をモデルにしているとは思いませんでした。

ドングリを思い浮かべるようなこの天文台は、異形の木々に囲まれてひっそりと佇んでいます。童話的でありながらちょつとミステリアスな雰囲気も漂っているようでもあります。黒々とした入り口に少し恐れを感じながらも、お菓子の家に惹かれていくヘンゼルとグレーテルのように一歩一歩階段を昇っていく人影を想像してしまいます。

週刊朝日5月16日号
発行日:昭和二十九年五月十六日
編集人:扇谷正造
発行・発売所:朝日新聞社

ところで、本日の「5月16日号」には、「彼女は何を見た?」のタイトルで「ジョセフィン・ベーカー来日公演うらばなし」が載っています。

ジョセフィン・ベーカー(1906-1975年)は、アメリカ・セントルイス出身の女優・ダンサーで、のちにジャズ歌手としてもデビューを果たすなど卓越した才能で世界中に多くの熱狂的ファンを獲得し「黒いヴィーナス」とか「琥珀の女王」と呼ばれていました。また、人種差別撤廃運動や孤児たちの支援にも熱心に取り組んだことでも知られています。

で、その「うらばなし」ですが、異国の地で勝手が違ったのか珍事続出の模様が書かれています。(記事は彼女の来日時にお世話をしたというか関係者の一人だったエリザベス・サンダース・ホームの沢田美喜さんの談話を纏めたもの)

さまざまな興味深いことが書かれていますが、ここでは来日時の出来事とは関係なく彼女の帰国時のお土産の品々をちょっと。

まずは、「神棚」。そして「日本猿2匹」と「インコ」「ジュウシマツ」「文鳥」をそれぞれ2羽ずつ。さらに「真珠」「絹張りの絵日傘」「蛇の目傘」「浴衣」「草履」「下駄」等々。

どうやら、公演の合い間に訪れた平安神宮や三十三間堂や京都の都おどり見物に感激し、すっかり日本ファンになったようです。

そして日本に残したお土産は「エリザベス・サンダース・ホームの構内の丘に建つ、混血の通学児童を容れる寄宿で、これには、ベーカーにちなんだ名前がつくことになっている」(掲載記事をそのまま転記)とのこと。
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10月14日のコメント欄に機能美とか構造美とか書込みをしていて思い出したのですが、この絵葉書、機械美とか機能美とかを通り越してちょっと過激でさえあります。SF小説でいうところのクロックパンクとはこんなものをいうのでしょうか。

もっとスッキリさせればいいのに・・・、などと思ってしまいますが、まああんまりそんなことを考えて設計したのではないでしょうから、こんなのになったのでしょう。
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六十五糎赤道儀の一部
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塔望遠鏡シーロスタット

全高20メートルのアインシュタイン塔頂上のドーム内に設置されたツアイス社製60cmシーロスタット。昭和3年(1928年)にドイツより購入。

このシーロスタットによって導入された太陽光は、日本光学製48cmカセグレン反射で集光されて塔最下部まで導かれ、半地下式の小区域で分光観測される。
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絵葉書の説明書きでは「天文台」となってますが、厳密に言えば「気象台」です。しかし気象と天象が未分化の場合もありますので、まあこれで良いかもですね。
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この北極閣の観測所については昭和14年9月発行の「中華民国ニ於ケル既往気象事業ノ概況」(興亜院華北連絡部・発行)の3ページ目に

「明太祖鶏鳴山(今ノ南京北極閣)上ニ観象台ヲ建テ此処ニ有圭表、向風計ヲ安置ス 之向風計、風信器ナルヘシ、清康熈帝自カラ一小旗ヲ以テ風向ヲ測リ又直隷各省ニ命シ雨、風、雷等ノ観測ヲ行フ」とあります。

絵葉書の通信面を見ると「南京市アジヤホテル 父ヨリ」出され、福岡県嘉穂郡に住む我が子へ送られたものであることが分かります。

消印の日付は不鮮明ですが、どうやら差し出し年は「廿八年」のようです。民国28年は1939年で昭和14年にあたります。
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蒋介石が対日決戦声明を発したのは昭和12年7月(1937年)で日本軍による南京陥落はこの年の12月13日でしたので、この絵葉書は南京占領後の翌々年に出されたものということになります。差出人のお父さんは上海、杭州、蘇州を巡って南京に着いたようで、その間の列車内の様子が書かれています。
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「・・・汽車ノ中ニモ 四五人ヅツノ兵タイサンガ剣ヲツケタ鉄砲ヲ持ッテ乗ッテ下サイマス 線路ハ所々ニ 二三十人ヅツ位ノ兵タイサンガ守ッテ居レマスノデ私達ハ安心シテ旅行ガサレマス」お父さんは民間人のようですね。

葉書の最後は「強イヨイ日本ノ子供ニナッテ下サイ」と書かれていますが、このフレーズはこの時期の手紙類の終わりによく出てくる文言です。

表現は少しづつ違いますが、文意は同じですので子供に送る手紙の挨拶がわりの常套句だったのでしょう。もちろん、言葉どおりそのように願っていたことと思います。

お知らせ/いるか書房本館に「北極閣天文台 絵葉書」をUPしました。→ ここ ←未使用品・状態良です。
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引き続き、岡山の初日カバーです。
発行元は昨日(24日)の91cm光電反射望遠鏡のカバーと同じ浪静堂で、説明書きも全く同じものなので転記はやめます。
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全体に淡い色調で背景の瀬戸内海の波もおだやかな感じです。旅情感が出ていていい雰囲気ですね。「春の天文台と瀬戸内海」というところでしょうか。開所式は秋ですが・・・。

説明書きを転記しないのでなんだか中途半端になってしまった。・・なので、「地図案内社」から出ている「東洋一天文台と遙照山ラヂューム温泉」の絵葉書を載せます。昭和37年頃の発行で7枚組みですが、天文台はその中の1枚のみです。他は、遙照山両面薬師如来堂とか遙照山メガネ展望台、ラヂューム温泉郷などです。
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絵葉書が入っている封筒の表です。ドームの下の絵は「遙照山両面薬師如来堂」です。こういう色使いはいかにもお土産品の雰囲気が出ていて、これまたいいですね。
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「遙照山無線電話中継所」というのもありますので、これも載せます。左が国鉄の中継所で右が中国配電KKです。
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そして天文台です。手前が91cm望遠鏡のドーム、左が188cm望遠鏡のドームです。
別世界への入り口にはやはり階段がふさわしい!
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昨日(23日)の明け方近く、我が家周辺は激しい雷雨に見舞われた。
午前中に雨は止んだものの雲が多く、そのまま気温は上がらず終日25度前後。風が少しあったため肌寒ささえ感じた一日だった。

一昨日(22日)の日中気温は31.1度、その前日は33度で本日(24日)の朝は23度。連日やかましいほどのツクツクホウシの声も昨日は全く聞くことがなかった。今日は少しばかり鳴いている。これから日ごとに秋めいて行くことだろう。

さて、本日も岡山の初日カバーですが、描かれているのは開所式(昭和三十五年十月十九日)の前年に完成した小ドームのほうです。収められている望遠鏡は日本光学工業(現:株式会社ニコン)製の91cm反射式望遠鏡で大口径望遠鏡としては国産第一号にあたります。
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小ドーム建物は山の斜面を切り開いたところにありますので、このドームより少し高い位置にある大ドームの上あたりから見るとこんな感じになると思います。

例によって初日カバー内の説明書きを転記しますが、簡単に書かれているだけですので形式などを若干書き添えます。

36インチ(91cm)光電赤道儀/型式:カセグレン式反射望遠鏡/架台:フォーク式/合成焦点距離:12m、F/13

焦点はカセグレン焦点のみで光電観測専用の単機能望遠鏡です。大口径望遠鏡の国産第一号で光電観測専用でありながら肝心の光電子増倍管は輸入に頼らざるを得なかったことは当時としては仕方なかったのでしょうね。この望遠鏡は、2003年10月に運用を停止し、現在、超広視野赤外線カメラへの改造が行われているそうです。(もう終ったのかな?)

以下、説明書を書き写します。

岡山天体観測所開所記念
東洋最大を誇る望遠鏡を有する東京天文台岡山天体物理観測所開所を記念して次のような記念切手が発行された。
発行日 昭和三十五年十月十九日
種類 十円 一種
意匠 観測所附近の風景
刷色 紫
版式 凹版一度刷
印面寸法 縦二二.五ミリ 横三三ミリ
シート構成 縦四枚 横五枚 二十面版
原画作者 木村 勝
発行枚数 八00万枚

発行は郵政弘済会です。
そして次にご紹介するのは、この小ドーム内の望遠鏡を描いた初日カバーです。煩雑になりますが、同じように書き写します。
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東京天文台岡山天体物理観測所開所記念郵便切手
山陽本線鴨方駅から北へ約10キロ登った海抜370メートルの竹林寺山頂上に東洋最大の74インチ反射望遠鏡を有する東京天文台岡山天体物理観測所が出来上がったので、その開所を記念して、10円の郵便切手を発行し、全国各郵便局で売りさばく。
発行日:昭和35年10月19日 種類:10円郵便切手 意匠:観測所付近の風景 刷色:紫 用紙:白紙、無透 版式:凹版 印面寸法:縦22.5ミリ、横33ミリ
シート構成:縦4枚、横5枚の20面 図案者:木村勝氏 原版彫刻者:笠野常雄氏 発行枚数:800万枚 カバー図案者:木村勝氏 (Ⅰ)東京天文台岡山天体物理観測所 (Ⅱ)反射望遠鏡 カバー版画家:中村浪静堂

発行元は浪静堂ですが、文中「東洋最大の74インチ反射望遠鏡」と書きながら実際の図柄は「36インチ(91cm)光電反射望遠鏡」なのは何ででしょう。
そう言えば(その1)の初日カバーの説明書きも何か変ですね。91cm望遠鏡と188cm望遠鏡がゴッチャになってるような・・・。

いるか書房本館の「月刊 たくさんのふしぎ」(福音館書店)、追加しました。
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少し濃い目のブルーに白いドームが映えて清々しいデザインです。開所式が秋のさ中とあって秋空のイメージを取り込んだ意匠が秀逸といえるのではないでしょうか。この初日カバーの図案作成者は郵政省の技芸官(切手デザイナー)の久野実氏(1918~1994年)です。
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久野氏は昭和16年に東京高等工芸学校図案科(現千葉大工学部工業意匠学科)を卒業後、昭和21年9月に当時の逓信省に入省、爾来昭和53年に退職されるまでの32年間に数多くの切手原画を描き続けました。(この切手のデザイナーは別のかたです。)

オリンピック東京大会や国民体育大会などたくさんの記念切手を手がけていますが、「テントウムシ」や「テッポウユリ」などの普通切手も多く手がけましたので、原画者の名前は知らなくても久野氏のデザインによる切手を一度や二度はきっと見たことがあるハズです。

初日カバーの中には説明書きが入っていますが、それぞれ文章が違いますので(その1)の時と同じようにそのまま転記します。

山陽線鴨方駅から北へ約八キロの竹林寺山(岡山県浅口郡鴨方町、小田郡矢掛町)に建設中の東京天文台岡山天体物理観測所は十月十九日開所する。
この観測所の反射望遠鏡は一.八八メートルで東洋一である。このドームは標高三七〇メートル山頂に工費九千万円で建てられたもので、昨秋完成した九一センチ光電赤道義ドームと共に外観は白銀に輝いている。

種類 十円切手 一種
発行日 昭和三十五年十月十九日
意匠 観測所付近の風景
刷色 紫
版式 彫刻凹版
印面の寸法 縦二二・五ミリ、横三三ミリ
シートの構成 縦四枚、横五枚の二十面版
原画作者 木村勝氏
原版彫刻者 笠野常雄
発行数 八百万枚
カッシェ A・・・観測所付近の風景 B・・・観測所の大ドーム

カッシェまたはカシェは絵の部分をいいます。なお、この初日カバーの発行元はJAPAN STAMP BUREAU(JSB)です。
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