カテゴリ:プラネタリウム( 22 )

2010年7月29日の拙ブログにプラネタリウム遊園地の絵葉書を載せていますので、本日は(その2)としました。

絵葉書の通信面の下端に
『プラネタリウム(岐阜) 展望もよく遊園地もあり遊歩道も完備されて絶好の行楽地である』

と書かれていますが、ちょっと捕捉すると、中央にドームを持つプラネタリウムの建て物、遊園地敷地の右端に「飛行塔」、プラネタリウム館と飛行塔のあいだの石垣の縁上に「こども列車」、プラネタリウム館のすぐ左に「観覧車」を見ることができます。
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この観覧車は、2010年7月29日掲載の絵葉書(その1)には写っていないので、プラネタリウム遊園地開園直後に発行されたと思われる「その1」よりは幾分新しい絵葉書のようです。

岐阜市の水道山にプラネタリウムが開設されたのは、昭和33年(1958年)4月25日のことで、恐らくこの年に発行されたと思われるプラネタリウム案内リーフレットの【星の劇場】の遊園地イラストには観覧車らしきものは描かれていません。プラネタリウム遊園地開設当初は、観覧車は設置されていなかったということでしょうね。

また、昭和34年の【星の劇場No.5】でもロマンスリフトの写真は掲載されているものの観覧車についての言及はありません。ロマンスリフトの開業はプラネタリウム開館の翌年昭和34年ですので、この時点で観覧車が設置されていれば当然観覧車についても案内されていたと思います。

ロマンスリフトや飛行塔やこども列車などとともに観覧車はプラネタリウム遊園地の呼び物のひとつだったことでしょう。子どもたちは、そして大人たちもプラネタリウムの星々に感動の声をあげ、観覧車や飛行塔に歓声をあげ、思い出深い一日を過ごしたことと思います。

ところで、「ロマンスリフト」ですが、乗降場は「飛行塔」の裏側あたりにあった、ということで良いでしょうか。
それとも観覧車の前の階段左側?
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プラネタリウム館の竣工は昭和46年7月31日、開館日はこの年10月1日、設置機種はミノルタMS-10-Mです。
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パンフレットの刊行年は不明ですが、プラネタリウム館1階入り口付近の「展示室」は「展示品何も無し」の状態の写真を使っていますので、少なくとも撮影は開館前であったと想像し、刊行も恐らく開館日の直前または直後だったろうと推測します。

プラネタリウム館の規模は次のとおり。
構造 鉄骨造り/建築面積 174.96㎡/ドーム面積 65.65㎡/展示室 45.44㎡/その他 52.43㎡で、その他とは、トイレ・倉庫・準備室・機械室等です。

ドーム直径は9m、座席数は固定93席・移動7席の計100席です。
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ミノルタMS-10は光学式プラネタリウム投映機で6.25等まで約6200個の星と9個の星雲を映し出すことができます。

MSシリーズの姉妹機には、ドームの大きさに合わせてMO- 6/MS- 8/MS- 10/MS- 15/MS- 18/MS- 20/ML-25などがあり、このうちMS-10は1966年から1994年まで57台生産され、海外へも輸出されました。

下の画像のプラネタリウム本体の下に設置されているのは附属投映機のうち「汎用投映機」で惑星の拡大図や月の表面などの解説用絵画とスライド写真の投映に使用されます。

附属投映機はこのほかに「日食・月食投映機」「人工衛星投映機」「星座絵投映機」「薄明、朝夕焼け投映機」などがあります。もちろん「子午線・黄赤道・銀河」などの投映機もあります。投映機写真の左側ページは固定席使用状況で、席を後方に傾ける際、スプリングがきしむ音が出ないように「特殊なゴム」を使用している、とのこと。
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コンソールボックス/ダイヤル、レバーを操作して朝夕焼・薄明・恒星・惑星・銀河を投映したり、日周・年周・歳差運動等を「職人技」で再現します。
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「天界」1966年(昭和41年)8月号掲載のMS- 10の広告/同機種の最初期の広告で、汎用投映機・太陽系投映機・オーロラ投映機など各種附属投映機のほかに、世界初の「星のまばたき装置」搭載をうたっています。
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銚子市青少年文化会館 プラネタリウム概要
1ページ 設置目的/規模諸元/機種名・附属投映機名/購入費/竣工日/ドーム内定員数
2ページ 銚子市青少年文化会館のプラネタリウムについて
3ページ ドームと内部施設
4ページ プラネタリウム本体説明
5ページ 附属投映機説明
6ページ コンソールボックス説明
裏表紙 住所と地図

18×25.5cm/6ページ

※ 銚子市青少年文化会館の同機種は平成25年6月1日現在、現役稼働中です。
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両面印刷の三つ折パンフレットで広げたときの大きさは、21cm×44.5cmです。

おもて面は富士山・火星図・観光天文センターのイラストと「今月の星空(春の星座)」、それに画像ではカットしましたが「御観らん案内」です。
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裏面は「太陽のまわりの金星の動き」「日本平のプラネタリウム」「日本平観光旅行案内」「日本平プラネタリウム今年前半の予定」となっています。

「御観らん案内」の一部を転記しますと、「1回の収容人員 座席150名/開演時間 第1回午前10時より 最終回午後5時より/夏期(7月1日より9月15日まで)最終回午後8時より/御観らん料金一般大人50円 学生40円 小人30円 団体50名様以上1割引 100名様以上2割引」とのこと。
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「日本平プラネタリウム今年前半の予定」は、3月11日~4月10日春の星座・太陽の動き(黄道十二星座)/4月11日~5月10日春の星座・南極の星空(越冬隊の働らき)/5月11日~6月30日初夏の星座・二千年前の登呂の星空(際差運動の話)、です。

因みにこのパンフレットには発行年が書かれていませんが、「日本平観光旅行案内」の文面に利用交通手段のひとつとして『新東海号』(1959年(昭和34年)9月22日から1961年(昭和36年)10月1日まで東京駅-名古屋駅間で運行された全席指定の準急列車)を挙げていますので、発行は恐らく1961年の春頃だろう、と推測します。(プラネタリウム運営開始の年と第1号発行年がわかりませんのであくまでも推測です/プラネタリウム機材の納入は1959年)

日本平観光天文センター天文台は、富士観光会社が観光用に作った天文台で、観光用以外ではのちに小惑星「みずほ」を発見した浦田武氏らが主に彗星観測に使用していました。

建物の1階は土産物売り場と無料休憩室、二階は500人席の大食堂、プラネタリウムは三階で五藤光学M-1型の2号機が収められています。ドーム直径10m、130~150人収容。
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天文台は1961年完成で6mドームに五藤光学20cm屈折の1号機を設置。屋上展望台には世界最大と謳われた五藤光学製・地上用観光望遠鏡(口径30cm・長さ5.5m)が置かれていましたので、実際にご覧になった方は今でもその巨大さを覚えているのではないでしょうか。

このパンフレットにも『展望台には世界最大の観光望遠鏡をはじめ各種の望遠鏡があります。』と記されていますが、残念なことにその大きさなどは書かれていませんので、巨大望遠鏡はあるいは同じく五藤光学の口径20cm・全長6mのマンモス型地上望遠鏡だったかもわかりません。(画像は、日本の天文台/誠文堂新光社・月刊天文ガイド別冊 より)

「日本の天文台」の55Pより日本平観光天文センターの写真を一部拡大します。天文台のすぐ横にテレビ塔が聳え、画面奥には清水港と遠くに富士山が見えています。
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この天文台が置かれた日本平山頂の南斜面には31cmF/5.6反射鏡を収めた浦田武氏の「ヤキイモ観測所」も設置されていて、1978年3月12日に同望遠鏡でP/Gehrels3彗星を撮影したプレート上で小惑星「(2090)Mizuhoみずほ」が発見されました。「みずほ(瑞穂)」は日本のアマチュア天文家が発見した最初の小惑星で発見時の光度は15等級でした。

日本平観光天文センターは駿河路観光の名所に位置し、大勢の観光客や修学旅行生で賑わっていましたが、1980年頃に閉鎖されたとのこと。詳細は不明です。
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暑中お見舞い申し上げます。
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drawing by Tae Sawada
イラストレーター沢田妙さんのHPは→ こちら

プラネタリウムの絵葉書は、広島市こども文化科学館・ミュージアムショップにて購入。お土産・記念品に最適。
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ハガキを入れた小袋も沢田さんのデザインでした。素敵なイラストを見るたびに旅の思い出が甦ります。
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画像は内側の「電気館陳列品案内」で、左側端より、原理館(5階)、照明館(4階)、電力電熱館(3階)、弱電無電館(2階)のそれぞれの展示品の名称を列記しています。
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陳列品目の選定は昭和8年5月に発足した「電気科学館陳列実務委員会」があたったわけですが、どのような観点から決めたかというと、

『委員会は電気科学館が敷地面積が少なく充分なスペースがとれないことと、躍進都市大阪の工業産業界を直接指導しなければならない使命を重視して、過去を語る歴史的陳列を捨てて、現在から将来へ向かっての示唆を与え、あるいは直接市民が利用できるような陳列品の選択、その配列に苦心努力を払ったのである。』(大阪市立電気科学館50年のあゆみ/1987年発行)、とのこと。

陳列点数は各階とも時により多少増減しているようですが、この「案内」の場合、5階原理館61点、4階照明館60点、3階電力電熱館57点、2階弱電無電館37点、となっています。
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陳列品は、機械・器具などの現品、模型、説明図、写真、映画等で構成されていますが、なかには名称の記載だけではよくわからないものもあります。

「一寸法師」「回転玉子」「幻の花」「図案構成器」「魔法の部屋」等々、勝手な想像ですが、「一寸法師」は電気仕掛けの人形、「回転玉子」は電磁石応用、「図案構成器」は名称通り、図案を構成する機械なのでしょうが具体的イメージがわいてきません。原理館展示品の多くは、仕組み(原理)を説明するための装置です。
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各階展示品を数点ずつ転記します。

原理館/発電実験装置、電力と電力量説明装置、渦状電流の説明装置、超音波発生装置、真空管の作用を示す装置、等々

照明館/スペクトルの観察装置、高速度運動体撮影装置、自動交通整理機、モデルルームの照明変化説明、医療用レントゲン線装置、等々で「望遠鏡の構造説明」もここにあります。

電力電熱館/手動発電機、変圧器各種、ガソリン自動車、電気自動車模型、電気浄水機、エスカレーター模型、スポット電気溶接機、等々

弱電無電館/簡易伝送写真装置、心臓電気記録装置、テレビジョン電話、光線電話、射撃練習装置、盗難予防装置、火災報知機、等々、「魔法の部屋」はここにあります。

思うに「魔法の部屋」は、アトラクション的陳列品だったのでしょう、・・・か?
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画像は三つ折になった「大阪市立電気科学館案内」を開いた状態です。大きさは35.5×19.5センチ、畳むと横辺12センチになります。

折り畳んだ場合、右側の建物写真がおもて面となり、中央の「大阪市営路面電車図」が裏面となります。左端の各階案内図は内側に折り込むようになってます。
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各階は地下1階が食堂と機械室、1階が市電の店・電気相談所・試験場、2階から5階までが「電気館」となっていて、それぞれ「2階弱電無電館・来賓室・事務室」、「3階電力電熱館」、「4階照明館」、「5階原理館・図書室・研究室」という構成です。

6階から8階までが「天象館」で、投影機を設置したドームと売店・休憩室、それに8階に事務室を有しています。
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電気科学館の建設着工は昭和9年6月ですが、それに先立って昭和7年7月に電気科学館建設委員会が組織され、昭和8年11月に建築認可申請がなされています。

このときの計画では、地階は食堂、1階市電の店、2階貸室、3階美容室・調理室等衛生施設、4階大衆浴場、5階大食堂、6階スケートリンク(夏季はビアホール)、7階スケートリンク観覧席、8階(屋上)遊歩道・眺望場、となっていて、科学館というよりは娯楽を中心とした施設計画だったようです。

これが昭和10年2月に計画変更されて、2階から5階までが電気関係の器械展示、6階から8階までは変わらずにそのままで、この時点ではまだプラネタリウム設置は決まっていませんでした。昭和10年2月の各階計画は次のとおり。

1階市電の店、2階弱電無電館、3階電力電熱館、4階照明館、5階電気原理館、6階スケートリンク(夏季はビアホール)、7階スケートリンク観覧席、8階(屋上)遊歩道・眺望場

プラネタリウム導入の議はすでに昭和9年12月にあがっていましたが、このときは費用などさまざまな問題で決定に至らず、翌昭和10年5月、市議会内にプラネタリウム購入特別調査委員会が置かれ、6月に同委員会を通過後、最終的に6月29日の市議会本会議で決定、という経緯が残されています。

この案内図には発行年が書かれていませんので詳しくはわかりませんが、「路面電車図」をよくみると御堂筋線が難波から天王寺まで延伸されたときに設置された動物駅(動物園前駅)や大国町駅などが記載されていますので、少なくとも昭和13年4月以降に発行されたものであることがわかります。(電気科学館 開館は昭和12年3月)

つづきます。
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本日、Sky&Telescopeを取り上げたのは別段わけがあってのことではありません。
たまたま眼にしたところに「Hiroshima」の文字があって、ページをめくると広島市のプラネタリウムが載っていたので何だか嬉しくなって・・、という次第です。
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表紙は「広島市こども文化科学館」のプラネタリウムの内部、中央に写っている投影機は光学式のプラネタリウム「ミノルタMS-20 AT」で、国内3台設置されたうちのひとつ。手前はコントロールボックスです。

広島市こども文化科学館の開館は昭和55年(1980年)5月1日で最初のMS-20設置館です。そして、翌年(1981年)3月に神戸ポートピア博覧会が開催された折り、パビリオン(神戸プラネタリウムシアター)に設置されたMS-20が国内2台目。

この博覧会のプラネタリウムは神戸市初のプラネタリウムで、博覧会終了後は神戸市に寄贈されて「神戸市立プラネタリウム館」となり、その後「神戸市立青少年科学館プラネタリウム」と改称され、平成15年(2003年)12月27日まで現役活躍、平成16年(2004年)4月に「五藤GSS-KOBE」と置換されています。
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広島市こども文化科学館/ミノルタMS-20AT/ドーム直径20m/定員345名/最微光度6.9等、約14000個/補助投影器100個以上/手動操作とプログラムカードによる全自動に切り替え可能。

MS-20国内3台目は、昭和61年(1986年)6月にオープンした富山県黒部市吉田科学館です。プラネタリウムドームの直径は20メートルで、広島市こども文化科学館や神戸市立青少年科学館と同じですが、座席数はかなり少なく、広島の345席に対してこちらは240席。理由はわかりません。イスや通路がゆったりしてるのかな?
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At right a terrestrial star, actress Mariko Shiragai holdos an MS-20 star plate Photo by the author

下の写真のマイクを握った人物は、米国アリゾナ大学月惑星研究所のトム・ゲーレルス博士。

宇宙探査機パイオニア10号や11号による観測、パロマー天文台での小惑星観測や新彗星発見などでよく知られた方と思いますが、昭和55年に来日された際、「広島市こども文化科学館」で講演を行ったときのもの。

(同氏来日時の様子は「天界1980年9月号」に広島市こども文化科学館の佐藤健氏の文章で詳しく載っています。Sky&Telescopeの記事も佐藤健氏の執筆)

アリゾナ大学付属のフランドロウ・プラネタリウムも広島市こども文化科学館と同じ投影機「ミノルタMS-20 AT」だそうです。(現在も同機種かは不明です)
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昨年の7月29日と今年の1月14日に「岐阜プラネタリウム遊園地」について少しだけ触れましたが、今回新たにリーフリットNo.5を入手しましたので紹介させて頂きます。しかも、かなり昔に入手していた資料を整理していましたら偶然にも「岐阜プラネタリウム遊園地」に関する記事が見つかりましたので併せて掲載します。

記事が載っていたのは昨日(3月2日)ご紹介の「星と共に」の1959年10月号で、執筆は永田宣男氏。タイトルは「岐阜プラネタリウム近況」です。

「我が岐阜プラネタリウムは、海抜百二十五米余りの山、すなはち、岐阜市水道山山頂に三十三年四月に完成し、二十五日に開館した。機械は東ドイツ、カール、ツアイスの中型投影機である。恒星球には三十一個のレンズを有し、北は北極から南は赤道直下迄、星空を現す事が出来る。其の他に歳差運動も出来るようになっている。(後略)」

ドームの直径は8メートルで、座席数は72、補助椅子も使えば120名ほど入ることができるそうです。そして、開館当初は機械のみで附属品などは何もなかったが、プラネタリウム主任の野田博氏によって「流星投影機」「人工衛星投影機」「星座絵投影機」「オーロラ投影機」などが製作され、好評を博した、と書かれています。さらに、演出内容は月一回入れ替え、スライドを使って数々の神話を入れながら劇的効果を上げた、とのこと。

ちなみに、昭和33年度の内容は「今宵の岐阜の夜空、七夕物語、銀河の驚異とオーロラの神秘、一万年前の岐阜の夜空とエチオペア王家の星と近づく火星、(以下略)等、全部で11種類。34年度は「寿老人星とアルゴ船物語、オルフエスの琴と北極の星、岐阜の夜空と夢の月世界探検、(以下略)等、全部で6種類を挙げています。
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リーフレットの大きさ:19.5cm×26.5cm(二つ折りを広げたサイズ)

ロマンスリフトの写真、初めて見ましたがカラダむきだしの状態、ちょっと恐いですねえ。乗った方、恐くなかったですか?

リフトってこんなものでしょうが・・・。
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豊橋向山天文台々長金子功氏の設計によるピンホール式プラネタリウムです。
南天用・北天用に分かれていて、それぞれの半球の直径は80センチ。両半球の中間に赤道投映器と黄道投映器を挟んで本体とし、各種スイッチ・テープレコーダー・アンプ・レコードプレイヤーなどを納めた操作台に取り付けられるようになっています。大きさは次のとおり。

全高(床上からの高さ)2.70メートル
全幅(操作台の幅)1.60メートル
奥行(操作台の奥行)0.75メートル

機能は、月・惑星・太陽投影のほか、恒星5等星まで約5000個を投影、主な星雲星団の投影、赤道・黄道・子午線の座標を色別に投影、緯度・経度表示・銀河投影などです。
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この写真工業6月号の記事では両天用を「ダイヤ型」、画像の左側の小さなプラネタリウムを「ベビー型」と呼んでいます。因みに、この「ベビー型」と思われる写真が「天文と気象」の昭和55年5月号の(PLANETARIUM図鑑29/山田卓)に載っています。それによると、ベビー型試作第1号の完成は昭和25年はじめ頃で、4メートルドームを想定して設計。ドームの骨組みは竹製で紙を張ってドームとしていた、とのこと。各地で開かれる学校祭に出品して公開実演していたそうです。

また、同じく「天文と気象」の昭和55年6月号に「金子式8メートルドーム用大型プラネタリウムⅡ型(昭和35年)」(PLANETARIUM図鑑30)の写真が載っています。見た目はこの「コロネット・プラネタリウム試作品」によく似ていますので、多分、この試作品の発展型というか実用化されたものだと思うんですが、よくわかりません。

同記事によりますと、昭和28年に名古屋で博覧会が開かれた折、8メートル用プラネタリウムを出展。好評を博したが不具合箇所もあったので、その後改良を加えて熊本の大洋デパートで一般公開。これも評判を呼んでそののち、北九州の小倉玉屋デパート、福岡玉屋デパート、横浜高島屋デパート、新潟大和デパートなど合計7ヶ所に設置されたそうです。昭和30年代後半のことでしょうね。

(この文章は、「天文と気象」の記事と「写真工業」の記事を参考に書いているのですが、プラネタリウムの型名や製作年代などがはっきり書かれていませんので私もよくわかりません。乞う、ご教示。)

なお、「日本のプラネタリウム一覧/1977年」によると昭和33年5月開館の和歌山天文館(髙城武夫館長)のプラネタリウム機材は「金子式ダイヤ型改造」となってますね。また、郡山市児童文化会館の機材は「金子式」と書かれているだけで型式名は不明なのですが、開館が昭和46年ですから大型プラネタリウムⅡ型の次世代型プラネタリウムだったのでしょうね。・・・と思うがよくわからん!

写真工業 昭和34年6月号
昭和34年6月1日発行
第14巻第6号通巻86号
発行所:光画荘
B5判/585~690ページ
定価:200円
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11月号の特集は「1958フォトキナ速報」で、ライカ・ツアイス・ロライフレックス・コダック・アグファの新製品が豊富な写真とともに紹介されています。一部を挙げると、ライカM2、コンタレックス、イコネッテ、ロライフレックス3.5F、レナチⅡS、アムビフレックスなどです。

そのほかの主な記事は、キャノンⅥ型、ミノルタSR-2の各部構造と機能の解説、アイレス35Vのボディと交換レンズの解説、ペトリ2.8の各部機構と実際に撮影しての評価解説、セイコーシャSLVシャッターの機構、等々々です。

また、「天体望遠鏡とプラネタリウム」の小特集も組まれていて、東京光学機械と日本光学工業の望遠鏡、千代田光学精工のノブオカ式プラネタリウムⅡ型が紹介されています。特にノブオカ式Ⅱ型の解説は、眼にする資料が少ない中でかなり詳細に説明されている記事と思います。
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ご覧のようにノブオカ式プラネタリウムⅡ型の外観はツアイスプラネタリウムⅡ型と大体同じようで、機能もツアイスと比べても見劣りはしないようです。基本となる恒星投影・太陽系投影のほか、赤道投影・子午線投影・緯度表示・絵画投影・日月食投影・人工衛星投影・恒星固有運動投影・オーロラ投影などの機能を持っています。

左ページ上の写真は、太陽系投影機。その下は日食月食投影機です。画像には写っていませんが、太陽系投影機の左側には人工衛星投影機のアメリカ型とソ連型の2種類が掲載されています。
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上の画像の左側の望遠鏡は日本光学工業製「掩蔽観測用30cm反射望遠鏡」、合成焦点距離5mのカセグレン式で光電装置付き。その右は、新潟大学理学部の「夜光分光器」で、焦点距離7cmのシュミットカメラが付いています。コリメーターレンズは口径10cmで焦点距離150cmと40cmの交換式。架台は経緯台式です。夜光分光器の右は、東京天文台乗鞍コロナ観測所の12cmコロナ・グラフです。
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1958年7月5日に開台された札幌市天文台の全景。下は収められている東京光学製20cm屈折望遠鏡。焦点距離2400mm、2枚アクロマート構成、F12。このページの左側には、開台当日の5日に写された月面と翌6日に写された太陽面、それと前ページに1958年4月19日の部分日食時の試験撮影の写真が載っていま
す。

なお、下の写真は「ノブオカ式プラネタリウムⅠ型」と開発者の信岡正典氏です。
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街のプラネタリウム製作者 大阪のオートバイ製造店主の信岡正典さんは「街の発明家」として有名で、写真のような高さ2m、重さ400kgのプラネタリウムを5年がかりでつくりました。32個のレンズは二眼レフカメラのを使いました。(画報科学時代第1巻第1号 宇宙の驚異/昭和33年/国際文化情報社発行より)

「ノブオカ式プラネタリウムⅠ型」は、京都大学の高木公三郎、電気科学館の佐伯恒夫両氏の協力を得て昭和33年に信岡正典氏が開発したもので、同年秋に甲子園阪神パークで科学博覧会が開催された際、千代田光学精工(現:コニカミノルタ)によって公開されました。「ノブオカ式プラネタリウムⅠ型」は、「ツアイスⅠ型」とよく似た形状をしています。博覧会終了後は、福岡プラネタリウムに移されて一般公開されたそうです。

写真工業 昭和33年11月号
昭和33年11月1日発行
第13巻第5号通巻79号
発行所:光画荘
B5判/473~578ページ
定価:200円
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