宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にカラスウリが七回登場します。

その最初は放課後の校庭でカンパネルラたちが今夜の星祭りで川へ流す烏瓜を取りに行く相談をしている場面です。


『ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカンパネルラをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。』(講談社文庫/天沢退二郎編/「銀河鉄道の夜」より)

二回目はジョバンニとそのお母さんとの会話のなかで現れます。カンパネルラの家にいるザウエルという犬が自分になついていて、ずうっと町の角までついてくる。今夜の星祭りでもきっとザウエルはカンパネルラたちについて行くだろう、と話しているなかで烏瓜が登場します。


次は、配達されて来なかった牛乳を受け取りに、町はずれの牛乳屋さんに行く途中、烏瓜を流しに行くザネリとすれ違ったとき。そしてそのあと、同級生たち六七人に出会ったときにもカラスウリが出てきます。

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2017年10月3日 ↑ 撮影

ザネリはいつも冷やかしの言葉をジョバンニに投げつけていますが、今度もジョバンニをからかい、しかもみんなもその言葉のあとに続きます。ジョバンニは逃げるようにその場を離れ、牧場のうしろのゆるい丘の頂上にある「天気輪の柱」に向います。


その途中の小径で烏瓜のあかりを連想するす小さな虫を見つける場面でも登場します。

『草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのようだとも思いました。』


カラスウリは晩夏から初秋に実をつけ、秋のさかりに朱く熟します。しかしいっせいに熟すのではなく未熟も混在しています。したがって祭りで川に流すカラスウリは未熟のもの熟したものどちらでも可能ですが、文中に「青いひかり」とありますので、やはり未熟の実を使ったものと想像します。

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2017年11月24日 ↑ 撮影

カラスウリはジョバンニとカンパネルラが銀河鉄道の旅に出発するきっかけとなる重要なアイテムですが、その燈明となる形状の詳しい記述はありません。いずれの場面でもさらりとカラスウリの語が現れるのみです。

燈明はそのまま川にながすのか、あるいは小さな舟や筏に乗せるのか、さらにはどのような仕組みで発光しているのか。

ただひとつ分かることは、光はカラスウリの内部そのものから発していること、カラスウリをくり抜いて中にロウソクなどを置いているわけではないことです。

そう考えると筏などに乗せずにそのまま川に流すことのほうが相応しいように思われます。また、宮沢賢治はなぜカラスウリを燈明として設定したのか、と考えると第一にその愛らしい形にあり次に野山でごく普通に見られる身近な存在で親しみを覚えることができる、という点にあったのではないかと推測します。

「素朴」というところを重視し、さらに熟した朱色からの連想で燈明を意識したのではないでしょうか。


「天気輪の柱」のゆるい丘の頂上から銀河鉄道の旅に出発したジョバンニはやがて同じ丘のうえで目を覚まし、カンパネルラとの旅は夢であったことを悟ります。

そして川に降りてゆくジョバンニは、そこで起きた哀しい出来事を知ることになります。このときにもカラスウリが2回登場します。


『その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。向う岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。』

哀しくやるせない結末ですが、ジョバンニはカンパネルラとの旅で「ほんとうの幸福」を求める決心をする。そして新たな旅に出発する(とは書いていないが)清澄感あふれる心の旅路の物語です。


・・・ところで、カラスウリとはまったく関係ないのですが、「銀河鉄道の夜の舞台となったのは山梨県北巨摩郡駒井村(現・韮崎市)」という記事が平成10年3月28日の毎日新聞夕刊に掲載されていますので、この際併せて紹介させて頂きます。

その根拠として宮沢賢治が大正4年(1915年)に入学した盛岡高等農林学校農学科第二部の同級生で同校寄宿舎でも同室だった保阪嘉内が残したハレー彗星のスケッチを挙げています。ハレー彗星の出現は明治43年(1910年)で賢治と嘉内はともに14歳でした。

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スケッチの中央に「銀漢ヲ行ク彗星ハ 夜行列車ノ様ニニテ 遙カ虚空ニ消エニケリ」とあり、左端に「ハーリー彗星之図 五・廿夕八刻」とあります。

明治43年5月20日のハレー彗星のスケッチで、遠くの山々は右から駒岳、地蔵、観音、薬師と書かれています。

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賢治がハレー彗星を見たかどうかはわかりませんが、二人の共通の関心事から推察して嘉内は自分が見たハレー彗星を賢治に話したことがあったと見てよいでしょう。

そのときに「夜行列車のようだった」とのフレーズもあるいは出たかもわかりません。この言葉に刺激されて「銀河鉄道の夜」の執筆に入ったのではないか、という趣旨の記事です。


「銀河鉄道の夜」の舞台は岩手県内だけでも各地に候補があるようですので、山梨県韮崎市でもよいのですが、それにしては「銀河鉄道の夜」に出てくる彗星の単語は一カ所のみ、それも言い間違いのかたちで出てくるのはちょっと不思議です。

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烏瓜 前川千帆・画 ↑ 「月明」第2巻第9号(昭和14年)


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# by iruka-boshi | 2017-12-15 14:09 | Comments(0)

12月5日未明、今季一番の寒気が流れ込んだ当地では、行橋平野と北九州市との境をなすカルスト台地平尾台の最高峰「貫山(712m)」の頂部に今季最初となる積雪を確認。

積雪は日の出の2~3時間後には消滅する程度のごく薄いもので、その初雪をもたらした雪雲も日の出の直前に東空へ去って行きました。

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12月5日6時53分 東の空を撮影 ↑

午前中は一時的に「霰」が降ったものの時折り青空も見える穏やかなものでしたが、昼過ぎより再び寒気が強まり、雪雲が接近。

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12時11分撮影 ↑ 平尾台方面(西空)から東(画面右側)へ移動する雪雲、画面の右端ではすでに降雪となっています。・・・が、積雪となるほどではありませんでした。


なお、平尾台の「初積雪」と平野部(より正確には我が家周辺)の「初降雪」は次の通りです。

1987年12月1日 平尾台初雪
1988年11月27日 平尾台初雪
1989年12月30日 平尾台初雪
1990年12月22日 平地に初雪
1991年12月12日 平地に初雪
1992年12月23日 平地に初雪
1993年 記録なし
1994年 記録なし
1995年12月6日  平尾台初雪/平地に初雪
1996年 記録なし
1997年12月10日 平地に初雪
1998年 記録なし
1999年12月20日 平地に初雪
2000年 記録なし
2001年 記録なし
2002年12月10日 平地に初雪
2003年12月19日 平地に初雪
2004年12月29日 平尾台初雪
2005年12月8日  平尾台初雪/12日平地に初雪
2007年12月31日 平尾台初雪
2009年12月18日 平尾台初雪
2010年12月26日 平尾台初雪/平地に初雪
2011年12月10日 平尾台初雪/16日平地に初雪
2012年12月6日  平尾台頂部に初雪/9日平地に初雪
2013年12月18日 平尾台初雪
2014年12月17日 平地に初雪
2015年12月17日 平尾台初雪
2016年 記録なし
2017年12月5日 平尾台頂部に初雪/19時頃、平地に降雪

初降雪日はバラつきがあって一定していないようですが、6日~18日にわずかながら集中しているように思われます。

まあ、私の記録はあまり信用しないほうが賢明ですが、福岡管区気象台の発表では今季の初雪は平年より10日早い(福岡市)とのこと。

・・・ということは、上の記録は誤差の範囲内に収まっている、と言えるのではないかな?


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# by iruka-boshi | 2017-12-06 07:35 | Comments(0)

今年の築城は、雨にならずに良かったね、と言う感じで終日曇り空でした。

加えて飛行展示の撮影は基地外の逆光となる撮影地だったので、公開するほどの写真は撮れず、ということを言い訳にして地上展示機をUPします。

ちなみに飛行展示は以下のとおりです。

8時15分~ 築城のF-2、6機によるオープニングフライト
8時35分~ 第12飛行教育団(防府北基地)T-7、4機による航過飛行
8時50分~ 第13飛行教育団(芦屋基地)T-4、4機による航過飛行
9時10分~ 築城のF-2による模擬空対地射爆撃
9時35分~ 目達原駐屯地のAH-64Dによる飛行展示
10時~  新田原基地のF-15、1機による機動飛行
10時15分~ JA34WP(ウィスキーパパ)による曲技飛行
11時25分~ 築城のF-2、2機によるデモスクランブル
130時~  築城のF-2、2機による機動飛行
13時45分~ ブルーインパルス、T-4、6機


地上展示は

●航空自衛隊
T-4 96-5777 (芦屋基地) ↓

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T-7 66-5943 (防府北基地) ↓
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T-400 51-5057 (美保基地 第41教育飛行隊)
U-4 Gulfstream IV  85-3253 (入間基地 航空総隊司令部飛行隊)
KC-767J 87-3601 767-200ERの空中給油型 (小牧基地 第1輸送航空隊 第404飛行隊) ↓
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C-130H 75-1077    (小牧基地 第1輸送航空隊 第401飛行隊)
CH-47JA チヌーク 37-4489   (航空救難団)
F-15J  82-8901   (百里基地 第7航空団 第305飛行隊)
F-2A   (築城 第6飛行隊) 53-8535 73-8543 93-8547 13-8508
F-2A   (築城 第8飛行隊) 03-8509
T-4 ブルーインパルス 1番機 66-5745
           2番機 46-5731
           3番機 26-5805
           4番機 06-5790
           5番機 46-5730
            6番機 46-5729
            予備機 26-5692
(格納庫内)
F-2A   53-8533 (第6飛行隊) / 53-8130(第8飛行隊) コクピット開放
F-2B   23-8113 (第8飛行隊) 兵装展示
T-4  46-5721 (西部航空方面隊司令部支援飛行隊)  脚作動展示
T-4  36-5696 (第8飛行隊) コクピット開放/石川島播磨重工業製F3-IHI-30エンジン展示
F-2A 13-8521 (第8飛行隊)  格納庫の一角をブルーシートで覆って非公開の機体1機

●陸上自衛隊
OH-6D IV  31298 (目達原駐屯地) ↓

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AH-64D JG-74502 (目達原駐屯地) 飛行展示/地上展示 ↓ アパッチ・ロングボウ
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UH-1J  WH 41912 (目達原駐屯地) 西部方面ヘリコプター隊 ↓ エンジンカウリングの上部に赤外線パルスジャマーを搭載
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●海上自衛隊
P-3C 1-5019

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●民間
エクストラ300L JA14WP ウイスキーパパ競技曲技飛行チーム

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他にペトリオット発射機/レーダー装置や基地防空用地対空誘導弾 発射装置/射撃統制装置、81式短距離地対空誘導弾(短SAM)発射装置/レーダー、VADSなどが展示されていましたが、歩き疲れてそこまでたどり着けませんでした。総歩数17836歩。 これだけの歩数は年に一度、本日だけです。

展示車両は、オーストリア・ローゼンバウアー社製 破壊機救難消防自動車(パンター6×6) 48-8081 築基 8空団-2

小松製作所製 アングルドーザROPSキャノピ 44-3199 築基 8空

日立建機製 油圧ショベル(小型) U-0017-HK  でした。


混雑を避けて早めに基地外へ移動、帰りの車窓からブルーインパルスを撮影 ↓

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                               豊田製航空機用2t牽引車




来年は快晴でありますように。


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# by iruka-boshi | 2017-11-30 03:42 | Comments(0)

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数日間続いた寒気&悪天候もやや緩んだ本日、東の低空に幻日が現れました。

2017年11月25日7時47分撮影  ↑


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右側(南側)を撮影 ↑ 2017年11月25日7時49分

左側(北側)にも薄く現れていましたが、撮影後10分ほどして左右両方ともに消えてしまいました。
北部九州ではいよいよ冬を迎えることになりますが、今冬は何度見ることができるか楽しみです。


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# by iruka-boshi | 2017-11-25 19:11 | Comments(0)
誠文堂新光社の「全天恒星図2000」は、1984年9月25日に第1刷が発行され、地人書館の「標準星図2000」は、1995年6月10日に初版が発行されています。

また、恒星社厚生閣の「全天星図2000年分点」は1989年3月15日の発行となっています。
これら出版大手の2000年分点星図の発行年を思うと、個人的出版物の「21世紀星図(Epoch 2.000)」の発行年が1979年6月であることは驚くべきことではないでしょうか。
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「野外星図2000」(誠文堂新光社)の発行が1982年12月1日であることと比べても、著者の労苦は多大であったであろうと拝察いたします。

ちなみに「21世紀星図(Epoch 2.000)」刊行の一か月前に発刊された中野繁氏の「スター・アトラス 星座手帖」は1950年分点です。

まあ、精度や使用目的や使い勝手の良さなどを論じないで、分点だけを取り上げても仕方がない、と言われればそのとうりなのですが。


篠田星図は全天が20枚の星図に分けられ、7.5等級までの恒星に変光星・重星・星雲星団・超新星痕跡が記されています。
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白鳥座付近の星図、 ↑ 銀河や北アメリカ星雲などの青色と赤い書込み文字の対比が美しく、見ていてあきない。
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オリオン座付近、バーナードループも美しく描かれていますが、図版の枚数が少ないためか各星座が若干小さく、4等級と5等級の区別、6等級と7等級の区別などが付け難い感があるようです。
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星図に「星座・図版対照表」と「簡易星雲星団表」の付表が付いています。
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表の左端はNGC、IC、その他のカタロク番号です。その右側2列は2000年分点による赤経・赤緯で、次は図版(星図)の番号、その次は天体の種類(例えば系外星雲は1、散開星団は2、惑星状星雲は6、という具合)、次は写真等級でその次は天体の視直径を角度で表しています。右端に少しだけ写っている部分はメシエ番号です。
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星図のすべてに著者自筆のサインと押印があります。「21世紀星図」の名称とともに著者の星図制作の思い入れがこちら側にも伝わってくるようです。
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北極星付近 ↑   篠田星図は、実際の星図としての使用に加えて「星図を眺める楽しみ」という要素も含まれているようで、この星図を所持していることによって、美しい星空を我が手に納めているという満足感?あるいは充実感?、を満たしてくれるような気がします。



「21世紀星図(Epoch 2.000)」及び付表
著者: 篠田皎
発行年: 1979年6月

図版: 20枚/最微7.5等級/2000年分点
星図面: 30×23センチ
付表: 40ページ
星図全体サイズ・37×26センチ/ルーズリーフ式
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# by iruka-boshi | 2017-10-27 14:22 | Comments(0)