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『南を見てくれ』 松下紀久雄著/占領下のシンガポール 昭和19年 (その2)

(2017年4月19日の続きです)

『南を見てくれ』の4つの章のうち第2章の「スマトラ」は、「昭南島」と「ボルネオ」の章の倍の100ページを割いて、36のエピソードに53点のイラストが添えられています。

イラストの数は「昭南島」の2倍、「ボルネオ」の3倍あります。1942年の9月に行われたと推定されるスマトラ島の取材旅行が、著者にとって如何に印象深いものだったか窺われます。

イラスト53点のうち、「南洋の中央市場 セントラル・パサル」「日本語進駐」「牛のカバラとタイプの音」「スマトラの子供」「砂糖より高い塩が出来る」の記事に添えられた5点は、「昭南日報」の連載記事「明朗なスマトラ新生譜(1942年10月16日から10月21日まで5回掲載)」に付されたイラストの再録です。

イラストの多くは住居や人物・風俗、市場の様子、旅行中の印象的な出来事、印象深い風景などです。旅行参加者は、「陣中新聞」の佐々木六郎上等兵、「昭南画報社」の菅野カメラマン、「昭南日報」の外勤部長・葉勤生、マライ紙編集次長アブドラカメル、それに松下紀久雄とマライ人の運転手の総勢6人です。

「陣中新聞」というのは、占領地で軍政を敷いた陸軍第25軍司令部新聞班が発行した日本将兵向けの「陣中新聞『建設戦』」のことです。

スマトラ島滞在中、取材旅行は2回行われています。

第1回目は、スマトラ島北部を巡る旅で、スマトラ島東北部の最大都市メダンを拠点に、海岸線沿いに北上し商都「ロークスマウェ」を経て「ビルン」に至り、さらに内陸部の「タケゴン」へと進んでいます。途中、アチェ州の漁村パンテラジヤ、シンパンバレツク温泉、シグリ、コタラジヤなどで休息・食事・取材を行っています。

取材といっても本書の記事内容を見るかぎり、「見学」に近いかたちの気が向くままの旅のようです。ただし、さまざまな危険を伴う旅行だったようで、決して気楽な旅ではなかったことと思います。
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ガヨ族の婦人たち ↑

2回目は、メダン→プラパット→バリゲ→シボロンボロン→シピロック→コタノパン→デイコック→パダン→メダンで、メダンより南側の内陸と西海岸の取材旅行でした。1回目、2回目ともに20日間程度の旅行だったようです。

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「三銭のコーヒーと一圓の定食」の挿絵 ↑ 左側のイラストは「アチェの漁村」。 ヤシの木陰で筆者たちに敬礼する少年が描かれています。

 文章なしでイラストのみのページが結構あります。『南を見てくれ』のサブタイトルが「南方画信」であることがよくわかります。

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「ガヨ族のアパート生活」の挿絵 ↑ このイラストは、「昭南日報」に掲載されたイラストの再録、とのこと。
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「スマトラは牛が多過ぎる」より ↑ 空かんを叩き、クラクションを鳴らしても動こうとしない牛たち。  右から二人目の人物は首からカメラを提げていますので「菅野カメラマン」なのでしょう。

(続きます)
by iruka-boshi | 2017-04-21 14:10 | いろんな本 | Comments(0)