富士と水銀/富士山頂  橋本英吉著 富士山頂冬季気象観測(その2)

(2017年2月10日の続きです)

「富士山頂」は全22章で構成され、そのうち第1章から19章までは雑誌連載時のもの。20章~22章は連載終了後に書き加えられたものである、とのこと。また、連載終了後に著者は野中到との面会の機会を得、『構成にさしつかへない程度の訂正を加へた(作者記)』ということです。

「富士山頂」の刊行が敗戦直後の昭和23年であったことは、「高嶺の雪」の刊行時と同様の現象を世間にもたらしたようで、佐伯清の監督で映画化(昭和23年6月公開)され、戦争とそれに続く敗戦で疲弊した人々を勇気づけたようです。 また、昭和42年にも山下秀雄の監督で再度映画化されました。 

野中夫妻の山頂滞在を題材にした小説で最もよく知られているのは、新田次郎の「芙蓉の人」であろうと思いますが、こちらも幾度となくテレビドラマ化されています。

いつの時代であっても二人の壮挙とお互いの信頼・愛情は人々の胸を打つものと思われます。

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「富士山頂」挿絵 ↑ 曾宮一念 画

橋本英吉は、野中到を剛直廉潔で不撓不屈の精神を持った人物として描いています。文章中、ある意味で非情とも思えるほどの描写もあります。

しかし、岡田武松(第4代中央気象台長)は「続測候琑談」に「野中到翁」と題して次のようなエピソードを披瀝しています。

昭和8年8月、野中到は令嬢の恭子嬢を伴って例年の如く富士山頂の中央気象台観測所に滞在していたときのこと、明治28年に建設した野中観測所の跡地に風力鉄塔を建設することについてさまざまなアドバイスを行っていた野中のところへ観光客を率いた強力が近づいてきて、明治期の野中の偉業の説明を始めた。

一通り説明を終えた強力は近くにいた野中到に向って、『野中さんはモウトウに死んだでしょうな』と尋ねた。するとその当人が『モウとうに死んで仕舞った』と真面目くさって答えたと言う。

もちろん怒って答えたのではなくジョークとして発した言葉なのですが、士族の家に生まれ、明治男子として育った到ではあっても剛直だけではなく、このような一面もあった、というお話し。


さて、「富士と水銀」と「富士山頂」の作者「橋本英吉」のこと。

明治31年、福岡県築上郡吉富村、現・吉富町幸子(こうじ)に橋本周右衛門の次男として誕生。本名は「亀吉」。明治37年、父の死去に伴ない叔母の縁戚の白石家の養子となり、のちに入籍して「白石亀吉」となっています。

大正2年、高等小学校卒業後、郵便局職員となるが翌年三井田川鑛業所に転職、伊田鑛の支柱夫を8年間ほど勤め、25歳(大正11年)で上京。 大正13年、博文館印刷(後の共同印刷)のモノタイプ工となり、この頃より新聞懸賞小説に応募するようになって行き、大正15年11月、川端康成や横光利一が中心メンバーとなる「文藝時代」に「炭脈の昼」を発表し、実質的な作家デビューを果たします。


それ以後、プロレタリア文学誌「文藝戦線」やプロレタリア作家同盟の機関紙「戦旗」、前衛芸術家同盟の機関紙「前衛」、あるいは「文藝春秋」「中央公論」「改造」「文学評論」「文学界」等々、多くの雑誌に鉱山労働、農村生活、労働争議などの作品を次々に発表します。

一般的に橋本英吉はプロレタリア作家と位置付けされていますが、昭和15年に「富士」、翌年に「寵児の生涯」「天平」を発表した頃より歴史小説も手掛けるようになり、作品の幅が広がって行きます。
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「富士山頂」裏表紙 ↑ 曾宮一念 画

プロレタリア作家のイメージのみを強調すると「富士山頂」は橋本英吉としては少し異色の存在です。歴史小説でもありません。しかし、過去の歴史的偉業を取り上げ、従来の考えを打破するように行動する主人公の姿を描いたこの作品は、橋本英吉の数々のプロレタリア文学作品に一脈通じるものがあるようにも思われます。
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「富士と水銀」が掲載された「文藝春秋」の目次  (挿絵は「川端龍子」) ↑ 左端の橋本英吉に並んで「横光利一」が見えるのは偶然にしても、何か因縁めいたものを感じます。

橋本英吉は29歳の頃に横光利一と出会って以来、さまざまな形で庇護を受け、一時的ではあるものの横光の紹介で文藝春秋社に席を置いたこともありました。

橋本英吉の作風は新感覚派の雄の一人である横光利一の影響を受けていると云われています。

このことを考えると、橋本英吉は昭和初期の文学界の二大潮流のひとつであるプロレタリア文学の優れた代表者のひとりであると同時に、もうひとつの潮流である新感覚派の感性をも併せ持った、まぎれもなく昭和初年から10年代を代表する作家だった、と言えるのではないでしょうか。


○ 高嶺の雪/落合直文著
明治29年9月12日印刷
明治29年9月25日発行
発行所 明治書院/定価弐拾五銭

○ 文藝春秋 第21巻第1号/「富士と水銀」を掲載
昭和17年12月20日印刷納本
昭和18年1月1日発行
発行所 文藝春秋社/定価五十銭

○ 富士山頂/橋本英吉著
昭和23年3月10日初版印刷
昭和23年3月15日初版発行
昭和23年6月30日再版発行
発行所 鎌倉文庫/定価九拾円
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○ 芙蓉の人/新田次郎著(文春文庫版)
1975年5月25日 第1刷
1990年6月5日 第24刷
発行所 文藝春秋/定価360円(本体350円)
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○ 富士案内 芙蓉日記/野中至 野中千代子著(平凡社ライブラリー563)
2006年1月11日 初版第1刷
発行所 平凡社/定価1300円(税別)

なお、野中夫妻を描いた作品は上記のほかに、「芙蓉の人」の著者あとがきによると「小説と詩と評論」の第24号(昭和40年9月)に「白い標柱/石一郎著」があるとのことです。
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by iruka-boshi | 2017-02-12 14:01 | Comments(0)