宮相撲の力士碑/福岡県京築地方

福岡県の京築地方から大分県にかけて、かつて宮相撲が盛んに行われていました。

年間を通じて各地の神社などで催される祭礼の時に奉納された神事相撲で、昔日はいかに盛んであったかは京築地方(福岡県京都郡・築上郡)に残る力士の碑の多さからも窺い知ることが出来ます。

試みに「行橋市史資料編/近・現代」「勝山町史下巻」「犀川町誌」から力士碑を抜き出すと、行橋市内に建立された力士頌徳碑は16基、勝山町(現みやこ町勝山地区)に建立の力士頌徳碑は10基、犀川町(現みやこ町犀川地区)に建立された力士頌徳碑は14基となっています。

近隣の他の市町村誌にも力士碑が掲載されていると思いますが、ここでは一応この三つの史誌から力士碑を抜き出し、建立年月日順に並べてみると以下の通り。石碑名の最後の(行)(勝)(犀)はそれぞれの掲載史誌を表しています。


天保3年4月12日  天秤徳五郎(行)

天保9年6月    野見宿祢命 八幡山八郎兵衛 台座に力士9名の氏名が刻まれている(行)

天保13年3月12日 力石右兵衛墳 超誉常倫禅士(行)
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明治8年     宇佐ノ海庄平墓碑/台座に力士20名の氏名が刻まれている(勝)

明治11年6月7日  馬ケ嶽藤助之墓(行)

明治16年8月   龍巻勇平塚/台座に力士25名の氏名が刻まれている(行)

明治19年9月22日  月の海健六墓(行)

明治23年8月   勇川勝兵衛塚/台座に力士14名の氏名が刻まれている(勝)

明治25年10月   真魂社長 八尋嶽勝平塚/台座に力士21名の氏名が刻まれている(行)

明治26年1月   八重櫻彌左衛門之碑/台座に力士12名の氏名が刻まれている(勝) ↓ みやこ町勝山黒田 庄屋塚古墳前
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明治29年8月   朝嵐市太郎之墓/台座に力士5名の氏名が刻まれている(勝)

明治29年11月  城ケ森壮平碑/門人中(犀)

明治30年1月   獅子ケ峯之碑/台座に力士7名の氏名が刻まれている(勝)

明治30年4月   小柳半六墓 (犀)

明治31年4月   真魂社長 嶋嵐吉平之碑/台座に力士73名余の氏名が刻まれている(行)

明治32年7月   若乃浦節次丈之碑(勝)

明治33年1月   三浦瀉勝造之碑(行)

明治33年7月   三嶋瀉儀平墓碑/台座に力士6名の氏名が刻まれている(勝)

明治33年9月   三浦瀉新平之碑(行)

明治33年9月   木村久蔵碑/行司 世話人中(犀)

明治33年    鶴森甚三郎碑/門弟中(犀)

明治34年1月   大乃松豊吉之碑(行) ↓ 行橋市南大野井 王埜八幡神社参道
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明治35年10月  隅田川七太郎之墓/台座に力士8名余の氏名が刻まれている(行)

明治36年8月  若柳浪平碑/鉄干社中(犀)

明治37年2月11日  祇園山芳松碑(犀)

明治39年4月  社長 境川栄吉碑/鉄干社門弟中(犀)

明治41年1月   剱石常三郎碑(行)

明治期と思われるが不詳 木村平吉之墓/台座に力士12名の氏名が刻まれている(勝)

    〃       玲空瀧雲墓碑/台座に力士1名の氏名が刻まれている(勝)

    〃       狐石千代吉墓碑(勝)
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大正9年10月      高乃森幸太郎碑/門弟中 頭取 谷風福蔵 大勇為吉(犀)
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昭和5年3月   祇園山三吉墓/台座に世話人6名余の氏名が刻まれている(行)

昭和19年6月24日(建立年月日ではなく、亡くなった年月日) 龍巻熊太郎(行)

昭和23年4月  鉄干社長 岩ケ嶽正一碑/建設委員 小勇親松 小島宗太郎 大杉亨二 鉄千社中(犀)

昭和29年3月  小烏宗太郎碑/世話人 小石川幸男 小勇親松 大杉亨二 門弟中(犀)

建立年月日不詳 龍巻吉内之墓(行)
  〃     小石川又吉墓/頭取 小勇福松 玉岩藤九郎(犀)
  〃     小松灘浜市碑/門人中(犀)
  〃     名取川吉太郎碑/門弟力士3名刻字(犀)
  〃     ミダレガミ勝蔵(犀)
  〃     荒鷹半平之碑(行)  ↓ 馬ケ岳大谷登山口駐車場横
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碑の文字の中の「真魂社」や「鉄干社」は力士が所属した組織の名称です。

こうしてみると明治期が圧倒的に多く、特に明治30年前後が建立の全盛で、明治31年4月建立の「嶋嵐吉平之碑」には73名余りもの力士名が刻字されているところを見るとこの頃が宮相撲の絶頂期だったのだろうと思われます。力士たちは他の地区の祭礼まで出かけて宮相撲に参加としたといいます。

しかし昭和に入ると戦争の影響なのか徐々に力士数や相撲取組みそのものが減少し、やがて消滅に近い状態になったようです。現代では宮相撲はそのほとんどが子供相撲に取って代わっています。

上記の石碑のうち江戸時代建立は3基のみですが、これら以外にも嘉永6年(1853)建立の三芳野八十八碑」(苅田町)などがありますので、京築から宇佐地方にかけては江戸時代建立の碑はまだいくつかあるものと思います。

また、石碑の有無はわかりませんが、江戸期の仲津郡簑島村(現行橋市簑島)出身力士「簑島権太夫」の記録、『寛永19年(1642年) 日向守酒井忠能侯お抱えの力士「立石藤左衛門」と「簑島権太夫」が諸侯の前にて取組み』(豊前人物志/山崎有信著)が残されています。これは宮相撲とは言わないと思いますが。

八重櫻彌左衛門之碑の台座に刻字された力士名(周旋人) ↓ 師子ケ峯勝次郎、芳野森伴吉、隅田川岡平、駒嵐儀六、等の力士名が刻まれています。
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四股名は力士らしい如何にも強そうで逞しい名前、雅びな趣きのある名前、出身地名にちなんだ名前などさまざまです。

各力士の心意気が伝わってくる四股名ばかりです。
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by iruka-boshi | 2014-09-08 14:03 | Comments(2)
Commented by 大乃井音楽図像学研究所 at 2014-09-11 01:33 x
大峰山での修験道に於いて相撲は十界修行(地獄界から佛界まで)の第六天界にあたり、舞踏と同じく象徴的な再生の儀式だといわれております。『修験道』宮家準、講談社 p・306。
天保期の四股名にその験力の残照のような響きを感じます。


Commented by iruka-boshi at 2014-10-07 15:43
相撲の所作(様式)はさまざまな点で修験道(に限らず神道・道教・陰陽道・他)と結びついているようで、最もわかりやすいのは四股を踏んで土俵の悪霊を封ずる動作と思います。そもそも土俵場そのものが修験道の祭壇という考えもあるようですね。

手刀を切る所作は比較的新しいしきたりですが、もとは山伏の作法とのこと。

力士の「すり足」も中国の夏王朝の禹王の「禹歩」と何か関係があるのかな? 「禹歩」は道教と関連し、修験道も道教を内包していますので。