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シンジュサン幼虫/日本書紀 皇極天皇紀(その2)

この日本書紀の皇極天皇の条に記された「常世の神」である「虫」とはいったい何か、神仙思想を内包した道教めいた信仰を広めようとした「大生部多(オオフベノオオ)」とは何者か、なぜ秦河勝(ハタノカワカツ)は大生部を誅しなければならなかったのか。

これら数々の疑問・謎を論じ、その解明に取り組んだ「古代の虫まつり/小西正己著/学生社刊」という本があります。

著者は本書のほかに「昆虫考現学」「チョウチョウ雑記」「玉虫厨子新考」「秋津島の誕生 トンボに託した古代王権」その他多くの著書を持つ日本昆虫学会・日本鱗翅学会の会員です。
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シンジュサン終齢幼虫 上が頭部です。平成25年10月16日 みやこ町にて撮影

「古代の虫まつり」は神である虫(幼虫)を具体的に同定しつつ、「日の神」と「常世の神」の相克、仏教と道教の相関、新羅系仏教と百済系仏教の確執、等を詳述し、古代政治史の側面に光を当てています。それぞれたいへん興味深い内容となっていますが、ここでは「虫(幼虫)」のことのみを取り上げることにします。

著者は虫を確定するにあたって日本書紀に記された虫(幼虫)の特徴、『此の蟲は、常に橘の樹に生る。或いは曼椒(ほそき)に生る。其の長さ四寸余り、其の大きさ親指ばかり。其の色 緑にして黒点有り。其のかたちもっぱら蚕に似たり。』を手がかりにヤママユガ科とスズメガ科の蛾10種を候補に挙げ、ひとつひとつ検討を加えます。曼椒(ほそき)は、山椒(さんしょう)の古名です。

候補の蛾は次のとおり。いずれも終齢幼虫の大きさが親指大になる蛾です。
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「古代の虫まつり」51ページより

このうち8・9・10番のスズメガの3種は幼虫後部の背にはっきりとした尾(尾角)を持ち、日本書紀の記述と異なるために除外。のこり7種のヤママユガのなかで腹部文様と食樹が一致する蛾は1番のシンジュサンのみです。実は親指大になる終齢幼虫はアゲハ蝶にも存在しますが、『紀』に示す体色・文様ともに一致しないために本書では否定されています。

次に『紀』に記された『此の神を祭る者は、富と長命を得ることができる。』と『新しい富が来た』に注目して「カイコ」とカイコ以外の野生絹糸虫(野蚕)を比較し、カイコは食樹の問題で排除して6種の野蚕の繭の用途と食樹を検討しています。6種とはヤママユ/サクサン/ヒマサン/シンジュサン/クスサン/フウサンです。

このなかからヤママユやサクサンほどには生糸が取れないため、ほとんど野蚕として利用されていないにもかかわらずシンジュサンをその第一候補として挙げています。

シンジュサンの絹糸利用価値は低いものの糸が取れないわけではなく、体色・文様・食樹・大きさなどと「富」である生糸生産を考え合わせるとシンジュサンこそ「神の虫」にふさわしい、と著者は言います。

それではなぜ「大生部多(オオフベノオオ)」あるいはオウ一族はシンジュサンを神として祀ったのか、というところまで本書は書き進んでいますが、拙ブログではそれは割愛して、常世の国と蛾(ひむし)を結びつけるもののひとつとして、著者は「古事記」に記す国作り神話を紹介しています。

大国主命が出雲の美保におられたとき、『・・・波の穂より天の羅摩船(あめのかかみぶね)に乗りて、蛾(ひむし)の皮を内剝(うつはぎ)に剝ぎて衣服にして、寄り来る神ありき。』

この神の名をお供の神がみも知らなかった。ヒキガエルが言うには案山子(かかし)が知っているだろうというので案山子に神の名をたずねさせると

『此は神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)ぞ と答へまおしき。』

それから大国主神と少名毘古那神は協力してこの国を作り、その後、少名毘古那神は常世の国に去っていった、というものです。

蛾に姿をかえて現れた少名毘古那神こそ枯葉に身を包んだ「蛾の繭(蛹)」であり、神の去りゆく先は常世の国という記述は、本来持っていた常世の国→死の国というイメージが徐々に神仙の地に変化したことを示しています。

蛾と富(幸)と神仙郷が結びついた信仰を人々が受け入れ、そして熱狂した理由に、この神話時代から続く『蛾』と『常世の国』との強い結びつきが根源にあったことが窺われます。
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「古代の虫まつり」表紙 「蛾(ひむし)の皮を着て常世を往来した少名毘古那神を祀る茨城県大洗磯前神社の神磯(本書説明より)」


古代の虫まつり
1991年8月20日 初刷印刷
1991年8月25日 初刷発行
著者 小西正己
発行 学生社
ISBN4-311-20168-0/13.5×19cm/211ページ/定価1600円
by iruka-boshi | 2013-10-22 19:58 | Comments(2)
Commented by 大野井音楽図像学研究所 at 2013-10-24 21:08 x
キャンベルの神話分析で英雄の三段階での二段階目(イニシエー
ション)に現れるのが小人か翁で、英雄の艱難突破の知恵を
授けるそうです。ここでは小さき神スクナヒコがこれに相当するようです。しかし海のかなたから突然訪れて、役目を終えるとすぐに
去ってゆく、神話中の謎の神みたいですね。また
ご存知の様に西洋では再生思想の伝統で
蝶や蛾は繭や蛹から変身するので魂=プシケーの象徴ですが
再生と長寿のつながりが和洋を通じて考えられたみたいですね。

Commented by iruka-boshi at 2013-10-29 22:48
アニミズムやシャーマニズム、神仙思想等が入り乱れた「虫まつり」は当時の人々の暮らしぶりや心の中まで垣間見るようで興味が尽きません。

ところで「虫祀り」といえば蚕紳がよく知られたところですが、これについてちょっと気になる記事が「歴史手帖 第71号/昭和54年」に「養蚕神になった上杉鷹山」のタイトルで載っています。

米沢藩の上杉鷹山(治憲)の馬上像が山形県白鷹町の円福寺の「養蚕殿」から見つかったというもので、殖産興業、特に養蚕を奨励していた鷹山はその号(鷹山)の元となった「白鷹山」が養蚕紳として信仰を集めていることと関連して鷹山の没後に神格化されたのだろう、としています。

シンジュサンといい、蚕といい、昔人は今思う以上に自然に対して神秘を感じ、畏敬の念を持ったことと想像します。