水神様/水神社・貴船神社

5月27日(平成25年)の梅雨入り以来、行橋・京都地方は少雨傾向にあったものの、6月中旬頃には各地域ほぼ田植えは終了した模様です。

この時期、田園地帯を行くと川岸や水の取り入口近くに「水神様」をお祀りしている光景に出合います。近年ではかなり珍しいものになっていますが、それでも数ヶ所毎年同じ場所で同じ光景を見ることができます。

行橋・京築の京都平野は旧藩時代から重要な米作地帯で小倉藩十五万石のうち九万八千石を産していたといい、現在でも主要な米作地帯に変わりはありませんが、その広大さに比べて河川が少ないように思われます。

現在では農業用水路はある程度整備されていますが、古来より農業用水確保に腐心してきたことは当地の溜池の多さにも現れています。
d0163575_065395.jpg

平成25年5月26日 行橋市稗田地区にて撮影

また、水確保の苦労のほどは、水神である「高龗神・闇龗神/たかおかみのかみ・くらおかみのかみ」や「罔象女神/みつはのめのかみ」などをお祀りしている貴船神社・水神社の多さでも窺い知ることができます。

福岡県下の水神系の神社数は、「福岡の民俗文化」(佐々木哲哉著/九州大学出版会)によると、旧社格が「村社」のもの約1500社のうち54社(元資料・福岡県神社誌/昭和19年/ちなみに最多は天満宮系で408、次いで八幡宮系で311、水神系は山王系・熊野系に次いでの多さですが、村社社格全体の3.5%程度)とのこと。

しかし村社に入れられていない無格社となると、約2530社のうち水神系は298社(最多は天満宮で578社)となり、無格社全体の12%を占めるようになります。(天満宮、水神に次いで地神・五穀神の278社、祇園の175社、以下は山神、稲荷、地主・祖霊神、八幡宮、恵比須、猿田彦、海神、火神、他と続きます)

この水神系神社を「京都郡誌/伊東尾四郎・大正8年」から拾うと以下のとおり。

水神社は、苅田町苅田/苅田町光国/苅田町馬場/行橋市柳井/旧豊津町祓郷田中/旧豊津町祓郷国作/旧豊津町祓郷彦徳の7社でいずれも「罔象女神/みつはのめのかみ」または「水波能売神/みづはのめのかみ」を祀っています。

7社以外にも苅田町白川鋤崎の貴船神社や行橋市今元津留の津留神社(祭神は水神である高龗神・闇龗神/たかおかみのかみ・くらおかみのかみ)の境内に水神社があり、ほかにも境内に設けられた水神社が22社ありますので、これらを加えるとさらに増えます。

いちばん多いのは貴船神社の総本社(京都府京都市左京区)から勧請を受けた貴船神社(貴布禰神社/貴舟神社)で以下のとおり。京都の貴船神社の祭神は本宮は高龗神、奥宮は闇龗神で、行橋市内・京都郡内の貴船神社も多くは同じ祭神です。

貴船神社
行橋市稗田西谷/行橋市稗田上稗田/行橋市延永下津熊/行橋市行事/行橋市今井×2社/行橋市長井/行橋市仲津馬場/行橋市椿市常松/行橋市椿市高来/苅田町南原/苅田町集/苅田町稲光/苅田町苅田/苅田町堤/苅田町白川鋤崎(境内に水神社あり)/苅田町白川黒添/苅田町法正寺/旧勝山町諌山矢山/旧勝山町久保松田/旧勝山町久保大久保×2社/旧勝山町下黒田片宗/旧豊津町節丸吉岡/旧豊津町祓郷呰見/旧豊津町祓郷田中/旧犀川町下高屋/旧犀川町古川/旧犀川町・他に7社、合計35社

貴布禰神社
行橋市竹並/行橋市平島/旧豊津町祓郷呰見/旧豊津町祓郷惣社/旧豊津町祓郷有久/苅田町小波瀬岡崎

他には、
北山大神社(行橋市道場寺/高龗神)
橘八幡神社(旧犀川町東犀川上高屋/境内に貴舟神社)
高木神社(旧犀川町伊良原上伊良原、下伊良原の境内に貴船神社が各1)
大橋神社(行橋市大橋/水神社×1、貴船神社×3、及びその他神社×4を合祀)
ほかに境内建立の貴船神社が11社あります。さらに罔象女神や高龗神が他祭神と合祀されている神社が9社あります。

これらの行橋・京都郡内の水神系神社を合計すると98社となります。これは概数で他にもあるかもわかりません。(合祀されている神社もありますので、明確に水神系と断定できない場合もあります。) 

福岡県の場合、太宰府天満宮や宇佐八幡宮との関連でこれらの系列社が多く、当地においても天満宮系22社以上、八幡宮系36社以上を数えることができますし、さらに行橋市今永の須佐神社を代表とする祇園社も31社以上あるようです。天満宮系や八幡宮系なども細かく拾ってゆけばさらに増えることと思いますが、水神系神社も数多く存在していることがわかります。
d0163575_07373.jpg

平成25年6月12日 行橋市延永にて 形が違うようですがこれも水神様かな? それとも「虫封じの神」?

貴船神社は全国に約450社あるそうですが、総本社の京都の貴船神社の社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、浪花の津から黄色い船に乗って淀川・鴨川を遡り、その源流の貴船川上流の地(総本宮・奥宮)へ至り、ここに祠を建てて水神を奉斎したことを元始とする、とのこと。・・・とすると、独特の形をした水神様の藁苞(正しくは何と呼ぶのか知らない)は、「黄色の船」なのか・・。
d0163575_082869.jpg

平成25年6月22日 苅田町片島一ツ橋付近にて
撮影時、御幣はなかったが元はあったのかどうかは不明、もし雨風で失したのであれば祈雨は通じたようです。ちなみに高龗神・闇龗神は止雨の神でもあります。

ところで、「京都郡誌」を見ていて奇異に思ったのは、当地では「水分神/みくまりのかみ」(水の分配を司る神)を祭神とする神社が見当たらないということ。

京都平野を流れる河川の源流に位置する英彦山神宮は古来より「水分神」の広い信仰圏を有していたため、「水分神」は勧請するものではなく、英彦山まで赴いて祈願するというものだったということでしょうか。
[PR]
by iruka-boshi | 2013-06-23 00:09 | Comments(2)
Commented by 大乃井音楽図像学研究所 at 2013-06-30 01:44 x
最近中津にある宇佐神宮の祖宮といわれる薦神社に参詣してきました。池がご神体になっており、堤防は版築という中国古代の
工法で作られているとの事でした。(司馬遼太郎「街道をゆく・大徳寺散歩、中津 宇佐のみち」朝日文庫182ページ)
土木テクノロジー集団としての秦氏が関与してる可能性が高い
ようです。
Commented by iruka-boshi at 2013-07-03 06:50
水確保の艱難辛苦はみやこ町勝山黒田の水神・竜神伝説「胸の観音伝説」にも表れていて、同じ黒田地区の里謡に「嫁に行くとて黒田に行くな 広い黒田にゃ川がない」とあるほどです。

この里謡は黒田で生まれ育った母も子供の頃からよく耳にしていたそうです。実際、黒田には小川程度の川が4~5本あるのみで、あとは山すその「溜池」に頼っています。

薦神社の池は版築工法が使われていますが、みやこ町勝山の最古の池と云われる池田地区の池も当時の最新テクノロジーが使われています。みやこ町勝山の御所ケ谷遺跡の土塁も版築が使われているのはご存じのとおりです。

北九州から行橋・京都郡・中津・大分は秦王国といってよいほど秦氏の影響力があったそうですので、あるいは何らかのかたちでが関与しているのかもわかりません。