大阪市立電気科学館案内
折り畳んだ場合、右側の建物写真がおもて面となり、中央の「大阪市営路面電車図」が裏面となります。左端の各階案内図は内側に折り込むようになってます。
各階は地下1階が食堂と機械室、1階が市電の店・電気相談所・試験場、2階から5階までが「電気館」となっていて、それぞれ「2階弱電無電館・来賓室・事務室」、「3階電力電熱館」、「4階照明館」、「5階原理館・図書室・研究室」という構成です。
6階から8階までが「天象館」で、投影機を設置したドームと売店・休憩室、それに8階に事務室を有しています。
電気科学館の建設着工は昭和9年6月ですが、それに先立って昭和7年7月に電気科学館建設委員会が組織され、昭和8年11月に建築認可申請がなされています。
このときの計画では、地階は食堂、1階市電の店、2階貸室、3階美容室・調理室等衛生施設、4階大衆浴場、5階大食堂、6階スケートリンク(夏季はビアホール)、7階スケートリンク観覧席、8階(屋上)遊歩道・眺望場、となっていて、科学館というよりは娯楽を中心とした施設計画だったようです。
これが昭和10年2月に計画変更されて、2階から5階までが電気関係の器械展示、6階から8階までは変わらずにそのままで、この時点ではまだプラネタリウム設置は決まっていませんでした。昭和10年2月の各階計画は次のとおり。
1階市電の店、2階弱電無電館、3階電力電熱館、4階照明館、5階電気原理館、6階スケートリンク(夏季はビアホール)、7階スケートリンク観覧席、8階(屋上)遊歩道・眺望場
プラネタリウム導入の議はすでに昭和9年12月にあがっていましたが、このときは費用などさまざまな問題で決定に至らず、翌昭和10年5月、市議会内にプラネタリウム購入特別調査委員会が置かれ、6月に同委員会を通過後、最終的に6月29日の市議会本会議で決定、という経緯が残されています。
この案内図には発行年が書かれていませんので詳しくはわかりませんが、「路面電車図」をよくみると御堂筋線が難波から天王寺まで延伸されたときに設置された動物駅(動物園前駅)や大国町駅などが記載されていますので、少なくとも昭和13年4月以降に発行されたものであることがわかります。(電気科学館 開館は昭和12年3月)
つづきます。
多い中 ここは、「いろは」と平仮名でした。
電気館のあった地下鉄四ツ橋駅の壁には
タイル貼りのプラネタリウム投影機が、ありました。
暑い日が続いてますが、ブログ頑張って下さい
連日の猛暑、どうぞご自愛ください。