平成筑豊鉄道 豊津駅/鶴田知也 等閑記

『父はその頃、その両親を亡くして、故郷、福岡県京都郡豊津町に帰っていた。そこから、毎日、父が校長である大里の鉄道教習所に汽車通勤をしていた。

田川線豊津駅までは徒歩約三十分、一番列車に乗って次の行橋駅で乗換え大里へ向かうのであるが、教習所に着くのはおそらく八時頃だったと思われるから、家を出るのは六時頃だっただろう。』
(鶴田知也著/等閑記より)

「等閑記」は鶴田知也主幹の雑誌「農業・農民」に1972年から1977年にかけて連載された自伝。

文中の「父」とは、鶴田の実父の高橋虎太郎のことで、「その頃」というのは、1923年(大正12年)頃のこと、当時、鶴田は半年ほど滞在した北海道から徴兵検査のために豊津に帰郷していた。
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時折、粉雪の舞う豊津駅に進入する「炭都物語号」 右の車両は駅に停車中の行橋発・崎山行きの「なのはな404号」画面奥が行橋方面(平成24年2月17日撮影)

徴兵検査を終え、ほどなくして鶴田は名古屋に住む葉山嘉樹を訪ねている。

葉山夫妻の世話で名古屋に滞在したのは五ヶ月ほどだったが、この間は鶴田にとって大きな意味合いをもつ期間であって、次第に労働運動に身を投じていったのもこの頃からでした。鶴田知也、21歳の頃のことです。
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豊津駅を離れ、崎山に向かう404号
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豊津駅ですれ違う「なのはな号」 左の車両、行橋行き402号 右側、金田行き407号(平成24年2月18日撮影)

土曜日の午前10時頃、乗降客は誰もいなかった。
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by iruka-boshi | 2012-02-18 12:17 | いろんな本 | Comments(0)