「天文・地文」 堺利彦著/無産者自由大学 第一講座 昭和2年

社会主義者堺利彦と天文の取り合わせにいささか戸惑いを覚え、奇異にさえ感じるのですが、このことは著者自身も少しばかり思っていたようで「はしがき」で次のように語っています。

「『天文・地文』といふ講座を私が担任する事は、云ふまでもなく不適当であり、無理である。或は寧ろ滑稽でもあるだらう。然し私は、『無産者自由大学』の計画につき、最初から其の相談にあづかった一人として、種々の都合上、止むなく第一冊を受持たねばならぬ事になってしまった。」

そして、「専門的の知識を持って居ない事は、明瞭である。」とも書いています。
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それでは「天文・地文」に興味がなかったかというとそんな事はなく、「古くから、ちょいちょいと、それに関する本を読んだ事がある。そしてそれが自分としての、一般知識の根本、世界観、人生観の基礎となった様な気がしている。」と書き、山本一清の天文講演に出かけたことに触れて、

「その時、山本氏は『社会常識としての天文学』『天文学の民衆化』などといふ言葉を使っていた。今、私の此の書も、その『社会常識』『民衆化』の意味からして、斯学専門家の通俗談を取次するものとすれば、あながち無用でも、無法でも、無茶でもあるまいかと考える。」と書いています。

この「天文・地文」は『無産者自由大学』全十二講座の最初の講座で、続く第二講座は『生物・人類』、その後『生理・心理』『物理・科学』『世界歴史』『経済学』『政治学』等々と発刊され、第十一講座『無産者運動』、第十二講座『世界の現状』で終わっています。

第十一講座の『無産者運動』はそのままのタイトルですので何のためらいもなくシリーズの中の一冊として受け入れることが出来るのですが、それでは何故『天文・地文』や『物理・科学』などがシリーズのなかに含まれているのか・・・。

それは、「はしがき」にある『社会常識』『民衆化』という言葉にも繋がるのですが、『天文・地文』の最終章「第十一章 結論」に縷々述べられていることに尽きます。

その一部を書き写すと「我々は既に宇宙と地球を学んだ。次に生物と人類を学ぼうとしている。(中略)そうして、それらの知識を集積し綜合した所で、それを以って、現在に於ける我々の社会生活を我々自身の為に経営するに足る所の、即ち現制度を変革して新制度を建設するに堪へ得る所の、思想的原動力を作りあげようとするのである。」

そしてこうも書いています。「我々は宇宙進化、地球発達の跡に学んで、あらゆる矛盾、あらゆる不可思議をも切り開いて、永久の闘争、永久の発展を継続するといふ、健全にして勇敢なる無産者的考へ方を確立せねばならぬ。」

強い決意のようなものを感じますが、この調子で「天文・地文」の本文が進んでいるかと言うとそう言うわけでもありません。

つづきます。
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by iruka-boshi | 2011-12-06 20:29 | 星の本・資料 | Comments(0)