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わが国の望遠鏡の歩み 昭和39年(その2)

「金属製携帯用望遠鏡(維新前後以降)の部」32点

長さ10cm~58cmまでで、1段~7段式の携帯用望遠鏡のリストです。
掲載の望遠鏡の多くは16cm~30cm前後で、1段~4段式です。長府博物館所蔵の金属製皮張・80cm・3段式の望遠鏡(日露戦争当時バ艦隊に備え対馬五山の監視哨で使用)というのもこの部門に1点載っています。また、「ステッキ型」というのも2点掲載されています。見た事ありませんのでよく解かりませんが、ステッキの形なんでしょうかね。

ここでも石黒コレクションから多数出品されていて全部で20点あります。一閑張の場合、鏡筒は赤塗りと黒塗りがほぼ同じくらいで茶塗が若干という具合でしたが、金属製携帯用望遠鏡部門はほとんど黒塗(茶塗が1点)です。金属製としか書いていないものも半数あります。徳川美術館出品の24.7cm遠眼鏡は「象皮覆」と書かれています。

「天体望遠鏡(明治以降)の部」29点

小森幸正出品、「野尻抱影使用・日本光学製No.101三脚付・屈折望遠鏡」というのがこの部門に載っていますが、口径などは不明です。画像はこの部門に掲載の一部です。
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リストの一番上の国立科学博物館所蔵の「屈折望遠鏡2.5cm」は、五藤光学初期のもので鉄製三脚付。木辺成麿出品の「15cm木辺鏡(無銀)」は1927年作、「15cm中村鏡(無銀)」は、1926年頃のものです。五藤の「ウラノス号」の下の「モギー社4インチ屈折望遠鏡」は山崎正光使用で赤道儀架台付きです。出品者は五藤斎三。
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五味一明出品の天体望遠鏡は英オットウエイ社製、その下の日本天文研究会出品の「人工衛星観測用望遠鏡」は日本光学製です。

画像リストの下から2番目の法明院所蔵の「金属製望遠鏡」は、フェノローサ使用、と説明されていますので、あのフェノロサでしょうね。(どのフェノロサ?)

「双眼鏡、単眼鏡の部」50点

東郷元帥使用のCarl Zeiss D.R.P双眼鏡(三笠保存会出品)、乃木将軍使用のGoerz単眼鏡(乃木神社出品)、鈴木淑康出品のColmont Paris双眼鏡(大正10年頃シベリヤで露軍将校から購入)、伏見宮使用のKRAUSS Paris双眼鏡(三笠保存会出品)、長岡正男出品のルスカー6×20双眼鏡、河原栄一出品のJOICOミクロン6×双眼鏡、等々々。
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日本光学製ノバー7×双眼鏡は航海用目盛入、九三式双眼鏡4×は陸軍歩騎兵分隊長用、東京光学の双眼鏡は高橋三吉大将使用。

「軍事用光学兵器(含大型双眼鏡)の部」13点

清国艦隊鎮遠で使用した六分儀(三笠保存会)、大日本帝国望遠鏡第2号の銘が入った木製大型望遠鏡(靖国神社)、日本光学製10×45No.8077の砲隊鏡(木村幸吉)、12cm対空双眼鏡(五藤斎三)、97式車載重機関銃眼鏡(五藤斎三)、五藤はこのほかにも2m潜望鏡、94式1m対空測遠機など計6点を出品。ここにも石黒敬七が登場し、潜望鏡を出品。

つづきます。
by iruka-boshi | 2011-07-20 12:03 | 星の本・資料 | Comments(0)