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鴎外の婢 松本清張著(その4)

4月3日の続きですが、その前に「吉田学軒顕彰会」からのお知らせを。

来る4月29日(祝)、顕彰会総会並びに「第3回昭和まつり」が開催されます。今回は諸般の事情により、昭和レトロ骨董市、模擬店、ステージイベントは中止とのこと。下記のとおり総会行事と記念講演のみだそうです。

日時:4月29日(祝)、10:00~10:40総会/10:40~11:40記念講演「みやこの先人たち」
講師は「みやこ町歴史民俗博物館」学芸員の川本英紀氏。
場所:京都郡みやこ町勝山(福岡県) サン・グレートみやこ1階研修室/展示コーナー(ロビー)「目で見る昭和」「顕彰会の活動記録」

以上です。

さて、「鴎外の婢」ですが、もう少し綾塚古墳について記します。この古墳は、直径約40m、高さ約7mの円墳で、すぐ近くの「橘塚古墳」とともに北部九州を代表する横穴式巨大古墳です。横穴式古墳は石室構造の違いで「単室」構造と「複室」構造に分けられますが、綾塚古墳は複室構造を持ち、石室全長は19メートル余りとなる複室構造横穴式古墳としては、全国的に見てもかなり大規模な古墳です。

明治5年に来日したイギリスの造幣技師ウィリアム・ゴーランドは大阪造幣寮で造幣技術を指導する傍ら、日本各地の古墳を調査し、「複室構造の横穴式石室」の古墳代表として綾塚古墳を取り上げて非常に精度の高い実測図を残しています。

ゴーランドは帰国後、「日本のドルメンと埋葬墳」1897年(明治30年)を著し、そのなかで綾塚古墳について次のように書き残しています。

「・・・・伝承によると、これは景行天皇の時代の皇女、速媛の墓だそうで、皇女の宮殿跡は、隣接した峡谷との境となっている高地上にある、といわれている。(中略)ドルメンは徹底的に盗掘され副葬品については何一つ分かっていないので残念ながらドルメンからは年代を知る証拠は何も得られなかった。」(日本古墳文化論-ゴーランド考古論集/創元社1981年より)
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石室入り口の天井大石を支えている円柱は鳥居の脚部だったもの。側面に「延宝八庚申年(1680)三月吉祥日・・」と刻まれています。

ところで「鴎外の婢」のこと、ずいぶん横道にそれましたが主人公浜村は女帝窟を見た後、稗田地区で「ハツさん」の消息を訊ねるのですが要領を得ないまま小倉の宿に帰ります。

その夜、浜村は「ハツ」の行方を知る手がかりとなる人物に出会い、翌日意外な方向へと進んで一気に小説はクライマックスへ向います。

・・・「鴎外の婢」に出てくる行橋とその周辺の地名をいくつか取り上げましたが、これ以外に非常に多くの実在の地名が登場します。小説のストーリー上、遺跡関係の地名が多いのですが、出てくる地名をすべて取り上げれば、ひと通りこの地方の旧跡めぐりができると思われるほどです。

さらに紹介するとなると、「鴎外の婢」から遠ざかっていくばかりなのでここでやめます。

「鴎外の婢」
著者:松本清張
発行所:新潮社(新潮文庫)
昭和49年4月5日発行
「書道教授」を併録
解説:権田萬治
by iruka-boshi | 2011-04-19 20:57 | いろんな本 | Comments(4)
Commented by 大乃井音楽図像学研究所 at 2011-04-22 14:12 x
942年、源経基は藤原純友を討つため如体権現宮(綾塚古墳)に
参籠して「神馬」の夢を見た。東に馬の形をした山(馬ヶ岳)があり、そこに築城した。 
以上 『福岡古城探訪』廣崎篤夫 海鳥社より。
ゲーテ、宮沢賢治、空海、いずれも花崗岩の洞窟により霊験性の
ようなものを感覚しているようです。不思議です。

Commented by iruka-boshi at 2011-04-23 16:05
源経基と綾塚古墳のこと、初めて知りました。
他にも綾塚と関連した古い話はいろいろあるでしょうね。
話しは違いますが、源氏で思い出したのですが、隣町の苅田に平清経の供養塔があるとか・・・。
Commented by 大乃井音楽図像学研究所 at 2011-04-23 18:46 x
その供養塔は数年前、苅田で開催された林望氏の「平家物語を
読む」セミナーで地元の古老が話されてました。各地にある安徳天皇の説話といい御霊信仰はかなりの重きをなして考えられたようですね。
Commented by iruka-boshi at 2011-04-25 11:27
コメントをありがとうございます。
長年、同じところに住んでいながら知らないことばかりです。
知ろう思わなければなおさらですね。